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白露もこぼさぬ萩のうねり哉
芭蕉 (真蹟自画賛・秋・元禄六)
萩がこぼすものは萩の花ときまっているが、その花はもちろん、花に置いた白露さえこぼすことなく揺らめいていることだ、という意。萩の露が月明かりに美しく見えたとき、おそらく白露という言葉が生まれた。中国の昔から、遠く靄のかかった景色を言ったこの言葉は、古代の日本に根づいて、次第に露の玉を指し示すようになる。この句も同じである。月を背景にした、ひとかたまりの萩の花が、その小さくあやうい露の玉をこぼすことなく、細い枝々に揺らめいている。それは萩の気品であるが、同時に秋風の配慮でもある。杉風筆採荼庵什物によれば、彼の深川の草庵に秋萩を移植した際に芭蕉が詠んだ句ということだから、杉風を称える挨拶句であろうが、そのような詠作の事情をうかがわせない表現で、すぐれた作品は時空をこえて読者の心を写すという好例のひとつであろう。連歌以来、萩は露と結ぶことが多く、取り合わせとしてはありふれているのだが、露を涙や命や浮世などの比喩として用いていない点が品位の秘密である。なお露は古代から秋季だが、ここは萩の句であるから、季重なりをいう必要はない。
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