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参考資料室 |
芭蕉の紀行論 ―『おくのほそ道』を中心に― 丹 野 宏 美
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第三節 巧みな構成
『ほそ道』の構成論については、古くから連句構成論が盛んにおこなわれている。一方で、旅程を中心とした構成についての分析論考も数多く出されている。
これらの論は、堀切実氏が指摘されるように、「具体的な連句形式に当てはめて考えようとする場合、芭蕉には今日便宜的に分けられている章段意識があいまいで、大いに問題となり(中略)旅程中心の構成論にしても綿密に見ていくと諸説ともかなり強引で、不自然な感じがする。(中略)それがそのまま芭蕉の創作意識に重なるものかといえば、必ずしも断定できない」(注74・75)という面がある。ただ読み手の側として、中には興味を惹かれる論も多々あり、その一つの立場に立って『ほそ道』を読めば、この作品が巧みな構成をしているといえる側面があり、この紀行全体に対す理解が深まることも事実である。
そこで本論はここまで、『ほそ道』の特徴を様々な視点から確認してきたが、それを振り返ってみると、私見としては、尾形仂氏の「〈月日は百代の過客〉に始まり、〈行く春〉〈行き秋〉をつなぐ線を底辺とし、〈平泉〉の章を頂点とする三角形の構図を通して、流転の相に身をゆだねることによって、永遠なるものにつながろうとする俳人としての芭蕉の到達した人生観・芸術観を総合する〈不易流行〉の理念を大きく訴えかけている」(注76・77)という見方と、基軸を一にしており受容したいと考える。
そうした前提で考察してみると、旅のクライマックスの舞台となった平泉までの前半部では、漂泊の思い、前途への不安・艱難などを全面に滲ませ、目的も歌枕・名所・旧跡探訪となり、話題も歴史上の硬い話題が中心であった。交歓する人にも館代や郡代などがある。それに旅路の前途への不安・苦痛を露骨に表し、なぜかひたむきに助力する人との出逢いが多い。
ところが、後半部となる尿前の関や苦難の山越えのあたりから少しずつ変化がみられ、出羽に入ると、前章で述べたとおり、出会いや自然・気象と向き合う姿勢にも安らぎや余裕を見せ、新たに芽生えた風雅の理想を、門人たちと確認する趣が中心となっていく。
話題にも現われ、句の題材が古典的なものを背景にしながらも、小動物(蚤虱・ひき・蚕・蝉・鶴・みさご・きりぎりす・蛤)や、植物(紅花・芦・ねぶ・萩・瓜・茄子)及び気象(雨・雪・月・天の河・風)など、身近で日常的な軽いものに大きく変化する。
とはいえ出羽三山や象潟では、和歌・漢詩や故事を踏まえ、松島に比して一段と文字数が多く、語調も強められ改まった書き方になって、出羽に入る前の固い話題と出羽に入ってからの安らぎや余裕ある姿と逆転している表現となる。
久富哲雄氏が「松島の明るい風光に対して、裏日本の一種沈鬱な感じのする風光を擬人法によって巧みに表現している」(注78)と、指摘されるような趣向をこらしているのである。右のような明と暗の対象でみると、象潟の件では、「松島は笑ふがごとく、象潟は憾むがごとし」の表現となる。
また同じ明神参拝であるのに、前半部の塩竈では早朝に詣で、「宮柱ふとしく、彩椽きらびやかに、石の階九仞に重なり、朝日朱の玉垣をかかやかす」の表現であるが、後半部の敦賀の気比では夜に参拝し、「社頭神さびて、松の木の間に月の漏り入りたる、御前の白砂、霜敷けるがごとし」の表現となって、松島と象潟に対応する明暗となっている。
ただ、これらの明暗は、表(太平洋側)と裏(日本海側)の地形・風光・景色あるいは社殿・社頭の物的雰囲気をいわば観念的に表現したものである。実質的にみるとむしろ後半部においては、前述のように触れ合う人との関係が気軽さを帯び、題材も日常的な身近なものに変化し、また第二章第四節で記したような艶なる色彩を帯びる局面もあり、明らかに明暗が逆転している。
このような前半部と後半部の記述の趣向を、もうすこし、旅程に従って個別にみていくと、先ず大石田で「この旅の風流ここに至れり」と晴れ晴れとした感慨を吐露するが、このことは前半部の須賀川の等窮宅で「風流の初めや」の句に初めて陸奥に入った緊張感を込めたことに見事に呼応させている。
越後路においては、「暑湿の労にて神を悩まし、病おこりて事をしるさず」として注目されるが、前半部の飯塚の里のように、持病を原因とした「病おぼつかなし」というほどの悲壮感もなく、むしろ余分なことは記さずに、星合の夜に、哀愁を秘めて流人に思いを致した、雄大な次ぎの句にすべてを委ねている。
荒海や佐渡に横たふ天の河
この越後路から金沢へは、先を急いでいるような表現となり、短文が目立ってくる。「加賀入りの前奏とした紀行文の配列の妙」(注79)という見方もあるし、舞楽・能などの「序破急」の「急」の形式を踏んでいるとも考えられる(注80)。
ともあれ文の運びとしては左記の句のように、金沢で一笑を慟哭の叫びのよう追悼し、また小松の多太神社では、義仲ゆかりの武将・実盛の壮烈な最期を、感慨を込めて詠う舞台が設定される流れになっている。
塚も動けわが泣く声は秋の風
むざんやな甲の下のきりぎりす
前の句は、秋風の悲秋という本意によって率直に感情を表現し、後の句は心とことばを一つにしており、前半部の歌枕中心の荘厳な雰囲気と一味違った、人生劇のように真に迫った表現となっている。
また、後半部の敦賀の宿で仲秋の名月を期待しながらも、この地の陰晴は当てにならな
いと十四日の月を観て、主に勧められた酒を飲み、種の浜では侘しい寺で「酒を暖めて夕暮の寂しさ、感にたえたり」と、漂泊を強調した前半部より自然体で、「寂び」を漂わせる旅心に情緒深い風情がある。
名月や北国日和さだめなき
待望の月が見られないことを慨嘆した句だが、むしろ終着を目前にして、ここまでに育んできた天地自然に則った造化隋順の思想を、さりげなく吐露したものであろう。
尾形仂氏が、「芭蕉晩年の〈軽み〉の俳諧は、この句のように一切の芸術的身構えを捨て去って、人間同士の赤裸々な日常の哀歓の中に詩を探り、それを日常のことばをもって表現しようとしたもの」としながら、「〈軽み〉」の世界へと抜け出していく過程を象徴している」(注81)と述べられている。まさにこのところでは、ゆったりと自然や人の輪の中に溶け込んでおり、前半部に芽生えた「不易流行」の理念を踏まえたうえで、「軽み」へ進もうとする後半部を特徴づける一コマとなっている。
このように、この紀行を旅の性質や表現の仕方など様々な視点から見たときに、前半部と後半部には明らかな区別すべき特徴があり、その三角形の底辺には、芭蕉が到達した人生観、芸術観を総合する「不易流行」の理念を訴えかけている構成となって(注82)、全体として風雅的世界の理想図を主張している。このような巧みな構成が『ほそ道』の魅力であり、構成論も多岐にわたって論考がなされる由縁ともなっている。
第四節 好調な文のリズム感と夢幻能
『ほそ道』が人々に享受される側面に、意味内容・文の構成に対応して文のリズム感が好いことと、この紀行を終始貫く心象として夢幻能の世界がある。
まず冒頭の「月日は百代の過客にして・・」に始まって、この文の朗読を楽しむ愛好家が多い。一般的な朗読に加え、詩吟のように吟詠したり、謡曲のように謡ったりして楽しむこともできる。いずれの方法によっても、繰り返し朗読することによって、諳んずることも可能となり、『ほそ道』の全文が、読む人の心の財産となっている。
古典文学作品を朗読する喜びがあることは、『ほそ道』という作品に限らない。『平家物語』『徒然草』『方丈記』等々がある。ただ、文のリズム感の面からみれば、これらは冒頭の部分に特徴を示すのであるが、『ほそ道』は全体として前述のように多様な方法で朗読する魅力があり、旅の光景や能舞台をイメージするような独特の響を持っている。
さて文のリズム感の好さは、この紀行全体に流れているが、筆者が特に好感を持つのは、「壺の碑」の章の「昔よりよみ置ける歌枕、多く語り伝ふといへども、山崩れ、川流れて、道改まり、石は埋もれて土に隠れ木は老いて若木に代われば、時移り、代変じて(中略)千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。(中略)覇旅の労を忘れて、涙も落ちるばかりなり」の響である。
尾形仂氏は「この章は『ほそ道』のクライマックスと考えられる『平泉の章』に先立つ前奏を奏でるものであり、また出羽三山の〈降り積む雪の下に埋もれて、春を忘れぬ遅桜の花の心〉の〈わりな〉さへの注視はその余響を受けたものである」(注83)としている。
以上のことは、前節で触れたように、「平泉の章」を頂点とする三角形の構成に関して述べられたものであるが、声を出して読む文のリズム感のうえからも、この三つの章段は、前奏、クライマックス、余響といった響をもって好調に読むことができる。
このような好調な文のリズム感は、冒頭の「月日は百代の過客にして・・」のような漢文訓読体のところ、続く「旅立ち」のように章の中で和文体と漢文体を使い分けているところ、さらに「那須野」の章のように和文体中心の文に会話体を導入しているところなど、その時々において、文体の変化を効果的に導入した美文調によるものであると共に、それに融合した形で、句が巧みに配されているからであると考える。
この表現方法は、紀行全体の巧みな構成と相まって臨場感や躍動感を演出するとともに敬虔さや感激・哀感などの高揚した精神や感情を表現するのに効果的であり、句文融合の特色も絶妙に発揮されている。そしてそのようなことは、声を出して読んでみることによって、なお一層実感できるのである。
ところで、尾形仂氏は、「この旅の日光での句の〈あらたふと〉の声調や遊行柳での〈田一枚植ゑて立ち去る〉という自己の旅姿の夢幻劇的形象化も、ワキ僧の擬態にもとづいている」(注84)と指摘される。また、久富哲雄氏も、「冒頭から草加の章までは、謡曲の序の段の構成にならって執筆されているように考えられる。(中略)主人公〈予〉と同行者〈曾良〉に能の脇僧とそのツレのように見立てている」(注85)と述べる。このことは、第二節・句文融合の「遊行柳」の件でも触れたところであるが、この紀行全編の様々な局面における謡曲の物語的側面を端的に表現している。このように、この紀行を能との関連で読むことは、諸説においてもしばしば行なわれているように重要である。
ともかく、「松島の月まず心にかかりて」と江戸を立ち、同行曾良と「松島・象潟の眺めともせんことを喜び」と歩く姿や、実際に松島・象潟の眺めを目前にした件を、能舞台に見たって読むと、格段に面白さが醸し出されてくる。
蛤のふたみに別れ行く秋ぞ
久富哲雄氏の「能舞台風に言うならば、舟に乗った脇僧が声高らかにこの句を吟じ、〈行く秋ぞ〉の声を響かせながら揚幕の中に姿を没するという情景であろう」(注86)とする解釈は、作者の「人生は無限に続く旅である」とする人生観そのものである。
少なくとも、『ほそ道』は、こうした文のリズム感と夢幻能の彩によっても、人々から享受され、伝えられる可能性を秘めた魅力を持っている。
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