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参考図書室
eiko の連句教室<その9>
谷地元 瑛子

コロナ禍の連句


*イマージュ材木座のこと


ものを知らないeikoを気長に育ててくれたエア国際連句協会だが転居や逝去によって活動が困難となっていく。そんなとき随分前に俳句集を送ってくれた友人などと時を超えて意気投合、イマージュ材木座という小さな連句グループが生まれました。

「連句?聞いたことはあった」から始まります。場、人、に恵まれやわらかい雰囲気と快活なペースが生まれ、「座」の文学の楽しさが実感できるようにが、そこにコロナ感染症というパンデミックが立ちはだかりました。

おもいきり喋り、食卓を囲み、「箸が落ちても」の年令に戻って笑いころげるまことに長時間の座はコロナ禍で最も避けるべきこととなってこのところずっと自粛だが、フェイド・アウトどころか、再開への熱量は上がる。ひたすら時を待っている。


足掛け4年目にしてコロナの本当の怖さがわかってきた。人の世の密なつながりを否定してすごすこの年月のつけは人間性を毀損するかもしれない。連句はクスリになる可能性がある。8波が収まった暁にはイマージュ材木座を再開することになっている。希望の座になるだろう。

連衆はカトリック女子校で6年間をともに過ごした同級生4人、ひとりは「高浜虚子俳句」の本丸近くにあって伝統俳句の道を誠実に歩んでいるベテラン、次は母上を俳人に持ち自身もいつの間にかさらっと佳句をものにするようになっていた横浜人、イマージュ材木座の庵主はというと俳諧にも俳句にもまったく縁のなかった映像プロデューサー、そして横須賀から参上のeikoという組み合わせである。式目はなかなか浸透しないが、みんな座を「楽しい」と集まってくる。


三年前2019年師走に集まった私たちは不条理にも凶弾に倒れた中村哲さんのことを語らずにはいられなかった。国連ではなく日本の平和憲法を己れの芯として アフガニスタンの人々と共に生きた方だったなどと。

一年かけた歌仙の満尾を前にして、この巻を中村哲氏に捧げたいと考え、名残の裏に悼む心を寄せがきしたのが最後の折である。

*中村哲さんにささげる:
歌仙:「よろこびの」の巻


@ 起首3 March,2019 A 16 June,2019
B15 September, 2019 C満尾15 December 2019



     よろこびの垣より垂るるミモザかな     紀子
       雨の句宿に通ひくる猫         グレコ
     休耕田連峰望む霞みゐて          潔子
       白黒グレイ消しゴム画法        瑛子
     艪の音の月下に船の出てゆきし       の
       坂で見返す家族身に沁む        き

     レシピ通り無事炊きあがる零余子飯     え
       不意に誘わる声若きまま        き
     泡滾るグラスに映る君と僕         の
       初夏合宿のカント学会         グ
     山新樹なで晴れ上がる雲白し        の
       退院の日の快速アクティー       き
     海風に応じてうねり砂の紋         の
       満月下行く隊商の列          き
     奏楽堂漏れくる調べ秋深し         え
       霧を抜ければアンテナショップ     え
     みちのくの便り届きて花果てる       き
       行く春と愛自由悲しみ         え

      泥と水騒ぎ乱るる蛙合戦         グ
       コハゼを外し駒子足湯へ        え
     「お好み焼き」シングルマザー母の味    連衆
       ほうじ茶香る下戸の勢い        き
     軍港をスケッチすれば白兎         え
       傾く碑あり小雪舞ひ初め        の
     吊り橋を渡る軋みの肩触るる        の
       仄明かり差す後朝の袖         き
     潮時とクラス席替え籤で決め        え
       ゾゾゾ何処へ退散社長         グ
     月の宵利き酒旨し古酒蔵          の
       草の紅葉の湖をふちどる        き

     沢からの光となりぬ芒の穂         の
       鳥影社より写植原稿          え
     先を行く君の大き背告別す         き
       香を手向ける福岡空港         連衆
     花守の爺の一日に友来たれ         の
       命の水の春を寿ぐ           グ



留書
俳諧が「生きる」を実況する稀有な詩歌であるとすれば急遽この歌仙をわたしたちの祈りにすることは許されると思う。福岡空港、君、影などは哲さんの面影語、座に寄せられたさまざまな句を吟味し、かさなる用語は入れ替えた。芭蕉、呉などの固有名詞もあったのだが、重くなるので普通名詞に変えた。
ふつつかな私は今、ハッとする。挙句の「命の水」を中村医師が灌漑工事者となって荒れ地に引き込んだ水と解釈していた自分は浅かった。北九州のキリスト教校に通った中村少年がそこでキリストに出会い洗礼を受けたその水こそ哲さんの源だったのだ。  (瑛子)

* * *




*ブルームスベリー連句会のこと



コロナ禍、ロンドン在住の旧友からzoom空間での連句に誘われました。日本よりはるかに厳しいロックダウンがあった英国ですから早い段階からすべからくzoomの会に切り替えるのが普通だったようです。遠い日本のわたしが毎回ロンドンの連句会に参加できることになりました。2011・3・11をきっかけにこの会をつくった旧友はエア国際連句協会出身です。この地区にある彼の勤務大学名を冠したグループでしたが、名前を一新したいとの声がでていたタイミングでした。新入りの意見も聞いてくれ、投票がありBloomsbury Renku Societyと決まります。


花も実もあるこの地名は、英語教師だった夏目金之助が日本からの荷を解いて下宿した地区の名です。ロンドンで何度も引っ越した彼がはじめにここを選んだのには大学予備門で同級だった南方熊楠がこの地区にあるBritish Museum(大英博物館)で博物学の研究員をしていたことがあったのかもしれません。

ぜひ一筆したいのはその時期が英文学史上 Bloomsbury Group と呼ばれるようになる若い知識人グループが生まれようとしている前夜だったことです。作家のバージニア・ウルフ、経済学者のケインズ、アメリカ人詩人のパウンドとT Sエリオット。さらにウィーン出身の哲学者ヴィドゲンシュタイン、平和主義者のバートランド・ラッセルなど綺羅星のような面々がこの地区にすみ、それぞれが興味ある題について時間と場所を問わず友人を相手に思う存分論じあう日々だったというのです。プルーストの「失われた時を求めて」が英訳され注目されている頃でした。源氏物語の英訳で世界を驚かせたアーサー・ウエーリーもケンブリッジ大学からの繋がりでグループの一人でした。大英博物館館員として働き出したばかりだった寡黙なウエーリーは期せずして友人たちがつくる英文学を根本から変える勢いのある渦の中に身をおいていたのです。英語で読む優れた文学読み物として受容されることになる源氏物語の出版がはじまったのは大正から昭和に変わる頃です。独力で身につけた日本語古文の知識を創造的かつ想像的に駆使して文字通り独力で産み出したTale of Genjiでした。翻訳というより源氏物語に新しい第二の命を与えたといえるかもしれません。二カ国連句に通じる営為をはるかに高いレベルで遂行したウエーリーが夏目の最初の下宿から歩いて行ける大英博物館の館員になったのは1913年です。もし、「金之助狂セリ」と言われるほど鬱いでいたのちの夏目漱石がウエーリーに出会っていたらと想像してしまいます。ただ、ブルームスベリー・グループが世に知られるようになるのは漱石も熊楠もこの地を離れた1912年後のことでした。
* * *

参考書籍:源氏物語に魅せられた男 アーサーウェーリー伝 (新潮選書)
著者の宮本昭三郎氏は次のように帯に記しておられます:
「彼の生涯を辿った私が見出したものは驚くべき語学力、学識、詩才、そして深い洞察力で言語と文化の国境を越え、東方の人々の遺産を西欧のこころに伝えたまさに天才の姿であった。」
* * *


さて私たちの話に戻ります。世界中が2011.3.11の大津波に衝撃をうけていたとき、この地区の大学キャンパスで日本の文芸への参加を呼びかけたのがニール・ロビーでした。創設者ニールと参加者が全員一致で2022年5月29日に新しい名前を決めました。ブルームスベリー連句会です。

隔週2時間の興行は少人数のときはあってもめったにキャンセルなく続いています。

各自が自分の部屋から参加する座は「国際連句」などという四文字からは想像できない自由でアットホームな空間です。私たちは誰も国を代表しておらず、皆ひとりの人としてそれぞれの思いを詩句にし、どれが流れにふさわしいかを虚心に話しあい、自然に付句が選ばれることがほとんどです。新しい形式に挑戦して時間に制約があるときなどは誰が捌きかをまえもって決めます。


コロナ禍にあってこの身を連句の空間に身をおくという確固とした予定をもつことは心の健康を保つ大きな力になってきました。ニールや連衆に感謝しています。寺田寅彦が松根東洋城と生涯にわたって定期的に会い、連句を巻いていた気持ちがわかる気がします。勤め帰りのたのしいひとときだったことでしょう。

     巻々の歌仙に悲し寅日子忌    東洋城

ブルームスベリー連句会の会員には、英国俳句協会の会員、日本語を専攻する大学院生、そのご父兄!、ゲストとしてロシアやドイツからの留学生、公務員、大学教員など様々です。判断の基準は『詩になっているか』『類似句がないか』『ユーモア句があるか』のほかに自、他、場を気にする人もいます。「もののあはれ」や「かるみ」はこれからです。


付け進む際には何度もそこまでのながれを音読します。詩世界にすっぽりはまってしまっては俳諧にならないと思うので、詩句のあとに作者名も発声してほしいと伝えました。されど忘れがち、皆の意識改革は道半ばです。日本発祥の連句であっても、実際に詩句を編んでゆくのは生きた座の力、虚実を行き来する連句詩の味わいが出るスタイルが定着するのをゆっくり待とうと思います。きっと自然にやってくるでしょう。


教科書として皆がつかっているのは:
John Carly著  RENKU RECKONER(ISBN978-09869763-3-9)


この本はアイルランドと南アフリカの連句人が共同設立した小さなOn Demand出版社から2015年に出ました。ジョンはかつてインターネット上にあった月刊総合俳諧雑誌:Simply Haikuの連句編集者でした。エアの作品を投稿していたわたしは彼をよく知っていました。ジョンはこの本を出してほどなく亡くなりこれが彼の最初で最後の連句解説書となりました。多くの連句形式の説明のなかにはわたしからの情報にもとづいているものもいくつかあります。


最後に英国俳句協会の機関紙Blithe Spirit の今月号(December2022)に掲載された賜餐(しさん):虹涼しをご紹介します。賜餐は4折り3句づつ(4・3)の12句で満尾する歌仙の短縮形です。古典では禁秘の音律であるShi San をもじって(故)窪田薫さんが命名したそうです。おどろくなかれ日本より海外でよく知られている形式です。KasenとShisanが韻を踏んでいるおかげだと思います。なにより初心者に優しい形式で季節のすすみは自然界のまま、すなわち、表(第一連)が夏なら、裏(第2連)は秋、名残の表(第3連)は冬、名残の裏(第4連)は春となります。全体をならすと、季の句と無季句が半々になるようにします。発句はいつも当季なので、毎回違った工夫のあるながれとなります。

この時のZoomは8月13日のグリニッジ時間昼11時にはじまりました。ロンドンの皆は前代未聞の摂氏40度の経験をほてった顔で口々に語っています。午後7時のわたしはといえば、回覧板で知った「地元感謝の映画会」から帰ってきて、思いがけなく感動、映画について話したくてたまりません! がしかし当番の捌きとして、号令をかけます。『時間です。発句をかきましょう。』こうしてできた虹涼しを拙訳ですが、ご堪能ください。


賜餐:虹涼し              谷地元瑛子捌


虹涼し我ら祈りの旗の下         Robert
  天道虫の草の葉先へ       eiko
模造紙を這いずり子らの描くらん     Dusty


  アイドル柄より中世解剖図      Spite
ネットフリックスされど月映る窓もあり   Andrew
  あ、柿の実が屋根を打つ音      eiko


記録鉄エンジン番号追加せり     Andrew
  冷えた手包む女の掌        Robert
冬嵐こころゆくまでブラディメアリ-    Robert


  鏡に揺れる母の面影         eiko
波に花赤ちゃんの声笑う声        Neil
  北をめざして雁のVの字       Dusty


留書
連衆から出される発句はあぐらをかいて水につかるなど熱暑のシーンを微細に写生したものが多かった。その中、一瞬暑さを忘れさせる虹が出たことを詠むものがあり取らせてもらった。新しいロンドン文化、それと好対照をなす生真面目な物腰の鉄道マニア紳士が出て、恋の流れになってゆく。ここで私のおさえていた感情が溢れ出てしまう。この日みた映画のタイトルはYokosuka1953、和歌山の大学教授がつくったドキュメンタリーだった。監督みずから地元への感謝をかねて講話の予定と案内にあった。ところがコロナに感染、高熱で欠席された先生は横須賀西海岸秋谷に生まれ1953年に渡米したひとりの女性の母探しを手伝った顛末を映画にしたのだ。そもそも和歌山大学の先生が何故母探しに関わったのか、日本生まれの母の思いを知るアメリカ産まれアメリカ育ちの娘が苗字の同じ教授のアカウントをFacebookでみつけた。人違いと断らずに相談に乗った先生が偉い。神社の急階段をのぼることや家の裏の井戸をみることで五つの子の記憶がまざまざと蘇ってくるのがわかる。保育所のようなところだったのだろうか、「ここで待っていて、お母さんは帰ってくるから」と言われて待っていたが、母は戻らず知らないひとびとと船に乗せられた。母の写真ひとつなく長い人生を生きてきた主人公。教授が調べ探した結果、生みの親は何十年も前に東京で亡くなっていたのだった。ところが、秋谷の里には母の幼馴染が存命だった。日本語を話せない彼女を抱きしめ「ああ、そっくり、長生きしていてよかった。会えた」と涙する。

私は横須賀に生まれ、育ち、「混血児」を知っているつもりだったが、何もわかっていなかった。一番先にえらばれるほど美しい彼女のたどった養女としてのくらしは壮絶だったのだ。幸せだった実母との暮らしを「お魚、ご飯、お魚、ご飯と食べていた」と静かに思い出を語る。「母は苦労の人生だったにちがいないといつもおもってきた」とも。帰途に着く間際に着物姿の母と一緒に写った写真を九〇歳をすぎた母の朋輩が探し出してくれた。アメリカの高校卒業後すぐにクラスメートと結婚しさずかった子供たちが一緒の旅でよかった。母、そして祖母の写真を一葉もって三人は米国に帰っていった。

了。



原文テキストを添付します:


Shisan: Rainbow Coolness led by eiko yachimoto

Started August 13, 2022 Completed August 31, 2022 in Zoom and via e-mails



rainbow coolness
we gather beneath
the prayer flags                    Robert Kingston


three spotted lady bird
on a blade of grass                   eiko yachimoto


kids crawl
toe and finger painting
across a sheet                      Dusty Turnbull



anatomy chart
instead of movie posters                Sprite


a quiet evening
Netflix in one window but
the moon in the other                 Andrew Shimield


hear, hear
chestnuts hitting the roof                 eiko


the railway enthusiast
collects engine numbers
in his book                        Andrew


cold hands
his in hers                        Robert


winter squall
a bloody mary poured
to her satisfaction                   Robert


birth mother finally found
in the mirror                       eiko


cot by the seashore
blossoms fall on
the laughing baby                    Neil Robbie


up to the horizon
a V of departing geese                 Dusty

Tomegaki
The Shisan started a day after London experienced 40 degree C. Not in London myself I was surprised at the hokku offers remarking the record temperature in unique scene sketches. I chose rather a quiet offer, the scene where people are feeling a bit of repose and coolness. Our live session went lively with anatomy charts and Netflix. I then chose a rather square statement on the enthusiast that makes a good contrast with the light and conversational verses. I have to tell that I myself was still under the influence of the film I saw that afternoon in a local community center: Y0KOSUKA1953, the documentary of an American woman’s search for her Japanese blood mother who was from Akiya Yokosuka and from whom she was to be separated in 1953 at the age of 5 . I admit V9 was from the documentary. I could not help but follow Robert's emotive offers with my emotion. It was such a challenge to make V9 work in the total renku flow. Yet, Neil wrote a natural link: Mingling into the sound of Akiya seashore waves, the peel of baby's laughing reached mel. In my humble opinion this blossom verse makes this shisan a readable poem. And we do have a celebratory ageku verse at the end as we supposed to in all renku.

------the end of text-


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