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参考資料室
連句を楽しむ その六
市川 千年

『大四畳半』の巻  捌 鈴木一人
少年や六十年後の春のごとし      耕衣
 剥き出しの牙舐める舌先       一人
目が合えばほほ笑む気違い歯医者(マッド・デンティスト)さん   弘
 ピーカンの空顳顬 (こめかみ)に銃  佳代子
幾何学の模様宇宙に広がって      壱子
  大四畳半めぐる妄想          徹
膝小僧に顔を描かせてくれないか    弘
  カッパの皿に満漢全席         佳
囚われの美女に海と砂贈る       美香
  引き出しの中思いあふれて      壱
テディベア腹を裂いたら白い粉      佳
  肉まんじゅうをほおばったまま     徹
野ざらしのはっぴいえんどを期待して  徹
  いっせーのせで眠りにおちる      弘
  この、「あやしうこそものぐるほしけれ」とでもいいたくなる『大四畳半』の巻は、平成七年二月五日に開催された「座・連句95 詩的コミュニケーションを楽しむ会」(実行委員長・大下さなえ 顧問・村野夏生 後援・俳諧寒菊堂連句振興基金等)での優秀作品である。
  当日は、十三の座にそれぞれ六名程度の連衆がつき、捌きが自分の好きな現代俳句を第一句目に選び、全ての座がトルソ(式目に囚われない自由な付合。原義は、首および四肢を欠く胴体だけの彫像)形式で巻いていった。「世界に類のない複数の人間でつくりあげる共同制作の詩」である連句の原点を体験しようという学生主体の大会であった。
  他の座では、「それなんだ!おまえの小脇に核弾頭/少年夢見る風呂屋の番台」、「イリオモテヤマネコの住む闇を行く/明るい血出る僕の傷口」といった付合も生まれた。これらの付合に対して、顧問の夏生さんは、「正直にいって大学生達の表現は全く未だしの状態だ。付合の意味も一巻の小宇宙の広がりも何も分らぬままに付け合いじゃれあっているのだから。しかし、それでいいのだ。五・七・五と七・七の二つのユニットを使っての対話詩の面白さ、二句天上に開く花の美しさを体で知ること。それが連句入門の第一課である。」(『歌仙行』村野夏生 平成十三)と評している。
  一方、山(さん)左右(ぞう)の俳号で参加した俳文学者の深沢眞二氏は、「連句を「詩」に引き寄せて捉えることに、私は違和感を感じます。「詩」であるより前に、共同体の中で何事かをほのめかし合う挨拶の技術が、連句の基盤だと思います。・・・先日の座・連句は、一句一句に「詩」であることを強く求める連作短詩であり、「理知のはたらき」つまり付合の言葉遊びの芸を退けていたというのが、私の率直な印象です。」と感想を述べている。(「座・連句95 記念小冊子」)
  山左右さんはこの日、「夏虫もよる夕飯の膳」という前句に「寒月がビール二本を提げて来て」と、トルソ形式の連句を始めた寺田寅彦(『吾輩は猫である』の寒月のモデルといわれている)に敬意を表した挨拶句を付けられている。
  なお、二句目以降は雑(無季)の句ばかりが連なった『大四畳半』の巻の連衆の弘さんは、当時三十代の歌人の穂村弘さん。座・連句95の審査員だった別所真紀子氏は、弘さんの「膝小僧・・・」の付句に対して「襖の下張りが無限に膨張してゆくような妄想と、膝小僧というリアルなエロティシズムの付合は秀逸」と評している。
  それでは、元祖・寺田寅彦が大正十四年八月の『渋柿』に発表したトルソ(TORSO)の方をみてみよう。

シヤコンヌや国は亡びし歌の秋    寅日子
   ラディオにたかる肌寒の群       ゝ
屋根裏は月さす窓の奢りにて     蓬里雨
   古里遠し母病むといふ文        ゝ
新しきシャツのボタンのふと取れし    子
   手函の底に枯るゝ白薔薇        ゝ
忘れにしあらねど恋はもの憂くて     雨
   春雨の夜を忍び音のセロ       子
見下ろせば暗き彼方は海に似て     雨

シャコンヌ バロック時代に始まったゆるやかな3拍子の舞曲で、一種の変奏曲。十六世紀に中南米からスペイン・イタリアに伝えられた舞曲に基づく。蓬里雨(ほうりう) 小宮豊隆(明治十七〜昭和四一)の俳号。

 小宮豊隆宛寺田書簡(大正十四年五月十六日)には「・・・それからこれは僕も気がつかなかったのだが、「シャコンヌ」の巻の長句が四つ続けて「て止め」になっています。これもいかがいたしましょうか。ご相談申し上げます。」とあるので、「新しきシャツのボタンのふと取れし」は最初「・・・ふと取れて」であったことが分かる。
 小宮豊隆は「「トルソ」という題は、それに費やす時間の関係上、歌仙形式の三十六でまとめるのが困難だったので、三句でまとめたり、六句でまとめたり、十句でまとめたり、その時々の気分次第で、いろいろになったが、結局それは、歌仙の断片にすぎないという意味を、しゃれて「トルソ」と名づけたまでである」と語っていたそうだ。(『寺田寅彦と連句』小林惟司 勉誠出版 平成一四)
 寺田寅彦は「徒然草から受けた影響の一つと思はるゝもの
に自分の俳諧に対する興味と理解の起源があるやうに思ふ。」「心の自由を得てはじめて自己を認識することができる。・・・第百三十七段の前半を見れば、心の自由から風流俳諧の生れる所以を悟ることが出来よう。」(「徒然草の鑑賞」昭和九年)と述べている。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見る物かは・・・」。「心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつけ」られていった『徒然草』全二四四段の宇宙と連句の宇宙はどうやらつながっているようだ。

(俳句雑誌『蝶』205号(2014年1・2月))