東京義仲寺連句会「ああノ会」会員・芭蕉会議世話人 市川浩司(俳号・千年)
一、連句とは
連句(俳諧之連歌)とは、長句(五・七・五)と短句(七・七)を交互に連ねる詩の一形態であり、付けと転じを楽しむ座の文学です。他者の句と自己の句の世界を併せることによって始めて完成する俳諧独自の小宇宙を楽しむ世界とも言えます。まずは、連句の付合の世界(連句モード)に入ってみましょう。
宙返り何度もできる無重力 千秋
A水のまりつきできたらいいな 真奈美
B湯船でくるりわが子の宇宙
C乗せてあげたい寝たまま父さん
『宇宙短歌百人一首』(宇宙開発事業団・ヤマハミュージックメディア 平成十)
◎連句は座の文学「本来的に共同体の文芸である俳諧の世界は、いわば一座の連衆たちの文芸的対話ともいうべき詩心の交響の所産にほかならぬといっていい。そこでは、読者は同時に作者となり、作者は読者となって、作り手と読み手は交互にその役割を交替しながら、共同で一つの作品の形成に参与してゆく。」(『座の文学』尾形仂 角川書店 平成六)
問一 与謝蕪村の発句「菜の花や月は東に日は西に」、「牡丹散て打かさなりぬ二三片」で始まった連句(歌仙)の脇句はどれでしょう?
@ 卯月廿日のあり明けの影 几菫
卯月(夏)二十日の有明月が淡い光を投げかける清明な大景。
A 山もと遠く鷺かすみ行 樗良
霞む(春)暮れなずむ山麓をさして鷺が霞にまぎれゆく景観。(水無瀬三吟に、雪ながら山もとかすむ夕かな 宗祇/行く水とほく梅にほふ里 肖柏)
▽発句 発句(ほっく)とは、発端の句という意味で、後に続けることを前提とした名称。発句は、一句としての独立した形と想をもたなければならない。従って、一句の意味が、次の句を付けて完結するような句は発句とは言い得ない。
▽脇句 連句における第二句、すなわち発句に付ける短句をいう。古来亭主役と定め、客に対する挨拶の心をもって、発句に言い残した言外の意を受け、これを継ぐように付けるのを本意とする。季は発句と同季、できたら同時・同場所が原則。
▽歌仙 中古の歌人三十六歌仙による名称で、表六句・裏十二句・名残の表十二句・名残の裏六句からなる連句形式。長句(五七五)と短句(七七)を交互に三十六句連ねたもの。二花三月を配する。百韻や五十韻の略式というべく、芭蕉の時代以来広く用いられてきた形式。(最終ページ参照)
▽懐紙 俳席で執筆が治定した句を記入する用紙。檀紙・鳥の子紙・奉書などを二つ折りにしたもので、開きを上にして、自分に面した方が表、反対の面が裏で、それぞれに句を書き込む。百韻は懐紙四枚(初折、二の折、三の折、名残の折)に書かれ、初折の表に八句、その裏から名残の折の表まで各十四句、その裏に八句記入する。「爐邊折紙先催興、燈下接襟各動情」(『本朝無題詩』「賦連句」藤原重明)
問二 それでは、それぞれの歌仙の第三句目はどれでしょう。
@渡し舟酒債(さかて)貧しく春暮れて 几菫
Aすはぶきて翁や門をひらくらむ 几菫
▽第三 発句・脇を受けて転換を計る所であり、起承転結の転にあたる所。一巻の変化・展開の始まりとして、前句を受けながらも発句・脇の境地から大きく転じることが肝要で、格調の高さと動きのある句が望ましくなる。一句の意味内容からしても、一巻の変化がこれより始まるような句が望ましい。「に・て・にて・もなし・らん」などの文字で留めよというのも、発句・脇の流れを受けて、四句目以降に変化の心を及ぼすための措置である。
▽式目 連歌・俳諧を作る時の故実や禁制の総称。(去嫌・句数)
去嫌(さりぎらい)とは、一巻の変化と調和のため、同季・同字・同類語が接近してあらわれるのを嫌い(差合という)、これを避ける規定をいう。句数とは、同じ部類の句が何句まで続けられるかの規定をいう。それらの規定は時代により宗匠によりさまざまな違いがある。
▽「付合は大まかにいって、言葉の連想、意味の展開、余情の映発という三段階があり、それが通時的には史的展開の階段であり、共時的には初心から名人への階段であった。」(『新版連句への招待』乾裕幸 白石悌三 和泉書院 平成四)
「俳諧歌仙順序手引」近江義仲寺発行
一、表裏十八句、一折、二折を以て一巻となる
一、春秋は三句続き、夏冬は二句続くも前句次第にて春秋は五句まで、夏冬は三句まで続く。各一句の場合もあり。
一、恋句は二句続く。一句にて捨る場合もあり、五句続く場合もあれど定座なし。
一、順序表は大体を示すのみ、前句次第にて上げ下げ自由なり。但し花は上ぐることありても下ぐることなし。
一、表六句の中には、神祇、釈教、恋、無常、地名、人名、病体を嫌う。
一、生類、植物、山類、水辺、居所等大部分の物は三句去りと心得ておればよし。但し同類にても木と草、鳥と獣といふ如く変れば二句去りにてよし。
一、五句去の物には月と月、同季などあるも、特に目立つものと心得おればよし。
一、龍、鬼、幽霊などの如き語は、句柄にもよれど一巻に一句と心得おればよし。
一、去嫌。詞と詞、同季、同字、類似、縁深き語などの近づくを嫌う。去とは離れること
一、打越。単に越ともいふ。前々句のこと。付句はこの前々句に想、趣向ともに相通ふを嫌ふ。
「子規に関し露伴翁に聴く」幸田露伴が河東碧梧桐のインタビューに応えた記事(日時・昭和九年十一月六日 場所・東京小石川幸田邸)
碧梧桐 それで何でもその時に発句の話が出て・・・。
露 伴 それは「月の都」の中に句がありましたから、それで、俳諧が好なのか? と云ふ話から、それは好だと云ふので色々話し合つた。その時分内藤鳴雪か、忘れましたが他の人の噂なども聞きました。
碧梧桐 その時の附合が残つて居りますよ。
露 伴 そうでしたか、何か句がありますか?
碧梧桐 その時分、貴方の俳号は「把月」と仰言つたのですか?
露 伴 それは色々出鱈目にそんな号を使つたこともありますね。
碧梧桐 蓼太の句を立句にして、蓼太の句が、
夜咄の傘にあまるや春の雨
把月、つまり貴方が
柳四五本ならぶ川べり
第三句を子規が
のみさした茶を陽炎にふりまいて
それを幸堂得知さんが
さめた茶を蛙の声にふりかけて
となほされた。
露 伴 はゝあ、想ひ出した。その得知さんと云ふ人は俳諧の方の人で、小説も書いて居りましたけれども、元々俳諧の方で懇意にして居つた。俳諧の色々な話をその人から聞いて居つたから、その時分でせう。得知さんが朱をしたのは。
碧梧桐 その次の第四句は把月で、
不意の助言に将棋くづるゝ(略)(『子規全集』第十三巻 講談社)
▽捌(さば)く 俳諧で宗匠が、一巻全体の構成を考えて、連衆の作った一句一句を吟味、添削しながら進行させること→(衆議判)
▽大島蓼太 俳諧師。享保三(一七一八)〜天明七(一七八七)信濃国伊那大島生れ。「ともしびを見れば風あり夜の雪」
▽幸堂得知(天保一四(一八四三)〜大正二(一九一三))「正岡子規による俳句革新運動以前に活躍した、江戸の伝統を継ぐいわゆる旧派の俳人である。明治二十一年までは三井銀行に勤めていたが、故あって退職、以降文筆で身を立てた。」(『幸田露伴と根岸党の文人たち もうひとつの明治』出口智弘 教育評論社 平成二三)
▽漱石、虚子、四方太の三吟歌仙のナウ「発句にて恋する術もなかりけり
子/妹の婿に家を譲りて 太/和歌山で敵に逢ひぬ年の暮 石/助太刀に立つ魚屋五郎兵衛 子/鷹の羽の幕打渡す花の下 太/酒をそゝげば燃ゆる陽炎 石」(明治三七年十月)(『漱石俳句集』岩波書店 大正六)
・歌人塚本邦雄(大正九〜平成十七)の連句(歌仙)との出会い
「・・・孤独の行きつく先は自問自答、的確な自己発見などできるはずもなく、その蒙を啓いてくれるのは他者以外にあるまい。私を「歌人」たるべく啓発してくれた最初の師は、土蔵の奥の長持の中の歌仙帖だった。母の父は明治中期、琵琶湖畔の俳諧の宗匠で柳桃居如水なる号を持ち、点者として年中処々に招かれていたらしい。主催した連歌の、その都度の巻は何千とあったろうが、その一部を母が形見として譲りうけたものと思われる。・・・・・歌仙の巻は今も覚えている。「長刀も月も鉾なり祗園の会」「氷欲しがる稚児をたしなめ」「厨より宵越しの酒持ち出して」と、かなり明晰な文字で、発句・脇・第三、季は夏・夏・雑であり、第三の「て」止めも尋常、かなりの技倆だとその後気がついた。・・・・それらの句をなした「連衆」が、わが家から大して離れていない塗師屋(ぬしや)の主人で、仕立屋の総領、菩提寺の役僧等と知ると、私は急に競争意識が生まれて、ノートに独吟を試みた。・・・どうやらこの当時、私に私をめぐりあわせてくれたのは、長持の中の歌仙の巻であったらしい。その時点で五七五の長句と七七の短句の有機的な接続・連係が、意外な効果を生み、全く架空の世界を、実際に経験した以上に活写することを、ぼんやりとではあるが意識した・・・」(塚本邦雄「私の「顔」を写し出した書簡」平成七年十一月二八日付朝日新聞「自分と出会う」)
二、現代連句の世界へ・・・きっかけは蕎麦屋の読売新聞
見出し 座・連句95「自由な言葉遊びいかが」「五七五、七七つなぎ 連句会」「古い約束よりも新しい発想を求め、対話詩としての面白いものを目指したい」「連句の魅力は、ひとつを深く掘り下げていく文芸というよりも、雰囲気やイメージのつながりで、世界が広がっていくことにある。」(座・連句95 詩的コミュニケーションを楽しむ会 実行委員長・大下さなえ(ほしおさなえ))((平成七年一月十日付読売新聞(東京))。
・入会願いの手紙の返信
「東京義仲寺連句会・ああノ会の連衆諸雅にはかりましたところ、喜んでご一座したいと快諾もらいましたので、ぜひ、月一回の例会にお出かけ下さいませんか」(ああノ会主宰の村野夏生氏から)
俳諧の鑑賞者にして制作者である、世界でも稀な連衆という二面性の椅子の坐り心地を享受しているああノ会の連衆の方々。
炎天やなかぞらに河立ち上がる 那智
海の彼方の英雄(ヒーロー)の夏 手留
空蝉の爪ていねいに外しゐて さなえ
生の始めを記憶してゐる 夏生
濁り酒月に喇叭手たりしこと 蓼艸
墨絵ほのかな捨扇なり 宏
(夏生捌 平成七年七月二三日首尾 歌仙「思ひ寝」の巻から表六句)
・村野さんからまず教わったこと。「私の話す言葉には、芭蕉が直接弟子に話した言葉があるかもしれない。」(面授ということ)
「仏教に〈面授〉という言葉があります。教えを対面して直接に授かるという意味です。なぜ面授が大事かというと、それは信仰や本当の意味での情報というものは、じつは面授でしか伝わらないものだからです。面授というのは、人間と人間が向き合って、表情や手振りを加え、肉声で、口から唾を飛ばすような口調で語る中で伝わるものです。」(五木寛之『他力』講談社 平成十)
松尾芭蕉(寛永二一〜元禄七)→北枝(?〜享保三)→希因(?〜寛延三)
→闌更(享保一一〜寛政一〇)→蒼虬(宝暦一一〜天保一三)→芹舎(文化二〜明治二二)→馬場凌冬(天保一三〜明治三五 井上井月との両吟有)→根津芦丈(明治七〜昭和四三)→野村牛耳(愛正)(明治二四〜昭和四九 「風流を捨てよ/ワビサビは芭蕉の属性であって連句の本質と混同してはいけない/捌きのマンネリズムを避けて輪番制をとろう」)→村野夏生(わだとしお)(昭和八〜平成十四)→市川千年(昭和三四〜 )
複数の人間が一座して巻いていく連句のおもしろさ(難しく言えば連句の芸術性)を東明雅・信州大学名誉教授(大正四〜平成一五)は、次の四つに分けて考えている。(『夏の日 純正連句とその鑑賞』角川書店 昭和四七)
@一句一句の独自のおもしろさ(一句がまずおもしろくなくては、連句は詩としての魅力を失ってしまう)
A前句と付句との間に生まれる付味のおもしろさ(隣り合う長短異なる二句がそれぞれ付け合せれた時にひとつの世界が成立する、これを付合というが、二句間の応酬や調和によって成立するこの付合の面白さは、連句の基本的な魅力である。)
B三句目の転じのおもしろさ(連句は絶えず打越(前々句のこと)以前からの変化が義務づけられている。したがって、歌仙を読むということは、三十六の異なる世界を読むことを意味する。この時、その変化の大小によってもたらされる、展開の意外さ、調和の感覚などが連句のおもしろさの中心になるだろう)
C一巻全体の構成とその変化・調和のおもしろさ(連句には全体的なストーリーなどは存在しない。だが、そのことと、全体的な美がないということとは別問題であろう)(( )内は『連句というコミュニケーション 芭蕉の方法』宮脇真彦 角川選書 平成十四)
「和歌が久しい間贈答をもってその主たる存在理由としていた以上、一首の歌が五七五と七七に分離されて短連歌を成し、やがてこれが長連歌に発展してゆくことは、きわめて自然な歴史の流れであった。それは唱和することで生れた和歌というものの中に、もともと内包されていた「うたげ」の要素、そのダイナミズムの展開にほかならなかった。」(『うたげと孤心 大和歌篇』大岡信「贈答と機智と奇想」より 集英社 昭和五三)
◎実践
脇起こり半歌仙「夏の夜や」の巻(平成八年七月) 一花二月
夏の夜や崩れて明けし冷やし物 翁(発句・夏)
ハーブの香する緑陰の卓 夏生(脇・夏)
臍の穴天に向かひし赤子ゐて 浩司(第三・雑)
帝力ナンゾ我ニアランヤ 生(雑)
大皿に小き玉兎を遊ばせる 司(月の座・秋 玉兎―月の異名)
古道具商の格子戸に蔦 生(秋)
ウ
木琴の音の身に沁みるオリンピア 司(秋)
謎の黒絵はエトルリアから 生(雑)
夢語りジュリエット役二人つれ 司(恋・雑)
重層都市に情死三つ四つ 生(恋・雑)
聞いてゐる顔する犬と「田園」を 仝(雑)
河口に臨み心地よき風 司(雑)
核実験もういいかいと凍月に 生(月の座・冬)
ピリカピリカと滅ぶ言葉よ 司(雑)
アンパンやつて茶髪なんどが日本語か 生(雑)
御祓ひされて賜りし神酒 司(神祇・雑)
花明かり一村の夕べ静かなり 生(花の座・春)
妹の素足は春の水踏む 司(挙句・春)
(参考)
夏の夜や崩れて明けし冷やし物 芭蕉(夏)
露ははらりと蓮の縁先 曲翠(夏)
鶯はいつぞの程に音を入れて 臥高(夏)
古き革籠に反故おし込む 惟然(雑)
月影の雪もちかよる雲の色 支考(月の座・冬)
しまふて銭を分ける駕かき 芭蕉(雑)
(続猿蓑 歌仙「夏の夜や」の巻の表六句 元禄七年六月)
「師のいはく、たとへば哥仙は三十六歩也。一歩もあとに帰る心なし。行にしたがい、心の改まるはたゞ先へ行心なれば也」(『三冊子』)
「二花三月と云って、花が二度、月が三度の定座がある。外は同じもの、同じ言葉は再び云はぬと心得て居ればよろしい。数限りもなくある、制約の書など見る必要はない。渋滞なく転じて行けばよい」(根津芦丈)
「俳諧は文台の上にあるうちと思ふべし。文台をおろすと古反故と心得べし」(芭蕉『篇突』)
「「言葉少なく必死に語りかけているもの、これを持っていなければ俳句ではない。これを読みとれなければ俳句の鑑賞はできない。」(高柳重信語録)「「俳句の鑑賞」という所を「連句の捌き」と入れ替えても立派に通用する。」(沼尻巳津子(篠見那智))
「「きぬぎぬやあまりかぼそくあてやかに 芭蕉/かぜひきたまふ声のうつくし 越人」この芭蕉一代でも有名な付合に、折口信夫の含蓄に富んだ注解がある。「後朝の別れに、女は風邪をひいてゐるーそう見ることもないのである。唯漠と翳のごとく、月暈のように、ぽっと視界の外に喰み出てゐると見ておけばよいのである。かう言ふ風に内容を感受する修練が、連句鑑賞の上には、必ずいるのであって、此用意がなくては、解釈があくどくて、堪へられなくなる場合が多いのである。」」(『歌仙行』村野夏生 ああノ会編 平成十三)
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