わくわく題詠鳩の会


鳩の会会報115(令和5年5月末締切分)
兼題 五月雨・あやめ
【Advice】 「五月雨」は陰暦のことばゆえ「五月」という字があてられたのであって、陽暦の今は「六月雨」とあるべきだが、そうは書かない。 「アヤメ」は「文目」で織物の織り目・模様。それを花弁の網目模様に見つけて「アヤメ」という花が生まれ、道理・分別などの意が派生した。それで「あやめも知らぬ(無我夢中の)恋」(不知・古今集・恋)などと詠んだ。ただし、「アヤメ」に「菖蒲」という漢字を宛てたのは失敗で、以後大いに混乱。「菖蒲」は「ショウブ」としか読めないし、そもそもサトイモ科であって、「アヤメ」「カキツバタ」「ハナショウブ」の仲間ではないからだ。「菖蒲」は可憐な花で勝負してきたわけじゃなく、邪気を払う芳香によって長寿祈願の植物であった。なお、この「菖蒲」を歌語で「アヤメグサ」と読んだことも混乱を深める原因となった。
句はABC三つの符合で評価しています。その意味するところは以下の通りです。
A:省略が利いて、抒情あきらかな句
B:季感が備わるスケッチ
C:焦点定まらぬつぶやき
A 五月雨のとばりの奥の読経かな     喜美子
「とばり」に見立てる「五月雨」に深遠なる味わい。「読経」が如何なる法要かを具体的にしない点も上質。蕉門の去来のようだ。
A 荒川の涯は夕やみ五月雨           憲
荒川河口の先は海だが、「夕やみ」というところに詩がある。「五月雨」のスケールが感じられる。
A 五月雨や観瀑台に犬連れて       鹿鳴
滝見に愛犬を伴う人。穏やかな日常を送っているのであろう。
B 五月雨や玄関で待つ腰二重         蕾花
外出が憚かられるほどの雨に戸惑う老人が見える。「腰二重」は〈年老いて腰の折れ曲がったさま〉だが、作者もその意味で用いたとすれば、表現としては救いがなく、かわいそうだ。
B 琅玕を磨き上げたるさつき雨      海星
「琅玕」をどのような意味で用いたか難解。抽象に終わって残念。
B さみだれや古墨のかをり立ちのぼる    馨子
五月雨と「古墨」は似合うが、「立ちのぼる」は大げさで、言外に出した方がよい。
B 五月雨や一服長き退職日          真美
〈在籍最後の日だから、休憩も長い〉と理屈の句に堕ちてしまうのが残念。
B 傘傾げ笑顔交はして五月雨     美知子
「五月雨」の本意(イメージ)は「笑顔」となかなかなじまない。
B さるぼぼの軒端にひとつ五月雨るる    ひぐらし
「さるぼぼ」は確か〈猿の赤ちゃん〉の意。厄除けなどの郷土人形で、てるてる坊主的なものと理解している。天候回復の祈りであろうか。
B 失せしものもう探さじとさみだるる     エール
初五・中七の主観と下五を「と」で繋ぐと重たくなる。読者は「梅雨晴れ間」などの方が救われる。つまり、詩が生まれると思う。
B さみだれの音に目覚めし誕生日     美雪
「音」は無駄、要らなかったネ。でも忘れられない誕生日にはなってよかった。
B 五月雨や忽ち潤す庭一面         京子
「潤す」より「濡るる」か。字余りを避けられるし、主観も抑えられる。
B 石段険し修験の道にさみだるる     梨花
「険し」「修験」「五月雨」の三点とも重いので救いがほしくなる。
C 五月雨るる岸辺の木々に水近し     貴美
「五月雨」は「水」の概念にすっぽり入っているので、余韻を創り出すために省略が必要だと思う。
C 五月雨に掠む秘境の渡し舩    つゆ草
「掠む」は〈盗む〉〈奪う〉。とすれば目的語がわかりにくい。あるいは〈過ぎ去る〉意かと考えたが、今度は主語がわからなかった。むずかしい言葉だ。
C 黄砂つれ降る五月雨にしとど濡れ     和子
この作者にはめずらしく説明に終わった。
C 五月雨におかゆ炊きをりほつぺかな    紅舟
「五月雨」「おかゆ」「ほつぺ」、三素材の関係がわからなかった。
C 五月雨とトラクターと泥の線    三智代
「五月雨」「トラクター」「泥の線」、三素材の関係がわからなかった。
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A あやめ咲く「水」に始まる本草書     千年
「本草書」は薬物学の書。可能なら「水」のカギ括弧を外したいと考えたが、知恵が回らなかった。
A 歩み来し水田明るしあやめ濃し     瑛子
「水田」と「あやめ」を借りて、実は作者の心が明るく濃いのだろう。このような日々を送りたいと思う。
B あやめ草嫁入り舟を見送りし     窓花
実景だろうか。昭和の「潮来花嫁さん」(花村菊江)を口ずさめるボクとしては、この大ヒット曲にとらわれて、鮮度を感じられなかった。
B あやめ咲く夫婦茶碗と似た色に     蛙星
「夫婦茶碗」がこの句の眼目だとは思うが、主観(感動)の域に届いていないと思う。
B 黒猫の金色の眼やあやめ咲く    ひろし
「黒猫の金色の眼」がこの句の眼目だとは思うが、主観(感動)の域に届いていないと思う。
B 早朝の鋏の音や花あやめ         光江
「早朝の鋏の音」には視野にない人を感じとる詩がある。ただし「花あやめ」と結ぶと視野に入ってしまう。それでたぶん読者は混乱する。
B 髪結び自由に舞ふや花あやめ    由美
「髪結び自由に舞ふ」のは誰か。どのような舞か。「花あやめ」とはどのような関係にあるのか。もう少し情報がほしい。


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