〈 当日の展開 〉
聞いた話を真に受けてよいなら、大方の人が面白がってくれたようだ。内藤氏であったか、「これは俳句以前のことば遊びとして、高齢化社会に向かう、さまざまな会席を含めて有効な、知的ゲームになるのではなかろうか」という感想をもらしていた。この言葉が今も耳に残っている。
配布したものは次の3点である。
1,「焚き火の輪」面六句とその座談のプリント。付句を思案し、話し合う様子を想像してもらうためである。
2,故伊藤無迅氏の「立ち上がる被災の宿の実千両」(『芭蕉会議選集』)を立句(たてく)とする懐紙。(懐紙には、季と恋、自他場の欄を設けたが、その解説は、混乱を避けるために、次回以降に回すことに)
3,「古典で一番基本的な季寄せ」(海紅編)。辞書は共有できるものが、季語は少ない方がよいと考えたからである。
まず、すこし連句を知っている人をとりまとめ役と定めた。すなわち、智子・うらら・はな:泰司・しのぶこ・由美・真美・喜美子の8人のテーブルを用意し、同時に、この指止まれ方式で、3吟(3人1組)を原則に、どこかのテーブルについてもらった。これで、チームAからチームHまで、全8チームが成立した。
そして、連想の手掛かりとなる発句(立句)は8組とも同じだが、その結果(脇句)は8チーム8様となるだろう。だが、そのすべてが正解なので、肩の力を抜いて遊んでくれるようお願いした。
付句(脇)をいただく前口上として、次のようなことを話した。
今日12月8日は真珠湾攻撃(日本の宣戦布告)の日で、アメリカでは慰霊祭が行われているはず。一方、日本では毎年8月6日の広島と9日の長崎で「過ちは二度と繰り返しませんから」と祈りながら、無条件降伏の15日を迎える。戦争終結から75年も経つのに、このアメリカと日本のふたつの鎮魂式を、ひとつの会席(座・場)でおこなう寛容はどうして育たないのか。親和(共振・融和)の文芸である俳諧を生涯のテーマにしたボクは、大まじめにそれを願う。
一方、つい先日、中村哲さんが痛ましくも銃弾に倒れた(無迅氏と同年)。氏には「必要なものは武器ではなく、水と緑である」という哲学がある。川や井戸を作り、畑を耕すことができれば、花が咲き、虫が啼く。花が咲いて、虫が啼き、土壌が肥えれば、衣食住が満たされ、文化が育つ。この文化が、ボクらに人生の仕合わせが何であるかを教えてくれることは、歴史上明らかなことである。
いや、文化という贅沢などは、お金と余暇(時間)ができてからでよいと考える人は、最後まで人生の豊かを味わえない。文化とは、苦労して働いているときに身につくものだ。今日の座(会席)の文芸をぜひ愉しんでほしい。
ところで、脇句を考えていただくにあたり、昔から発句と脇は挨拶の関係にあると説く点に一言。挨拶の関係にあることは間違いないが、その挨拶を「こんにちは」「やあ、こんにちは」という日常のものと思っている人は考えを改めてほしい。
挨拶とは日本語ではなく禅語である。すなわち、自分の心をひらき、相手の心を推量すること、これが挨拶。脇句は発句の世界の深奥を推し量る作業である。第3以降も基本的にはこのような態度で臨むのが好ましい。このように、日常の手垢にまみれた言葉を、本来の意義に戻すことを芭蕉は「俗語を正す」(『三冊子』黒)といっている。
こののち、各チームは脇句の話し合いに入り、その候補をボクが確認して先へと進んだ。その成果は以下の通りである。
〈 当日の展開 〉
チームA | ||
発句: | 立ち上がる被災の宿の実千両 | 無迅 |
脇 : | 真赤なホッペと燃ゆるストーヴ | 静枝 |
第3: | 焼き芋の匂ひここまで芳しく | 妙子 |
第4: | 茶道倶楽部にまだ声がする | 智子 |
第5: | 背な押せばブランコゆれる月ゆれる | 静枝 |
第6: | 銀杏並木に腰をかがめて | 妙子 |
会者:尾見谷静枝・田村妙子・村上智子 | ||
チームB | ||
発句: | 立ち上がる被災の宿の実千両 | 無迅 |
脇 : | 障子開ければひろびろと海 | 馨子 |
第3: | 留学の子が金髪を連れて来て | 海紅 |
第4: | マトリョーシカのルーツ説きをり | うらら |
第5: | 古書店の棚に届きし月明かり | 馨子 |
第6: | 生き残る蚊が耳元にまた | 海紅 |
会者:佐藤馨子・宇田川うらら・谷地海紅 | ||
チームC | ||
発句: | 立ち上がる被災の宿の実千両 | 無迅 |
脇 : | 笑顔が囲む鍋は鮟鱇 | 光江 |
第3: | 真つ青なスーツでパリに降り立ちて | はな |
第4: | 皿を包める浮世絵もあり | 梨花 |
第5: | 漱石の猫も見上ぐる窓の月 | 光江 |
第6: | 城址の堀に紅葉明るく | はな |
第7: | 案じをり菊人形は筆を持ち | 梨花 |
会者:青柳光江・金子はな・根本梨花 | ||
チームD | ||
発句: | 立ち上がる被災の宿の実千両 | 無迅 |
脇 : | 内儀差し出すしもやけの指 | 邦雄 |
第3: | たまに弾くピアノの音のかすかにて | 泰司 |
第4: | 猫をのせたる麗人の膝 | 悠児 |
第5: | 過ぎし日の文読む手もと窓の月 | 邦雄 |
第6: | 人気のなくて刈田ひろがる | 泰司 |
会者:内藤邦雄・相沢泰司・加藤悠児 | ||
チームE | ||
発句: | 立ち上がる被災の宿の実千両 | 無迅 |
脇 : | 霙のなかをボランティア着 | しのぶこ |
第3: | 船旅を途中で終へて戻り来て | 京子 |
第4: | 記憶の声にほつと息つく | 香粒 |
第5: | 今日のミス忘れてしまへ丸い月 | しのぶこ |
第6: | 芒の原を自転車がゆく | 京子 |
会者:大石しのぶこ・森田京子・鈴木香粒 | ||
チームF | ||
発句: | 立ち上がる被災の宿の実千両 | 無迅 |
脇 : | 三平汁の仕度始まる | 由美 |
第3: | 給食の鍋はこんなに大きくて | 海紅 |
第4: | ガキ大将が口笛で呼ぶ | 糀 |
第5: | 悪者を倒すアニメに月高し | 由美 |
第6: | ススキを知らぬ碧眼と行く | 海紅 |
第7: | 故郷に文託したき渡り鳥 | 糀 |
第8: | 内緒で買つた香水をつけ | 由美 |
会者:西野由美・谷地海紅・月岡 糀 | ||
チームG | ||
発句: | 立ち上がる被災の宿の実千両 | 無迅 |
脇 : | 冬籠もりして励む編み物 | 真美 |
第3: | 迷ひ子は玩具売り場に遊びゐて | 美雪 |
第4: | サイレンが鳴るパトカーが来る | 美知子 |
第5: | 教会の鐘の真上に望の月 | 真美 |
第6: | ほほばる如く桐の実は裂け | 美雪 |
第7: | 雁渡る去りゆく人は去ればよい | 美知子 |
第8: | 酒酌みかはし戻る恋仲 | 真美 |
第9: | ほつれたる羽織の紐に口紅が | 美雪 |
第10: | 旅の役者に終はる境涯 | 美知子 |
会者:梶原真美・谷 美雪・椎名美知子 | ||
チームH | ||
発句: | 立ち上がる被災の宿の実千両 | 無迅 |
脇 : | 句帳に残す雪のみちのく | 右稀 |
第3: | 本殿の百畳の間に寝ころびて | 春代 |
第4: | カラオケ仕込みの唄の数々 | 喜美子 |
第5: | 月明が見守る一人終電車 | 右稀 |
第6: | 不意に切なく香る稲穂よ | 春代 |
第7: | 又来ると宙返りしてツバクラメ | 喜美子 |
第8: | ラインの返事待ちわびてをり | 右稀 |
会者:山崎右稀・備後春代・尾崎喜美子 |