去る平成22年6月20日に谷地快一教授の掲題講演を、第5回「芭蕉会議の集い」で拝聴しましたので以下にその概要と所感を述べさせて頂きます。
1. 講演の概要
■はじめに
・ 最近ある本で「俳人は俳句だけを詠んでいていいのか、もっと積極的に環境問題に参加し・・・」という提起文に痛く感動したという一文を読み、ちょっと違和感をもった。
・ この違和感はどこから来るものか?を、考えている。・・・・
多分、縁あって芭蕉の本を読んでいるところから来るものではないかと漠然と思っている。そこのところを本日の講演で話したいが、上手く結びつくか多少の不安がある。
・ 「歌人」「俳人」という呼び名について。・・・・
「歌人」はともかく、「俳人」という呼び名には、あまり共感していない。
■「風雅三等の文」について。
・ 芭蕉から菅沼曲翠に宛てた手紙の中に、この一文が出ている。
・ 最近まで「風雅(俳諧)三等の文」の一文のみが、クローズアップされ俳諧研究者の間に流布していたが、その出所が分からなかった。昭和に入り角川書店から『校本芭蕉全集』が出ることで、芭蕉から曲翠に宛てた手紙の一文であったことが分かった。
・ 芭蕉の「風雅三等」は、世の中の俳人は以下の三種に分けることが出来る、というもので、概ね以下のように書かれている。
・ @「点取りに昼夜を尽くし、勝負を争ひ、道を見ずして走り廻る者あり。かれら風雅のうろたへ者に似申し候へども、点者の妻子腹をふくらかし、店主の金箱を賑わし候へば、ひが事せんにはまさりたるべし。」
→宗匠の点取り(金を払って自作に点数をつけてもらう)に夢中な者、彼らは俳諧者のうろたへ者には違いないが、点者(宗匠、その家族)を食べさせている、また店主(座を提供している店の)を儲けさせていると思えば少しは役に立っていると言える。賭博(賭け事俳諧)をやっている者達よりは未だましである。
・ A「また、その身富貴にして、目に立つ慰みは世上をはばかり、人ごと言はんにはしかじと、日夜二巻・三巻点取り、勝ちたる者も誇らず、負けたるものもしひて怒らず、「いざ、ま一巻」など、また取り掛り、線香五分の間に工夫をめぐらし、こと終わって即点などを興ずる事ども、ひとへに少年の読みがるたに等し。されども、料理をととのへ、酒を飽くまでにして、貧なる者を助け、点者を肥えしむること、これまた道の建立の一筋なるべきか。」
→金持ちが世上をはばかり大袈裟な遊びをしない代わりに知的な遊びとして興に乗るまま俳諧を巻き続けたり、短時間で発句を作りその優劣を競いあうグループがある。彼らは勝ち負けにこだわらず、点者や飲料店など場を提供している貧者を助けており、これも一つの道ではないでしょうか。
・ B「また、志を勤め情を慰め、あながち他の是非をとらず、これより実の道にも入るべき器なりなど、はるかに定家の骨をさぐり、西行の筋をたどり、楽天が腸を洗ひ、杜氏が方寸に入るやから、わづかに都鄙かぞへて十の指伏さず。」
→ 志をきちんともって精進し、自分の心を俳諧によって慰め(文学によって自分の心を穏やかに導き)、他人の批判にいちいち拘らずに、人としてのまことの道(仏道のように)に入る手立てとして俳諧に精進している者、それは定家や西行の生き方を探ったり、時には白楽天の詩をたずね、杜甫の精神の高さに近づくべく努力している人たちである。こういう人たちこそ私の求める俳諧人だが、我が国では十指に満たない。
■曲翠に対して芭蕉は、さらにこのあと、
・ 曲翠は上記Bの俳諧人に相当する数少ない一人であり、いよいよ修行に励むようにと述べている。
■冒頭、「俳人は俳句を作っているだけで良いのか・・・」云々の文に違和感を覚えたことを、この手紙(曲翠への手紙・・風雅三等の文)に何とか結びつけられないかと考えている。そして、それをどうやって皆さんにお伝えしようかと考えている。そのことは、今でも分からないのですが、同じ芭蕉の手紙の次のくだりを読むことで皆さんに想像していただけるのではないか・・・と思っている。
■その手紙を読む前に、次のような話で皆さまに分かってもらえるか・・・
・ 「俳人として何かをするというエネルギーは自分の中にはゼロである」と思い続けている。そのような心持は、たぶん芭蕉の文を読み続けてきたことにあるのではないかと思っている。
・ そういうことから、冒頭に話した文にカチンと来たのではないかと思う。
・ 武家は武家の仕事を一生懸命全うすることで、また大学の先生はちゃんと勉強しまじめに授業をしていれば、俳人になれる。じいちゃん・ばあちゃんは孫とちゃんと付き合って毎日を過ごせば俳人になれる。
→ これが芭蕉の言っている俳人であろうと思う。
・ 退職して何もすることがないから俳句でもやって見ようか、という人は死んでも俳人には成れない。芭蕉は、そういうふうに見ていた人で、あったと思う。
・ つまり手が空いたから、その空いた時間で何かをやろうということでは、俳人にはなれない。そう芭蕉は考えていたと思う。
・ 退職しようがしまいが、目の前にあるものをちゃんと見て、一生懸命やっていなければ、良い俳句なんか出来るはずがないだろう。ということを芭蕉さんは言いたいのではないだろうか。研究者仲間には怖くて言えないようなことを、この場を借りてお話しました。
・ 曲翠という人は武士としても志の高い人で、芭蕉は人間的にも好きであったようである。曲翠は膳所藩の重臣であったが奸臣を諫め自分も自害したという人である。
■最後に、自分が好きな芭蕉の手紙(曲翠宛て)の一番好きな一文を読んで終わりにしたい。その前に今まで話してきたことの一応のまとめとして以下のことを申し述べたい。
・ 「俳人として何かやる必要があるか」ということは何もない。人間をやっていればいつでも俳人になれる。」と考えたい。
・ 「俳人として何かをやるという必要はなく、今自分の前にある人生をしっかり務め上げることが、良い俳人になる条件なのだ。」という考え方は、今は通用しないでしょうか?・・・・
・ 手紙の最後の部分を読むに当って、若干の予備知識をお話しすると、
・ 芭蕉は曲翠のような人も好きであったが、反面自分のように「身をやつして」いる人にも、ものすごい共感を示していた。その一人に皆に嫌われていた乞食の路通がいた。芭蕉は路通を表面上は「とんでもない奴だ」と怒っているが、本心は路通を愛していたことが、この手紙から読み取れる。
・ また、膳所藩重臣の曲翠と乞食の路通は(世間ではあまり考えられない奇妙な組み合わせだが)実に仲が良かった。このこともあり芭蕉は手紙の最後に路通のことに触れている。
■手紙の最後の文を読みます。
・ 「路通ことは、大阪にて還俗致したるものと推量致し候。その志三年以前見え来たることに候へば、驚くにたらず候。とても西行・能因がまねは成り申すまじく候へば、平成のひとにて御座候。常の人常の事をなすに、何の不審が御座有るべきや。拙者においては、不通仕るまじく候。俗に成りとてなりとも、風雅の助けになり候はんは、昔の乞食よりまさり申すべく候。」
→還俗した路通を悪く言ったけれど、還俗のことは三年前あたりから察していたので驚くには当らない。路通は普通人なので西行・能因のようなことは出来ないのが当たり前、普通の人が普通のことをするのに何が不審であることか、私は路通とは絶交はせずに従来どおり遠くから見ています。俗に還りそれにより風雅の道を究める助けになるのであれば昔の乞食をしているよりはいいと思っています。
・ 私はこの文の中の「常の人常の事をなすに、何の不審が御座有るべきや。」の一文がとっても好きです。
・ この三人の関係には非常に興味があり、もし残されている資料で、それ(三人の関係)が彷彿できないのであれば、優れた小説家の腕で再現されたものを是非読みたいものと、時々思っている。
・ 冒頭に述べた違和感が、芭蕉の手紙で上手く重なったか・・・、多少の不安はあるが時間が参りましたので私の話は終わります。
2. 講演後の質問・感想(聴衆者からの)
■A氏 先生のお話を聞き、見込み違いの感想を一言。
・ 先生のお話は「俳人として何かをするのではなく、人間としてその場その場をしっかり生きれば、良き俳人になれる」ということだったと思います。
・ 自分は、ビジネスの最前線で「切った張った/勝った負けた」を、ずーっとやってきた。あるとき俳句が好きになり、どんどんのめり込んでいった。しかし俳句を続けると「切った張った/勝った負けた」の世界からどんどん離れて行くと思い、これではいけないと思い俳句を辞めたことがある。
・ しかし、結局俳句の魅力に引かれ、今はビジネスから離れてしまった。ビジネスに必要な闘争心と俳句の関係が今日の話と、どう関わるかが分からないが考えて見たい。感想みたいなものですみません。
■谷地先生の応答
・ 講演の中でもお話しましたが、何も芭蕉になる必要はないと考えます。芭蕉はレアケースと考えてよい。しかし芭蕉は、ある時に支えられるという価値があると思います。癒しと考えても良い。
・ レアケースだからこそ、ある時は凄く支えられるときがある。
・ 詩の効用とも言えるかも知れない。「あの詩はたしかこの詩集だったよなー」と思い出し探し出して癒しにする。
・ 芭蕉も同様で「芭蕉にあったよなー」と思い出し、引っ張り出して癒しにする。そういうような人で良いと思います。
3. 若干の所感
「風雅三等の文」は知っていた。が、「そんなものか」と読み飛ばしていたに過ぎない。今回のお話で古典と言うか芭蕉研究の奥行きの深さを改めて感じた。宗匠という職業的な俳諧師がいない現代では、流石に一等に相当する人は少ないと思うが、結社の主宰選にあくせくする俳人は掃いて捨てるほどいる。かく言う私もそうであったと思う。結社などで言われている「同人になってからが問題」というその問題とは、二等の内で甘んじるか、三等への脱皮を図れるか否かの問題なのかもしれない。三等の道を悟れず(気付かず)疲れきって俳句を離れてゆく人も多いように思う。
さて私は、A氏の感想が非常に気になっている。A氏は的外れな感想と言っていたが、実は現代の詩歌がもつ本質的な問題を孕んではいないであろうか。A氏は今流行のツイッターした(?)のではなかったのか。つまり、あまり触れたくないものを、ふと呟いて(漏らして)しまった・・・。
私はこの問題に、とても言及できない。しかしA氏と同様に呟くことは出来る。
以下、囂々たる非難を承知の上でA氏の呟きに、管見と独断に満ちた私の呟きを、かぶせてみたい。
・ A氏の呟きは心情として、同様の世界にいた者として大変良く分かる。
・ 特に激烈な競争社会である、製造業・金融業・流通関係の会社では、社内で「俳句をやっています」なんて大っぴらには言えない雰囲気があると思う。私の場合はなぜか隠した。知られると、その時から異次元の人(価値観の違う人)という目で見られることを恐れたのだ。
・ さらに誤解を承知で言えば、全く価値観の違う世界なのである。極端に言えば価値観が180度転倒した、対極の世界かもしれない。
・ だから仕事を持った現役の男性(女性)は、一日一回対極の世界を往復していることになる。よく言われる「家庭に仕事を持ち込まない」という男の信念は、換言すると仕事の世界と対極にある家庭での価値観を乱さないという謂いでもある、と解釈していいのではないか。
・ この往復が上手に出来ないと、鬱病とか家庭破壊(家庭内暴力等による)とかの症状が出てくる。かつての同僚・部下を見るとそう思う。例えが適切でないかも知れないが、我が子が学校でいじめに会わないよう、或いは不審者にかどわかされないように、親から人間不信を教えられる子供の心境に似ている。
・ ビジネス社会が過酷だから、その反動で癒しとして対極世界を求める。例えば俳句のような世界を求める人は潜在的に多いと思う。しかし、その場合二つの世界の価値観を手際よく切り替えないといけない。
・ しかし、一般の人はその様な器用な生き方は出来ないし、時間もない。つまり疲れきっているのだ。
・ 現に定年以降も、自分が長く身を置いたビジネス社会の価値観を引きずり、家庭内や近隣との軋轢を繰り返している男性は世に多い。
・ 死ぬ前に人間らしい生き方をしたいと、定年以後に俳句に入ってくる人(ボケ防止ではなく)がいるのは、しごく当然ではないかと思っている。そしてそういう人を、私は温かく迎えてあげたい。
・ このあたりを、実に上手く表現していたのが、前回講演して戴いた穂村ひろしさんではないかと思っている。
→ 良い短歌を作るには世の中の常識の逆を歌いなさい。・・と
・ この言葉は、換言するとビジネス社会の価値観が、通常の生活(の価値観)を日に日に侵食し続けているという現実を、必死で訴えているのではないか。
・ 穂村さんの話は、私の中で日を追うごとに重みを増してきている。あれから、彼の言葉を、ずーと考えている。彼も会社勤務の経験があり現実社会が、どういう価値観で動いているかを、詩人の目できちんと見ている人なのだ。逆に言えば詩人の限界を良く知っている人ではないかと思う。
・ 現代に、あれだけのアンチテーゼを持ち、かつ堂々と公言し活動している詩人は少ない。
・ 少なくとも俳壇にはいないと思う。
(だから、前回・今回と二人の歌人の話を聞いて正直驚いた。俳壇より、はるかに若手が、活き活きしている。・・・・それまで人に聞いたりして何となく持っていた歌壇退潮観は、私の中で一気に吹き飛んでしまった。)
「俳人のあるべき姿」という副題のお話には、とてもそぐわない所感になってしまった。これもA氏の「的外れな感想」に衝撃を受けたからだ。
本講演を機会に、自分にとって俳句とは日常生活の中で何なのか?をもう一度問い直そうと思っている。
以上
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