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参考資料室 |
現代短歌論―穂村弘の〈わがまま〉― 安 池 智 春
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■結論
【歌人・穂村弘の未来】
散文という囚われることのない世界で、思うように意見を述べる。今穂村は「愛の希求」から離れ、より具体的で現実的な自己表現を行っている。しかしそれは具体的で現実的で在るがゆえに、平行に伸びていく世界、現実世界での自身のあり様という自己表現だ。彼にとっては下位の感覚であり、本質は垂直方向にある「神」に短歌による「愛」でせまろうとする「ひとりの信仰」という上位の感覚にあり、それあってこそのものである。歌で言葉と自分の世界を磨き上げたからこそ、多くの人をひきつけるエッセイが書けるのだ。
穂村は短歌を離れても、短歌を忘れてはいない。「自己表現」、「自己顕示欲」に固められているように思える創作理由であるが、読者はそこから生まれる歌に心を揺さぶられる。それは理由の源泉とも言える〈わがまま〉な信念が透き通っているからだ。
オレは自分の歌で読者を凍りつかせたいと思うし、あるいは焼き尽くしたいと思う
(3)
この言葉には誰もが心打たれるだろう。表現者として、これほど頼もしく美しい魂はない。短歌で打ち出す「世界」という〈わがまま〉のみで、全てのものを魅了しようとする。それが一瞬のきらめきではないかと危惧する声に穂村は言う。
違うね。本当に正しく詩人として永続するためには、つねにそのラインを越える意識 がないといけないと思う。常軌を逸した未知への憧れだけが生命線なんだ。 (3)
穂村は短歌を信じている。〈わがまま〉を愛している。それはまさに「信仰」なのだ。現
代短歌に最大のショックを与えたとされるが、何故そう呼ばれるまでに至ったのか。それ
はその「信仰」の強さに「魅了」されている読み手がいるからに他ならない。信仰に疑い
や説明はいらないように、穂村の歌を解凍しようとして結局はしきれなくても、語句の愛
らしさ。音の不思議な響き。広がる意味のイメージ。それは呪文のようでもある。自身の
歌論に自身の歌が届いていないこと、それは穂村もとうに気付いている。だからこそ「凍
りつかせたい」、「焼き尽くしたい」と思う限り、彼はずっと歌を諦めたりしないだろう。「究極の一首」がまだ生まれていない故に。
■引用文献
(1)穂村弘「〈わがまま〉について」『短歌』九月号(角川書店、一九九八年、九月)
(2)「早稲田短歌会」三二号(二〇〇一年)http://wasetan.fc2web.com/32/homura.html
(3)穂村弘、小高賢、吉川宏志「ぼくらで『新しき短歌の規定』をしてみよう」『短歌』一月号(角川書店、一九九九年、一月、一四二〜一七三頁)
(4)穂村弘「この作品がなぜ短歌か」『短歌研究』十一月号(短歌研究社、一九九二年、一一月、八二頁)
(5)小池光「この作品がなぜ短歌か」『短歌研究』十一月号(短歌研究社、一九九二年、一一月、七三頁)
(6)穂村弘「鍵」『短歌』四月号(角川書店、一九九二年、四月、二〇二頁)
(7)加藤治郎「明日の口語短歌研究のために」『短歌』九月号(角川書店、二〇〇六年、
九月、一〇八〜一一二頁)
(8)東直子「文語の重みをスパイスに」『短歌』九月号(角川書店、二〇〇六年、九月)
(9)萩原裕幸「自己像をめぐって」『短歌研究‘04』一一月号(短歌研究社、二〇〇四年、一一月、五二〜五三頁)
(10)「衝撃と感動はどこからやってくるのか『短歌という爆弾』(小学館、二〇〇〇年、四月
(11)藤原龍一郎、穂村弘、永田紅「短歌を読む=圧縮と解凍の新ルールを持ち込む」『短歌研究‘04』一一月号(短歌研究社、二〇〇四年、一一月、二八〜四七頁)
(12)加藤治郎、俵万智、穂村弘「現代短歌この二十年」『短歌』一二月号(角川書店、
二〇〇六年、一二月、一四四〜一六四頁)
■参考文献
・穂村弘『シンジケート』(沖積社、一九九〇年、十月)
・穂村弘『ラインマーカーズThe Best of Homura Hiroshi』(小学館、二〇〇三年、六月)
・穂村弘『短歌という爆弾』(小学館、二〇〇〇年、四月)
・『短歌ヴァーサス』第二号(二〇〇三年、十月)
・竹内寛子、穂村弘「うたと人間」『群像』一四号(講談社、二〇〇二年、一二月)
・小川太郎「『私』の現在」『短歌』八月号(角川書店、一九九二年、八月)
・ 藤野千夜「『彼女』との微妙な関係」『文学界』一〇月号(文藝春秋、二〇〇一年、一
〇月)
・ 川上弘美、穂村弘「恋人に期待なんてしない」『ユリイカ』第三五巻第一四号(青土社、
二〇〇三年、一〇月)
・栗木京子「こだわりの美学」『短歌』八月号(角川書店、一九九九年、八月)
・大滝和子、三井修、高野公彦「作品季評36」『短歌研究,00』一一月号(短歌研究社、二〇〇〇年、一一月)
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