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参考資料室 |
芭蕉の紀行論 ―『おくのほそ道』を中心に― 丹 野 宏 美
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四.結論
『ほそ道』は、まぎれもなく芭蕉と切り離された虚構の世界の主人公「予」が、風雅の道一筋に漂泊を続けた旅の物語である。
その主人公の心は、自然や人々との出会い、歌枕・史跡探訪、古典ならびに日常素材との調和の中で巧妙に変化し、その時々において感じた真情を、事件や天災あるいはどんでん返しなどのように、大袈裟な題材として展開することなしに、高い教養に基づいた独創的な虚構性と巧みな構成によって表現され、この紀行は新たな文芸として描かれている。
結論的に見ると、「『ほそ道』は作者自身の考えている「風雅の理想的世界を描いて見せた」(注87)もので、その意義は『ほそ道』の旅の性質・目的・行程や出会い、そして表現の特徴及び新しさなど、文章のあらゆる面に散りばめられている。言い換えれば、この小論の各章各節で述べた全てが連なって、その魅力を発揮している。
その中に、不易流行という新たな芸術観を確認すると共に、四囲の身近な日常性の中に詩情を感じ取り、当為即妙的に感じたまま句文にする芸術の境地、すなわち、その後、門弟に説き普及に努めた「軽み」という表現の芽生えがあり、独創性があった。
もう一度、作者の足取りを辿ってみると、二十九歳の年に俳諧師として立つために江戸に下ってから、談林俳諧宗匠を経て、漢詩文調を通過し、いわゆる風狂の境地を経験してきた。そうした経験から、新たな創作の世界に目覚め、そこには言葉遊戯は最早論外として、風狂にも飽き足らず、それを包摂した風雅の理想という芸術的開眼が見出される。
それは『ほそ道』という作品のなかで、古人に語りかけ、その時々に出逢う様々な人と対話し、さらに小動物や植物、敬虔な自然との触合いをとおして、滑稽という俳諧が風雅の文学に到達するという物語でもあった。芸術の文言を多用することは、軽率のそしりを禁じえないが、このようにして、『ほそ道』は単なる道行文でなく、風雅的世界の理想図を見事に実現した芸術作品となったのである。
敷衍してみれば、芭蕉は漂泊の人生行路の中で、生活が芸術化され人生すなわち俳諧(芸術)といった視点から、この紀行をとおして、見たまま感じたままを、「自然と自己」そして「心とことば」を一体化させながら、不易流行という芸術観のもとに、自然や人間の存在と心情を描写し、究極において風雅的世界の理想図を表現した。
そのために作者はまさに全人格を貫いて、この人でなければ書けない表現の仕方をし、句文が融合し全体的に好調な文のリズム感をもつ詩文となった。ここに、『ほそ道』の魅力の全てがあり、文学があり芸術性があると評価される所以がある。
以上のように『ほそ道』は、読めば読むほど、実際の旅や作者の存在を捨象してそれから独立した文学作品として輝いており、一言一句に触れる楽しみを味わうことができる。
無論、作者が不世出の俳諧師として、その足跡が高く評価されることはいうまでもないが、この紀行は、「文字」を通して、ものごとの真理・真情を永遠に語りかける文学作品の存在理由そのものをも、主張しているように思われる。
五.あとがき
昔紅花今さくらんぼ翁道
筆者の父が、平成元年に『おくのほそ道』三百年を記念して作った句である。父は生涯にわたり、最上川河畔でさくらんぼ栽培をしながら、少年の頃より六十年以上も句作を楽しみ、平成二年、芭蕉が、「行く秋ぞ」と旅立った九月六日に、夜空の星となった。父からは、俳句に関して何一つ教訓めいたことを耳にすることはなかったが、亡くなる直前に、写経のように、『ほそ道』を自分で丁寧に毛筆した和装本を送ってもらっている。都塵にまみれて働く息子に、『ほそ道』の誠を、エールとして送ってくれたものと思う。
新都庁 星合の夜に 父偲ぶ
翌年、勤務先が新宿に移ったとき、夜遅くまで仕事をしていた頃の筆者の拙句である。あれから約二十年、職から離れ改めてあの冊子を手にし、『ほそ道』が輝きを放ち、父をはじめ多くの人々に感動を与えてきたこの紀行の魅力について学びたいという思いと共に、長年にわたる心の濁りを清めたいという願いから、東洋大学文学部通信教育課程の門を叩いたところであった。目的の達成は思い半ばであるが、「この小論に臨んでよかった」という言葉が、今、自分の口から自然に漏れてくるのである。
原稿用紙にして、わずか四十枚ほどの『ほそ道』を論ずるのに、その倍以上の紙幅を要したのは、筆者の能力が稚拙であることに起因することは確かだが、この紀行の表現の一字一句が限りない想像力を膨らませることも事実であり、今後も引き続いて『ほそ道』を読み続けていきたいと決意している。
最後に、基礎演習、山寺でのスクーリングなどを通じ、『ほそ道』の魅力を学ぶきっかけを提供して戴き、且つ、親身になってお導き戴いた谷地快一教授をはじめ、多様な文学文化に関し熱心にご指導を賜った諸先生、また常に励ましの言葉を頂戴した多くの学友に、深い感謝の言葉を述べさせて戴きたい。そして、終始静かにみていてくれた家族にも、意のあるところを記しておく。
○引用文献・参考文献 (資料別・出現順)
1 頴原退蔵・尾形仂訳注『おくのほそ道』(角川学芸出版・二〇〇三年三月二五日)
(注1)全般
(注4)三一七から三三一頁
(注6)三二二頁
(注31)九九頁
(注34)一六〇頁
(注38)一九九頁
(注46)一一二から一一三頁
(注68)一一九頁
(注79)一三四頁
(注84)三〇六から三〇七頁
2 井本農一・久富哲雄校注・訳『新編古典文学全集・松尾芭蕉集A』
(小学館・一九九七年九月二〇日)
(注2)全般
(注5)三〇三頁
(注15)二〇六頁
(注17)四七頁
(注21)四八頁脚注
(注25)四四・五八三頁
(注36)七八頁
(注60)五七九頁
(注63)四七頁脚注
3 阿部喜三男・阿部正美・大礒義雄校注『古典俳文学大系6・蕉門俳諧集一』
(集英社・一九七二年一月一〇日)
(注3)一九頁・五四頁・四四九頁
4 松浦友久『李白詩選』(岩波書店・一九九七年一月一六日)
(注27)三三五頁
5 久富哲雄『おくのほそ道全訳注』(講談社・一九八〇年一月一〇日)
(注13)三三四頁
(注29)八二頁
(注30)一三九頁
(注32)二四四頁
(注35)五〇頁
(注44)三四七頁
(注59)三四三頁
(注62)三四三から三四四頁
(注69)二〇七から二〇八頁
(注78)二四七頁
(注85)二一頁
(注86)三二七頁
6 今栄蔵『芭蕉その生涯と芸術』(日本放送出版協会)(一九八九年九月二〇日)
(注11)八一から八二頁
(注23)一六七頁
(注53)一五九から一六〇頁
7 井本農一『芭蕉ーその人生と芸術』(講談社・一九六八年六月一六日)
(注7)八五頁
(注8)九〇から九一頁
(注22)一九二頁
(注24)一九二から一九三頁
(注26)二一三頁
(注33)一四二頁
(注51)一五〇頁
(注56)一五七頁
8 尾形仂『芭蕉の世界』(講談社・一九八九年四月一五日)
(注9)三八頁
(注12)一四七頁
(注57)二九七頁
(注76)二六二頁
(注81)二六五頁
(注82)二六二頁
9 谷地快一『えんぴつの旅・松尾芭蕉・野ざらし紀行』
(マックス・二〇〇六年八月一〇日)
(注10)二三頁
(注14)一頁
(注72)二三頁
(注73)同右
10 尾形仂『芭蕉・蕪村』(岩波書店・二〇〇〇年四月一四日)
(注16)一四二頁
(注77)七七頁
(注83)同右
11 井本農一『芭蕉入門』(講談社・二〇〇七年二月二〇日第三九版)
(注18)一一〇頁
(注52)一三五頁
(注61)一二〇頁
(注87)同右
12 上野洋三著『芭蕉の表現』(岩波書店・二〇〇五年一一月一六日)
(注19)三〇頁)
(注20)三一頁
(注43)二五八頁
(注47)二三九頁
13 堀切実『おくのほそ道・永遠の文学空間』(日本放送出版協会)
(注28)三〇頁
(注40)二四一頁
(注66)九六から九八頁
(注80)二七九頁
14 堀切実編『『おくのほそ道』解釈事典』(東京堂出版・二〇〇三年八月一日)
(注37)四五頁
(注45)四二から四三頁
(注67)一三四頁
(注74)二三五頁
15 松隈義勇『『おくのほそ道』の美をたどる』(桜楓社・一九九〇年一〇月二〇日)
(注39)一八四頁
16 松尾靖秋・丸山一彦校注『近世俳句俳文集』「芭蕉翁終焉記」
(小学館・一九七二年二月二九日)
(注41)四八三頁
17 萩原恭男『資料日本文学史近世篇』(おうふう・二〇〇三年十月二〇日重版)
(注42)三七頁
18 三木紀夫『徒然草』(講談社・二〇〇七年一月二二日第四〇刷)
(注48)一〇八頁
19 阿部秋生他校注・訳『古典セレクション・源氏物語@』
(小学館・二〇〇八年四月一〇日)
(注49)一九三頁
(注50)二三八頁)
20 飯野哲二『おくのほそ道の基礎研究』(思潮社・一九三九年九月二五日)
(注54)五四三頁
21 大礒義雄・大内初夫校注『古典俳文学大系10蕉門俳論俳文集』
(集英社・一九七〇年九月十日)
(注55)三頁
22 頴原退蔵校訂『去来抄・三冊子・旅寝論』(岩波書店・一九九三年八月一八日)
(注58)六四頁
23 国立能楽堂営業課『国立能楽堂第三一五号』
(日本芸術文化振興会・二〇〇九年一一月四日)
(注65)四から五頁
24 片山由美子・谷地快一他編『俳句教養講座代一巻・俳句を作る方法・読む方法』
(角川学芸出版・二〇〇九年一一月一五日)
(注70)一八六頁
25「新編国歌大観」編集委員会『新編国歌大観第一巻・勅撰集編・歌集』
(角川書店・一九八七年十二月二五日第四版)
(注64)二二一頁
(注71)三二頁
26 堀切実『おくのほそ道・時空間の夢』(角川学芸出版・二〇〇八年五月一〇日)
(注75)五八から六一頁
☆ ☆ ☆
○他の参考文献
1 饗庭孝男『芭蕉』(集英社・二〇〇一年月二二日)
2 安東次男『芭蕉七部集評釈』(集英社・一九七八年)
3 麻生磯次『俳句大観』(明治書院・一九七一年十月一五日)五七・一一三・一二四頁
4 片山由美子・谷地快一他編『俳句教養講座代二巻・俳句の詩学・美学』
(角川学芸出版・二〇〇九年一一月二五日)
〔付記〕本稿は平成二十二年度に東洋大学文学部日本文学文化学科卒業に際して提出された卒業論文である。(谷地)
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