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論文を読む会議事録 |
堀切実先生の「不易流行」発言を読む
―日常の俳句創作にどのように活かすか― |
根本文子 |
最初に、川本先生の論文に共感する点として「不易流行」を「論」としてのみ扱うのでなく、現代俳句の作風の問題として投げかけている点をあげている。そして、「不易流行が現代俳句にとってどのような意味を持つか、何が問題か」について提案している。以下に要約しよう。
日本の詩歌はずっと題詠主義であり、和歌史でも『古今集』以来題詠が70%である。題詠とは、ある題があって、その題について詠むもの。季題はその一つ。実際に吟行して詠むのは例外であった。近世には新しく写実的な要素が入り、太宰春台や村田春海によって題詠に対する批判や疑問も出る。又、香川香樹のように題詠と実景実情を止揚しょうとする立場に立つ者もあらわれる。しかし、題詠から全く離れることはなかった。その中で芭蕉は例外で、題詠が比較的少ない。蕪村は80〜90%が題詠である。題詠に対立するのが実感や実情で、詩歌の歴史はこのせめぎ合いの中で続いてきた。「古池や〜」の蛙について言えば、鳴き声が「題」、あるいはこれを「本意」とも言う。それに対して飛び込んだ音は実感であるから、この句は「題」と実感のせめぎ合いから生まれた句と言える。この「題」を不易、「実感実情」を流行と見れば、その両者のせめぎ合いの復活ということで、現代俳句への提案になるだろう。つまり実感写生だけでなく、「題」のもつ伝統の重み、意味のふくらみを活かす、写生と伝統的詩情との両方が必要である。
不易流行は一種の世界観として発想されると同時に、文学表現の方法論でもある。芭蕉はこれを統合して「風雅の誠」と言う。これを追求して行くと不易も流行も一つである。芭蕉の言葉に「高く心を悟りて、俗に帰るべし」があるが、この俗が流行で、心は不易とも考えられる。去来や支考が不易の句、流行の句と分類していることは、ある意味で芭蕉の真意に反しているとも言える。また芭蕉の句のなかには一見、みたままの景色の句に見えても、実は触覚など他の感覚の働きがある(触覚表現)。感覚的に含みのある鋭い句があるわけで、これが芭蕉が単なる題詠主義ではなかったことの一つの証拠だろう。
以下に感想を述べる。長い年月に培われた「題」の本意を理解し、そこに今の自分の実感実情を重ねて、或いはぶつけて、そのせめぎ合いの中に新しいものを見出すこと。それが不易流行を創作に活かすことになると理解したい。現実には難しくもあるが、これを心の芯に据えて、日々努力したい。ただ題詠という言葉の正確な理解については、整理確認する必要があると思う。古池の句を例にとれば、伝統的和歌題である「蛙」を詠みながら、それを責めて、本意とは別の実感をとらえ、その新しさが評価されている。この場合、これを題詠と呼べるのかどうか。つまり、題詠とはあらかじめ出ている題を詠むだけでなく、その題の本意に添って詠むのかどうかまで含んだ世界であるというお話のようにうかがった。芭蕉に題詠が少ないと言う場合、例えば旅の人生を送った結果というより、古来の題を責めて、実感実情に添う新しい本意を獲得した結果であると理解してよいのだろうか。なお、芭蕉が単なる題詠主義でなかった証拠として、五感を重複、補完させているという指摘に共感した。その時「海暮れて鴨の声ほのかに白し」という句が思い浮かんだ。読み終えて、つねに「風雅を責める」心こそ、創作における不易に違いないと思った。
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