二ヶ国語連句と入試科目としての国語と英語
この秋(2019)話題の英語民間テストをめぐるニュースや言説を読むにつけ、二ヶ国語連句なら、国語英語両科目の力を一挙に判断できるとひとりごと。連歌、連句は共感、共歓、共生の詩。そもそも母国語の他に言葉を学ぶのは多様な人と繋がるためであって、試験のスコアのためではないのだから、これこそ妙案と思います。とはいえ、この妙案、実現不可、その理由を整理してみる。 (文部科学省の皆さんの課題整理になるかも)
(註:二ヶ国語連句に興味を持たれた読者は連絡を。御紹介できる作品集があります。)
1) 中学、高校の国語科という科目で、共生の文学である連句を学ぶチャンスはほぼ皆無。文芸のジャンルとして何世紀にもわたって広く愛された連句は日本文化の背骨を作ってきたにもかかわらず、生徒は連句という言葉さえ知らないで育つ。私自身がそうだった。
2) 日本社会における英語教育の中心軸が、英文学からいつしかESLに変わってしまった。英語教師夏目漱石の悩みは置き去りにされたのである。「ESL」はEnglish as a Second Language(第2言語の一選択肢としての英語)だ。ESLと銘打たれた途端に習う前から目標が下振れしていると気がつかないといけない。是非とも押さえておきたいことは人間の脳は無限に可塑性があることであり、言葉とは技術やテクニックで駆使する外在的な道具ではなく、個人の内部で呼吸する自然物であることだ。
ESLの様々な方法論は残念ながらこの要を明快に抑えていないのが常である、発音、パターン練習は大切だが、発話の核に人が感じられなければ言葉にならない。反対に発話に人が感じられるなら、なまっていても、文法が間違っていても、言葉ではないとは言えないものなのだ。実際そのようにして、子供たちは言語を習得してゆく。ところで、ある年齢を越えたら、自然の言葉として言語を習得することは不可能というのは日本人に多い思い込みであって、例外のない事実ではない。人間の脳の可塑性は生きる限り失われないからだ。
3) 母語を土台にひとりひとりがときに勉強に集中し、機会があれば「英語人」と交流し、自分のペースで、好きなこと、出来ることから伸ばしていくのが言語習得の王道である。教室では何年間も一言も喋らず、教師が忘れた頃にその言葉が必要な場面に遭遇し、相手の目を見てきちんと話す生徒に感激したことがある。外国語だった言葉が自分の言葉になるのがいつなのかは神のみぞ知ることだが、内なる静かな意志が力になる。「ペラペラ話せない」イコール「できない」ではないということを多くの方たちにわかってほしい。話す前の心の動きを、ゆっくり育てることが何より大切。それには連句がきわめて有効である。
4) [英語の4技能はグローバル人材に不可欠なツール]という現政権のお題目は、空疎であるばかりか、英語を母国語にする人々への思いやりにも欠ける。心の襞と切り離せない母国語が、グローバルという形容詞に象徴される共通語化によって踏みにじられていくと感じる「英語人」が多く存在する。 単語や用法が歪められ、大雑把になってゆくことに寂しい思いをしているのだ。ことばは、意味を伝えたら消え去るツールでも記号でもない。そして読むと書くは分けられる「技能」ではなく、話すことも聞くことと不可分である。俳諧を「人となりを作る教養」として大切にした昔の日本人は、言葉とは人間性と不可分であることを熟知していた。 人として心ある言葉の使い手になることを目指し、俳諧の道に入り、研鑽を怠らなかった私たちの先祖を顕彰する気運が残念ながら未だ盛り上がらない。
5) 学校のみならず、会社でも「英語力」とやらが幅をきかせている。昇進につながる能力試験のイメージが定着してしまった感がある。その昔感じられた異文化への憧れや豊かさが「英語」から香らず、銀行の匂いのするデジタルなものになってしまったようだ。小さい子はといえば、学校から帰るやいなや、多色のアルファベットが車体に描かれたバスに乗せられ、キッズ英語塾へ。幼児期と小学校時代の子供たちから、大切な自由時間を奪っている。土台の日本語は生活の中でこそはぐくまれるから、この時期の英語塾通いは危機的状況といえる。たゆたう情操や自由な遊びのないところに連句は生まれない。
6) AET(Assistant English Teacher)やネイティブスピーカーを珍重する風潮は落ちついてきたが、彼らの不安定な立場を思いやる言説に接したことがない。自分の人格、専門性を尊重される雇用ではなく、英語話者なる属性を利用するためのみの雇用は、明治時代の雇われ外国人に比べてもはるかに立場が弱い。自立した教師として、人として遇するべきだ。翻って政府が日本の高校生に受けさせようとしていた民間試験には大人が外国で働く際の資格を問うものまで含まれていた。政府は教育行政としてすべきことを見失っているとしか言いようがない。
7) まず英語の教員免許取得要件を問い直すことだ(今回の騒動は学校現場のあらゆる階層の英語教師たちが、文部科学省と社会から軽んじられている存在である事実を顕在化した)。ひとを軽んじるところに連句は生まれない。
この騒ぎ、今回に始まったことではない。何年も前に中教審は実情を知らない「強み」から、英語の授業は英語でという提言をした。行政に提言する立場の人は、現場を知った上で詳しく具体的なことを語るべきだった。政府が決定に至るプロセス上アリバイ作りに利用された専門家が多すぎると感じる。理想を言えば、日本限定で英語を語る「専門家」ではなく、欧米のみならず世界中に多くの読者を得ている奥の細道の翻訳者、湯浅信之氏(広島大学名誉教授)のような方にこそ、英語教育の方向性について助言を求めて欲しかった。年度末にゴミの山になるESLの教科書と、国境文化を超えて人の心の奥所に生きる文学では比べものにならないのだ。「文学の力を知らないで、言葉を語るなかれ」と言いたい。そして俳文学は俳句だけでは寂しい、俳文、連句、画賛があってこその文芸ジャンルであると思う。
「応えて詠む短歌、映り込む想い」を読む
(Reflections: response tanka)
Pacific-Rim Publishers,2011 ISBN978-0-921358-25-1
この夏文学を通して思いがけない出会いがあった。「加藤周一の知的遺産と世界の中の日本」という日仏会館で行われた国際シンポジウムに登壇するためにカナダから来日したソニア・アンツェンさんである。彼女とはそれまでやりとりしたことはなかったが、最近ひょんなことで互いの本を交換したことから来日を知らせてくれ、東京で初めて会った。
登壇した彼女は数カ国語に訳された「日本文学序説」の著者加藤周一の直弟子という立場で加藤の日本文学紹介の仕事が現在世界各地でどう読まれているかについて論じた。ドナルドキーンの日本文学案内などと比較して興味深かった。そもそも彼女はフランス文学専攻の学生だった時、書道に魅せられ、日本から来た加藤周一特任教授の授業をとったという。そこで古今集の和歌に出会い、その後、禅僧一休宗純の和歌に夢中になり、気がついたら日本文学の学者になっていた人。最近リタイアし、以前から興味のあった連歌の実作を始めている。
初対面ながら、すぐ打ち解け、連句のよもやま話が尽きなかった。彼女の日本語と私の英語のゆるさがちょうど良かったせいもあるだろう。
本題に入る。今回は彼女にもらった表題の本から連歌連句という共感の文芸がどう受容されどう変容しているかを探りたい。二人の名前はSonja Arntzen & Naomi Beth Wakan, カナダに暮らすソーニャとナオミである。
題詠による短連歌
この本は日本の詩歌の伝統にならい部立て形式をとっている。四季、相聞、述懐、老体、歌枕、海、色、本歌取り、雑歌 と「伝統」の部立てが続くこの短連歌集に推理小説作家という部があったりする。
□ 本歌取りはどう説明されているだろうか。この本にある説明は:
「人々の記憶に数知れぬ多くの詩が息づいていた時代の詩作方法、皆に知られている和歌の一部を新しく自分の詠む和歌に入れ込み、成功すれば本歌の意味からの変容が心に爽やかな波を立てる」
*とても素敵な解説だ。俳諧大辞典によると古歌の一部を取り入れ余剰を豊かにする修辞法を本歌取り、踏まえられた古歌を本歌というとある。勅撰集に入っていても一般に知られていないものは不可。蕉門では「本歌を一段すりあげ」本歌以上の働きを発揮する句を作ることが強調されたそうだ。私たちの国の詩歌が時代をまたぎ脈々と人々の言葉を養ってきたことに瞠目する。
日本の現状を見れば古典教育が大切にされない方向への国語教育改変の動きがある。一方、外国には、日本と違う風が吹いている。ソーニャとナオミは日本の古典を本歌として同じ歌から本歌取りに挑戦した。
本歌:
人も世も思へばあはれいく昔いくうつりして今になりけん(玉葉2586)
京極為子(藤原定家の曾孫京極為兼の姉、鎌倉中期の歌人)
英訳
Mankind and man’s world:
think of them and you wonder—
how many ages,
how many changes have brought us
to this moment we call “now”? Kyogoku Tameko
I rarely think
of past times, no longer plan
for future
all that’s left for me it seems
“is this moment we call now” N
訳)過去想わず、もはやプランを持つでなしわれに残るは今になりけん
mind churning
between past and future
trapped in thought loops
no way back to
“this moment we call now” S
訳)過去未来輪廻にはまりぐるぐると今ここ消える今になりけん
*違う切り口で今この瞬間を詠んでいて知的興味をくすぐられます。
□ 歌枕を見ましょう。
筆者たちの説明:「過去の歌からの強い連想効果を持つ地名はポエムピロー=歌枕と呼ばれる。和歌の57577のうちの一行はまるで星座のようにきらめき広がる連想を帯びた特別の地名で、これが歌枕と呼ばれる。現代英語にはこれほど豊かな詞藻となり得る地名はないと思いつつ、私たちは比較的よく知られた地名で短連歌を詠んだ。」
my memories
of London are closer
to Dickens
with his twisted streets and hearts
than what it possibly is now
訳)ディキンズの曲がりくねった筋と道私にとってのロンドンの街
even underfoot
the real streets of London
seem more
like stage sets for films
of Sherlock Holmes and Poirot
訳)踏みしめるこのロンドンの通りだがポアロ・ホームズのセットの如し
*ロンドンは重層的なイメージを持つ街、漱石の残した思い出もある。ロンドンはいい歌枕になるだろう。
□ 推理小説家についての題詠。
日本なら西村京太郎、江戸川乱歩? 彼女たちはスウェーデンのスティーグ・ラーソン(1954-2004)について詠みました。
what does it mean
that forty-five million
have read his books
of sadism, greed and deceit
what could it possibly mean? N
訳)5000万人嘘とサディズムの本読了その意味をつい問うている我
in the shop window
a cute little pillow
embroidered with
layers of skulls and crossbones
what could it possibly mean? S
訳)ショーウインドーのクッションみれば何列も骸骨刺繍なんの兆候?
*昨今は減りましたが、大腿骨と頭蓋骨を十字に交差させた死のイメージを
このんで身につけるファッションが日本でも流行った時期がありました。あれはラーソンの影響だったのか!
□ 潮だまりという題があります。
これは説明がいりません。二人とも美しい海辺に住んでいます。二つの歌が
互いを引き立てています。
tidal pools
sand ripples, water ripples,
sunlight ripples,
what a fine piece of weaving
this beach has produced N
訳)潮だまり砂、水、陽ざしそれぞれの波状の紋の動く浜美し
so vulnerable
this hermit crab grown
too big for his shell
coiled length of his body
soft and wet on my palm S
訳)ヤドカリの殻よりはみで身をよじり我が手のひらを濡らし柔らか
□ ノスタルジア、これは古来連句で言うところの述懐ですね。
he stands behind me
as I play Schubert’s dances
“it makes me sad,” he says
both our eyes brim with tears N
訳)シューベルト弾くわが後ろ夫立ちて悲しといえば二人涙す
at breakfast, suddenly
he remembers all four names
of railways that ran
through his childhood town—
first wintry rains falling S
訳)冬の雨故郷の路線よっつとも唱え出す夫朝の食卓
*ソーニャさんの夫はアメリカ東部の方です。東部には廃線となって久しくもはや人の口の端にのぼらない鉄道網があったのです。
こうして並べられた二人の短連歌には通いあう情趣があります。
□ 人間らしさという題です。
for the third time
I launch the same topic
of conversation,
knowing sooner or later
it will catch her attention S
訳)切り出すは3回目なり我が話そのうち気づいてくれるかしらと
why is it that
when people come to visit N
they talk only of themselves?
maple keys spinning to the ground
seem to have their own axis
訳)訪問客ひたすらおのれ語るなり楓のたねの回転軸よ
*北米の連句の座にメープル・キーはよく出てきます。飛んで回ってひっつく楓のタネにロマンを感じている様子です。いのちはつなぐもの、人は自分にこだわるもの?ということでしょうか。豆のような鞘の形が鍵に似ていることからの命名だと思います。
□ 季節から秋を見ましょう。さすがにカナダという北国、いい歌がたくさんありました。ここで気づきました。季はもっとも基本となる題なのですね。
yesterday, autumn
announced its coming, not
with red tinted leaves
but with a deeper hue of blue
on mountains etched against sky S
訳)きのうまさに秋は来にけり空刻む山容の青インディゴの深さ
a shade colder
the wind from the beach
not obvious
but enough for me to shiver
as the season turns N
訳) 一段階浜風寒し見えねども季節進めば震える我は
clear morning
frost quickly melts in the sun
one small crimson leaf
remains under ice
in an oyster shell hollow S
訳)晴れた朝霜消えゆけば一葉見ゆ真紅に凍る牡蠣殻の中
to tell of “sadness”
first write “autumn” down
then follow
with “twilight,” “ a naked branch”
and “ a heavy shower of rain” N
訳)悲しみを伝える言葉まず「秋」よ続けて「日暮れ」「裸木」「時雨」
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15年前 「れぎおん」という連句誌に〜受容・変容の諸相〜俳諧、燎原の火となって〜という連載をしていました。2000年を境にインターネット上で俳句だけでなく、連句への関心が高まりました。連句形式の式目紹介や英語連句のコンテストが盛んでした。筆者も嬉しさ余って、その紹介や解説を書いていたのです。15年を経て思うのは、形から入る方法には限界があることです。当時様々な連句形式についての質問が海外の俳人たちから来ました。歌仙、賜餐を説明すると、橋關ホの提唱している非懐紙という海外ではまだ知られていない形式が知りたいというのです。「これは違う、俳諧の受容にとって大切なのは付合の心であって、形式を網羅することではない」と伝え、お断わりしたことを覚えています。俳諧は近代的な競争原理やコンテストにそぐわない文芸であると感じています。
ソーニャとナオミは連句受容の熱を横目には見ていたでしょうが、コンテストには参加しませんでした。中世の和歌を勉強したソーニャさんが著名な文人であるナオミさんと「応えて詠む短歌、映り込む想い」を編んだことを喜んでいます。互いを尊敬している同士、伝統形式にこだわらず、触発されて生まれる思いを5行の英語短歌の形で交換した素直な本ができました。二人は生活圏が同じで、無理なく息を合わせることができる関係でした。
さて心をひらく座をどう現代生活の中に現出できるかを考える時、相撲の興行が参考になるのではないかと思っています。一年に6場所ならぬ6回連句の座につくことができれば生活の一部になると思います。それが無理ならせめて
春、夏、秋、冬の4回、4〜5人で集まって句を付け合うお付き合いを、3年
続けてみれば連句は一生のものになるでしょう。
座を知らずにネットの連句だけをするのはリスクがあると思います。人の存在がぼやけ、言葉が尖りすぎるきらいがあるせいかもしれません。リラックスした座の中で、連句の言葉はいつも命の熱を呼吸しています、冷たく固まった言葉ではないことを肌で感じることが一番大切です。
〜〜第6講おわり〜〜
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