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参考資料室

現代短歌論―穂村弘の〈わがまま〉―        安 池 智 春

三、〈わがまま〉がもたらす穂村短歌の弊害

(一)現代社会に通じる〈わがまま〉の問題点
短歌における「座標軸の消失」それは短歌を詠むものという立場から言えば、短歌を詠むにあたって短歌の歴史、そして社会の中にいるという意識のなさのことである。意識的に無視しているのか、あらかじめ持たない者であるのかは個人によって違うだろう。では彼らがどこに立って歌を詠んでいるのかというと、「自分の世界」である。
  ここで感じられるのは、短歌を詠まない人々―世の中の大多数の人―の中のいわゆる
現代の若者との共通点である。一般人である彼らの殆どがネット上に個人のページを持ち、プロフィール、日記、写真を掲載している昨今である。彼らは自意識が強く、自己表現をしたがり、何よりも他人との差異化を図っているように思う。
  もちろん過去にも自意識の強い若者というのはいた。むしろ自意識の強さ=若者の象徴であり、彼らは他人との関係に、社会の重圧に、未来への不安に苦しんでいた。そしてそういったものたちがやがて立ち向かっていく場所、自己を表現する場所というのはあくまでも人が生活してきた時間という歴史の中であったし、社会の中であった。
  しかし「自分の世界」を信仰し、その中で生きる現代の若者は、社会や歴史の中で差異化を図るというよりも、同じく「自分の世界」を持つ他人との差異化を試みているのだ。「自分の世界」を持つことを自己表現とし、「自分の世界」を比べあう彼ら。それでは、何でもあり、バリエーションが増えるという意味で横に広がっていっても、高めあう、素晴らしいものを生むという意味で縦に伸びないのではないか。
穂村も自己を表現するのに短歌という定型表現を選んだのだが、手ぶらでは上手くできなかったことの手助けでありつつ自分にはこれだ、という感覚以外にもやはり他人に見てもらいたい、評価されたいという気持ちがあったと思う。そして評価というものには、他のものと相対化されることを宿命的に孕んでいる。何と相対化されるか。それは過去の歌全てだといえよう。それらの歌もまたすべて他の歌と比べられてきたのである。それは短歌の歴史に他ならない。
短歌を選んだ時点で、その歴史は常に共にある。決して〈わがまま〉だからといって逃れられる物差しではないのだ。短歌という表現方法は、自分ひとりのものではなく、短歌の歴史の共有財産なのである。目的とその表現の場のあり様の矛盾が感じられなくもない。

(二)近年の作歌活動
【短歌、定型を選んだということの必然性の揺らぎ】
連作「シンジケート」で角川短歌賞次席となり、歌人としてデビューした穂村弘。徐々に歌壇以外からも認知され、知名度が上がった彼は略歴からもわかるように現在では詩、エッセイなどと、その表現の幅を広げている。
愛の希求の絶対性が現実の愛の成就のビジョンを超越することを名歌の条件に挙げたが、これは表現のジャンルを選ばない原則ではないだろうか。つまり愛の希求がその成就によって完全に報われたとき、人は表現の根源的なモチーフを喪失して、その作品からは真の力が失われると思うのだ。   (穂村弘『短歌という爆弾』)
皮肉なことにこれは近年の穂村自身にも当てはまるのではないだろうか。
二〇〇三年に自身のベストセレクションと、東直子との共著である散文+相聞歌、この2冊の歌集を出版して以来、穂村の作歌活動は、不定期に雑誌に連作が載せられる程度に留まっている。そしてその年を境にして、目立つのはエッセイ集の数である。
近年歌をあまり詠まなくなったのは、「愛の希求」が「成就」したこと、そして自己表現の場所をエッセイ、散文に新たに見つけたからではないだろうか。
それは短歌を無意識のうちに自己表現方法として選び取ったというが、それが短歌、定型であることの必然性、代わりの効かなさに揺らぎが出てきたということである。
穂村の自己表現方法として短歌という定型を選択したことが誤りだったということではない。もっと言えば、揺らいだものは短歌だけを詠む必然性である。そして揺らぎが出てきた理由は、内面の変化に依るものだと思われる。
心を引き絞り、言葉を最良にまで吟味する。歌を詠むということは「愛の希求」だからであり、それが穂村自身の歌論だからだ。しかし不自由の自由の中で、言葉で自己を代わりが効かないものにまで磨きあげる季節を越えたのである。
時の流れとともに年を重ねた今、青春期を過ぎて「何者かでありたい」という願望と「素晴らしくないなら、俺は死んじゃうよ」という焦りが消えたのである。将来はない。今が将来であり、もう何かである必要はない。素晴らしくある必要はない。目指す愛に未だ到達していなくても、希求する心が弱まった。今の穂村には読めない青春という時期の歌を詠むのに、少女という形を借りたのだと考えると、『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』という奇妙な歌集が出来たのにも納得がいく。歌が生まれなくなるのはある種予想できた事態なのだ。