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参考資料室

蕪村絵画考―双幅「後赤壁賦・帰去来辞図」を読み直す―   紅 谷 愛

 結
  本図に描かれる人物を蘇東坡・陶淵明としたのは、蕪村がその二人を心の底から尊敬し、大好きであったと判断したからである。それは蕪村の作った句や画の多さという数値的な面からも分かることである。「後赤壁賦図」では、蘇東坡の賦とあわせて観賞することで、蘇東坡が指を指すその先にあたかも名月が浮かび、それを愛でて楽しんでいる様子が想像できる。画だけでみていたら、月の存在など思いもつかないだろう。「帰去来辞図」の場合は、車に乗った陶淵明を中心に描かれている。これもまた、辞とあわせて観賞することで、画中の陶淵明の見ている風景、それを想像できるだろう。私は〈奥深い谷〉という風に考えたが、もちろん違うという意見もあるだろう。しかし、それがまさに蕪村の狙いなのではないかと感じる。蕪村の画は多くを語らず、鑑賞者の想像が加わってひとつの作品に出来上がる、というようなものではないだろうか。なぜなら、蕪村は俳諧を極め、特に連句が有名である。連句とは知的な連想ゲームのようなもので、人と人の考えがどんどん組み合わさって展開していくことに面白味があると私は考える。蕪村もそう考えていたとすれば、画の世界でも同じことをしようと考えたのではないだろうか。つまり、蕪村は「後赤壁賦」・「帰去来辞図」において、蘇東坡・陶淵明と鑑賞者の間に入りそこを繋ぐ存在と言える。蕪村の思惑通りなのか、違うのかはべつとして、私の場合はこの作品を見て、人物はそれぞれ蘇東坡と陶淵明、背景は月を愛でているところと谷を眺めているところ、というように解釈したのである。
  双幅についてのことは、用紙の大きさのことだけでは根拠としては弱いのかもしれない。しかし、本稿で調べたとおり、双幅の場合、用紙の大きさは揃っているのが一般的である。またこの作品は、蘇東坡と陶淵明という生きた時代の違う人の文章の画賛であり、蕪村の中では同じように尊敬した人物という繋がりがあるにしても、双幅にする意味が見つからない。よって、私はこれらの作品が双幅ではなく、別々のものだと考えた。
  本稿で試みた本図の解釈が未熟なものであることは間違いない。しかし、少しではあるが蕪村の文人画、絵師としての蕪村について理解が深められたのではないだろうか。

参考文献

・『蕪村と漢詩』(新装版)
  二〇〇三年四月三〇日初版  著者 成島行雄  発行 花神社
・『近世文藝 九一』
二〇一〇年一月十五日初版  編集・発行 日本近世文学会 代表山田和人
・『与謝蕪村の小さな世界』
一九八六年四月三〇日初版  著者 芳賀徹  発行 中央公論社
・『蕪村全集 第六巻 絵画・遺墨』
   一九九八年三月十五日初版  編集 者尾形仂・佐々木丞平・岡田彰子 発行 講談社
・『蕪村の世界』
   一九九三年三月二十四日初版  著者 尾形仂  発行 岩波書店
・『与謝蕪村の俳景―太祇を軸として―』
   二〇〇五年二月十七日初版  著者 谷地快一  発行 新典社
・『鑑賞日本の古典17 蕪村集』
   昭和五六年七月十日初版  著者 村松友次  発行 尚学図書  発売 小学館
・『陶淵明』
   昭和四十一年十一月三〇日初版  著者 季長之  発行 筑摩書房
・『漢詩大系第17巻 蘇東坡』
   昭和三十九年九月三〇日初版  著者 近藤光男  発行 集英社
・『蘇東坡』
   一九八三年三月一日初版  著者 田中克己  発行 研文出版
・『画俳二道』
   一九九〇年八月八日初版  著者 瀬木慎一  発行 美術公論社
・『与謝蕪村』(新装版)
平成八年十一月一日初版  著者 田中善信  発行 吉川弘文館

〔付記〕本稿は平成二十二年度に東洋大学文学部日本文学文化学科卒業に際して提出された卒業論文である。(谷地)