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論文を読む会議事録 |
「国際俳句シンポジウム『不易流行』」を読み終えて
―川本皓嗣の発言を中心に― |
江田浩司 |
「評論を読む会」で二回に渡り、「国際俳句シンポジウム『不易流行』」を読んで感じたことを以下に述べたい。
このシンポジウムはこの会のモデレーターである川本皓嗣による問題提起に基づいて行われたものである。その問題提起とは、ボードレールの芸術論を援用しながら、「不易流行」という芭蕉の指導理念を読み解き、さらに「不易流行」を「写生」に代わる句作の指導理念として現代に甦らせることを意図したものである。
川本はこのシンポジウムに先立つ文章「『不易流行』試論―ボードレールの『モダン』を手がかりに」で、「不易流行」の理念をボードレールの言葉に照らし、次のような実作に則した結論を述べている。
「どの時代にも、『不易』は『流行』という形をとる以外に実現のしようがない、『流行』のただ中にしか求めようがない、」。「『流行』のただ中に身を置き、そのたえざる変化を瞬時に、こまやかに感じ取り、見届けること、そしてそれを衒いも気取りもなく、素直に誠実に言いとめることであり、またその結果として、『不易』をその時代なりに独創的に具現することである。」
「不易流行」を現代俳句の実践理念として享受するとき、このような川本の解釈はその有効性を担保しているだろう。その点については、シンポジウムでも各パネラーからの賛同が寄せられている。それは「不易流行」を芭蕉の高邁な理念として封印することなく、実作の場に解放するという効用を内包しているからである。
言うまでもなく私たちは、時代のコンテクストの影響を受けずに何ものも表現することはできない。また詩人のオクタビオ・パスが言うように、ロマン主義以後の近代の原理である「否定の前進性」から容易に免れることもできないだろう。その意味では川本の提示した「不易流行」の解釈は、時代に即した実践的な意味の提示になり得ている。
しかし「不易流行」を実践的な場に則して読み解く試みと、「写生」に代わる句作の指導理念として性急に提示することとは、まったく次元の異なる問題である。
ましてや川本の「写生」に関する認識が充分に述べられないまま、「不易流行」を「写生」に代わる創作の理念として提示していることに、どれだけの理解が得られるだろうか。
言うまでなく「写生」の理解の本質は、個々の俳人の利害のコンテクストに密着した実作上の問題である。つまり俳人の創作姿勢の差異は、そのまま「写生」理解の差異に結び付く。その際どの「写生」の理解が真実であるかということは容易には決着しがたい。結局教科書的な一般性を念頭におかない限り、「写生」に対する共通認識は成り立ち得ないだろう。しかしそのような共通認識は俳句実作上において可塑的なものでしかあり得ないのだ。
またその「写生」の理解が結社の理念として代々踏襲され、その結社にいる限りその「写生」の理解を唯一絶対的なものとして信奉している場合も同様である。
ここでの川本の問題提起の不用意さは、「不易流行」を「写生」に代わる句作の指導理念として、二項対立的に提示すること自体にあると言える。川本が提示した「不易流行」を「写生」に代わる句作の指導理念とするという点について、このシンポジウムで必ずしも議論が深まらなかったのはそこに理由がある。
それについてはシンポジウムの内部でも、パネラーの岩岡中正の発言「……不易流行と写生の関係はどうなるのかな、両者は対立するのではなく、ややレベルは異なりつつも両立可能なのではないのかなという印象を抱いております。」。あるいは同じくパネラーの夏石番矢の発言「……川本先生の不易流行論。写生に変わるかどうか、ぼくはちょっとよくわかりません。ちょっと写生とは次元、というか方向性の違う理念だと思うんですけれども、決して写生と、不易流行は矛盾をしないですし、私も写生は全否定はしません。」。 これらの発言が川本の問題提起が内包する問題点を、シンポジウムの内部で前景化している。
このシンポジウムで残念なのは、「不易流行」を実践的な場に則して読み解きながら、それを提示する際に「写生」との関係性に議論が深まっていかなかったことにある。もちろんパネラーの中には、岩岡中正のように伝統俳句の立場から自己の「写生」観に基づき、「不易流行」を「写生」に引き付けて言及している見解も見出せる。岩岡が「不易流行」と「写生」との融和性、あるいは共振性を念頭に置いた見解を示していることは、この問題の所在の在りかを岩岡が理解していたことを示している。しかし岩岡の見解を受けてこの問題がシンポジウムで深まりを見せることはない。結局それぞれのパネラーがシンポジウム以前に用意された自己の意見を述べるにとどまっている。その点は返す返すも残念である。特に前衛俳句を代表する夏石番矢の岩岡の見解に対する意見を聞いてみたかったのであるが……。
いづれにしても「不易流行」を実作の理念として提示するとき、「写生」との関係性は避けて通ることができないだろう。もちろん「写生」を肯定する立場からも、否定する立場からも同様である。始めから一方を捨象した見解に、豊饒な実践的な成果を生みだし得る力があるとは思えない。むしろ「不易流行」の理念が、「写生」の新たな意味への流動化の契機になることこそが望まれているではないだろうか。またそれは同時に、指導理念としての「不易流行」の意味の流動化にも繋がるものでなければならない。そしてその意味の流動化は、様々な実作の試行錯誤に裏付けられていくものでなければならないだろう。意味の固定化ではなく、言葉(意味)の豊饒性を導き出す理論と実践、すぐれた俳句を創造するためにはそのような創作態度が要請される。
「不易流行」と「写生」の関係性をどのように位置付けていくのか、それは今後すべての俳句実作者が避けては通れない重要な課題の一つになるだろう。私はこのシンポジウムを読み終えて、そのような思いを新たに深くした。
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