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名月や門に指しくる潮頭
芭蕉 (三日月日記・元禄五)
隅田川の空に八月十五夜の月が輝いて、河口を上ってくる満ち潮の先が、わが草庵の門口まで、ひたひたと寄せてくることだ、という意。「潮頭」という言葉が高い具象性をもたらしている。月と太陽が地球に対して一直線上に位置する大潮に、高い潮位を示すことは誰もが教わってきた。毎月の満月の中でも、仲秋の名月にはとりわけそれが高いのである。古い芭蕉庵は行脚に際して手放していて、旅から戻った芭蕉に新しい草庵が用意されたのは元禄五年の五月であるが、新しくなったものは芭蕉庵ばかりではなく、芭蕉自身も同じであった。『野ざらし紀行』から『おくのほそ道』にいたる旅を終えたこの時期の芭蕉は、江戸市中から深川に隠栖した三十代後半のころの彼ではなかった。旅は中国の漢詩人に擬する必要のないことを芭蕉に教え、眼前の凝視を通してあらわれる詩のいかに新しいかを教えた。この句の表現がもたらす圧倒的な迫力は、そうした詩人の変化を教えてくれるテキストである。
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