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参考資料室 |
現代短歌論―穂村弘の〈わがまま〉― 安 池 智 春
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■序論
一、はじめに
穂村弘は一九八六年に連作『シンジケート』で角川短歌賞次席となり、歌人としてデビューした。ニューウエーブと呼ばれる歌人の中でも、現代短歌に最大のショックを与えたとされるが、何故そう呼ばれるまでに至ったのか。
穂村が一九九八年九月、角川書店「短歌」で発表したエッセイは、歌壇で大きく注目を集めた。『〈わがまま〉について』と冠されたこのエッセイの内容を出発点として、穂村の短歌の世界観を探り、その構造と込められた想いを紐繙いていきたい。
二、「〈わがまま〉について」について
(一)「〈わがまま〉について」概略
近年の短歌の質は或るところから大きく変化しているという。その変化を坂井修一は広義のニューウエーブと呼んで井辻朱美以降説を提示し、その特質を「明るいニヒリズム」と指摘しているが、穂村はこれを「わがまま」と表現した。
穂村によると、狭義のニューウエーブは口語や記号使用などの表現手法と捉えるのに対し、この広義のニューウエーブは「何よりも表現する人間の側の質の変化とそれに直結した表現の多様化、極端化である」とする。
穂村自身にもあるというこの「わがまま」の感覚は、彼の同世代の歌人にある程度共通するもので、「相互影響というより同時発生的」であるという。何故ならその表現は「従来の短歌が根ざしていた共同体的な感性よりも、圧倒的に個人の体感や世界観に直結したものとなっている」からであるが、これこそが穂村のいう「わがまま」である。それは「彼ら自身の中にある、自分よりも大きな何かに対する憧れや敬虔さや愛の感覚は、従来の歌人に比べてもむしろ強いものだが、それはあくまでもひとりの信仰なのである。〈わがまま〉とは、この信仰心の強さに外ならない」とする。
自らを含む、彼らの特徴を、穂村は次の様に挙げている。
例え文語を駆使する場合でも「従来の短歌的な文体をそのまま受け入れたものではなく、自らの個人的な必然から選びなおしたものだと思う。それが結果的に従来の短歌の言葉とオーバーラップしてみえることに過ぎない」。共同体的感性への「自然な同調性を大きく欠いている」。「オーソドックスな短歌の文体をまず身につけて、それから少しずつ個性を開花させたという痕跡がない」。「私」意識が希薄に見えることについての真相は「創り出す作品世界の全体がインナースペース化しているために、敢えて〈私〉を打ち出す必要」がないからであり、つまり「言葉で〈私〉を描く必要はない、何故なら言葉で創り出した世界の全体が〈私〉なのだから」。
口語と文語という問題においても、穂村自身、自然に完全口語体を断念したり、または思いがけず過剰な口語体になったりすることもあるが、「歌を創るという行為が、文語と口語を対立的に捉える意識や定型への口語の導入という表現意識よりもさらに上位の感覚に統べられているから」とする。上位の感覚とは「ひとりの信仰」のことである。
「ひとりの信仰」は文体にも影響する。「言葉のバリエーションとは別に、本当に力を出せる文体はひとりにひとつ」であり、その選択は「信じる神の違いによって自然に為され、その強度は信仰の深さによって決まる」。
その「わがまま」で創られた作品はどのようなものか。「〈わがまま〉を突き詰めた結果、それぞれの作品は、他の作者のものとは決して取り替えることができない独自の世界を構築している」。そして、「そのようなオリジナリティの強度は、読み手を完全な読者の場所へ押しやることになる」が、「読み手はその作品世界の全体を受け入れるか、或いは全く手を伸ばさないか、という二者択一を迫られる」ものであり、「訪ねたい人だけが足を踏み入れる世界」でできているという。
穂村は短歌の進化論を信じていない。「この詩形に様々な新しい表現要素が付加されて総体として前へ進んでいくというヴィジョンを持つことができない」、「共同体的感性の中に万人に共通する願いのような普遍性を実感できたこともない」、「先人が見い出した大切なものを見失わずに経験を重ねれば誰もが等しく豊かな境地に達する、などという考えは悪だと思う」からである。
その理由は「ひとつの歌と出逢うことはひとつの魂との出逢いであり、言葉の生成も変化も、すべては魂の明滅、色や温度の変化に連動してい」るが、「魂を研ぎ澄ますための定まったシステムなどこの世にな」いからであり、「次の一首を生み出すものは経験でも言語感覚でもなく、無色透明のひとりの信仰であり、極彩色への夢への憧れだと思う」とする。
そして「現在、新感覚派というものがあるとすれば、それは従来の短歌には見られなかった新しい表現要素を共有する人々のことではなく、その共有性自体と全く相容れない〈わがまま〉さを持った歌人ことであろう」とし、「それぞれの言葉の謎を解き明かすことは、ひとりひとりの実存の根拠を問い直すことと同義である」と結ぶ。
【筆者注・この節の引用は全て(1)による】
(二)「〈わがまま〉について」検証
このエッセイで穂村はひとつの答えを提示した。それは、「十何年前、僕らの同世代で何が起きていたっていうのがよくわからなくて、あああれはこうか、って思ったのは一昨年くらいだもん。『〈わがまま〉について』、っていうので一応まとめたの。それまで君らは何、何、って散々言われてて、誰も答えられなくて、俺たちって何?ってさまよってて、だって俺と紫苑さんと辰巳泰子と紀野恵と林あまりと加藤治郎と、何の関係があるのかっていうと何の関係もない。全く関係がない。と思ってたけど、実はキーワードがあって、『みんな〈わがまま〉だよね』、っていうことで」(2)の「君らは何、何、」という歌壇の先人達からの問いかけへの答えである。
「〈わがまま〉について」が寄せられた際の特集は「文語とくらべる口語を生かす」というものだったが、穂村のこのエッセイは短歌創作における文語、口語という論点を通り越してしまっている。
短歌は歴史という時間の流れと共に歩んできたものであり、その時間軸の中で特色や流派のようなものが出来上がってきていた。しかし近年、その歌壇にあった既存の枠では図りきれない種類の歌を詠む歌人が多く出現してきたのである。「語彙の偏りや文体の過剰さに関しての印象はどこか共通性を感じられる」(1)以外は多様化する各々の歌の、その世界観、文体、音律といった短歌を構成するすべての要素の広がりの理由に穂村は〈わがまま〉という名前を与えたのだった。それはつまり「表現する人間の側の質の変化とそれに直結した表現の多様化、極端化」(1)である。
「先人が見い出した大切なものを見失わずに経験を重ねれば誰もが等しく豊かな境地に達する、などという考えは悪だと思う」(1)この言葉が生まれた根拠としては歌を詠むにあたって「いかに自分が孤として強烈であるかということが、いちばんの切り札になると思う」(4)という主張に基づくものである。孤は孤であるから、一人一人違わなくてはならない。孤として強烈であることは、世界観の強度を高めることである。しかし万人に当てはまる、個人の世界観を高める方法などない。一人一人で高めていくしかない。「等しく豊かな境地」を目指そうとすること自体が、個人の世界観を高めることの妨げになる。だから穂村は「悪」と言い切るのだ
しかし、この〈わがまま〉な歌は歌壇に大きな波紋を呼んだように思う。それは、〈わがまま〉という、あってないような枠、ジャンルは、つまるところはばらばらだということである。今まで、ある程度短歌への知識と鑑賞経験があれば、共感はできなくとも理解はできたはずの歌が、〈わがまま〉に詠まれると、とたんに理解すら出来なくなってしまうという問題があるのではないだろうか。
「〈わがまま〉とは『ひとりの信仰』であり、言葉で〈私〉を描く必要はない、何故なら言葉で創り出した世界の全体が〈私〉なのだから」(1)という一文が示すとおりならば、その一首一首が、イコール〈私〉という個人であるということである。そうすると人と人は他人同士だから真にわかりあうのは不可能である、ということが真理であるように、その歌を理解すること自体が不可能なものになってくるのである。
詠み手、つまり他人に完全に理解されない〈わがまま〉な歌。その自覚を持ってして、穂村自身はどのような〈わがまま〉を詠っているのだろうか。
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