日時 平成20年4月12日(土)
内容 井の頭公園吟行
場所 吉祥寺コミュニティセンター
四月十二日(土)の俳文学研究会は、吟行で井の頭公園を散策しました。
その後吉祥寺の会場で谷地先生のお話を聞き、俳句会を行いました。
先生のお話は「アットホームタイム」というカラーの不動産情報誌に先生が書かれている俳句解説のことについてです。
蕪村などの俳句とメルヘン風の絵と、先生の俳句解説が掲載されているのですが、先生はこの仕事を引受けるに際し、俳句の題材を、絵の中に直接出さないことを条件にしたとのこと。俳句と絵の隙間を埋めるのはあくまで読者。
この考えは連句の味わいにも結びつき、句作に当たっても役に立つ考え方であると話されました。
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― 谷地海紅選 ― ◎印特選句
◎ 若葉燃ゆスカートの丈短かめに |
美雪 |
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○ お茶の水若葉の陰を溢れさせ |
千寿子 |
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○ 残る花上水の道歩きけり |
栄子 |
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○ ちる花の弁天堂やむればやし |
實 |
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○ 椅子あれば坐りたくなる花の昼 |
正浩 |
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○ ちよこちよこと雀交るや弁才天 |
月子 |
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○ 花大根名の井の水音つづきをり |
實 |
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○ 上水や名残の花の散りそめて |
實 |
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○ 残る花見上げる人を見つめけり |
千年 |
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○ 今日一日一会といふ日残り花 |
月子 |
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互選結果
文人の淡い表札木の芽風 |
無迅 |
14 |
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有三の青き陶椅子残る花 |
惟代 |
9 |
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花筏まつさかさまに堰を落つ |
ひろし |
6 |
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椅子あれば坐りたくなる花の昼 |
正浩 |
5 |
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今日一日一会といふ日残り花 |
月子 |
5 |
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残花舞ふ武蔵野ばやしの辨財天 |
佳子 |
4 |
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母子草胸中言はぬ母であり |
月子 |
4 |
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牟禮囃子残花もひらり面おどる |
美雪 |
4 |
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ちる花の弁天堂やむればやし |
實 |
4 |
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花大根名の井の水音つづきをり |
實 |
4 |
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上水や名残りの花の散りそめて |
實 |
4 |
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生きざまは作家それぞれ花は葉に |
正浩 |
4 |
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華やげることなく散れる残花かな |
ひろし |
3 |
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上水を下れば山椒魚と会ふ |
千年 |
3 |
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花桃や総身布の水子仏 |
紀代子 |
3 |
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ちよこちよこと雀交るや弁才天 |
月子 |
3 |
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しばらくは漕がず漂ふ恋ボート |
ひろし |
3 |
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残る花見上げる人を見つめけり |
千年 |
3 |
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若葉燃ゆスカートの丈短かめに |
美雪 |
3 |
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太宰死す上水みちの残り花 |
美規夫 |
3 |
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お茶の水若葉の陰を溢れさせ |
千寿子 |
2 |
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残る花玉川上水覗きけり |
正浩 |
2 |
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ゆく春や陰陽分かつ文士の死 |
美規夫 |
2 |
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玉川の水底深き新樹燃ゆ |
紀代子 |
2 |
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春といふ魔物に押され病くる |
富子 |
2 |
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川辺被ふ草々の上残花散る |
美知子 |
2 |
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曇天の水路をふさぐ花筏 |
光江 |
2 |
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老幹の水面掠めて残り花 |
紀代子 |
2 |
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玉川上水文豪訪ね散る残花 |
美知子 |
1 |
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有三や著莪の花咲く薄日かな |
栄子 |
1 |
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残る花君なつかしと思ふ時 |
海紅 |
1 |
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残る花上水の道歩きけり |
栄子 |
1 |
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坂道をのぼる顔愛し若葉風 |
千年 |
1 |
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春陰や有三全集十二巻 |
無迅 |
1 |
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逝きてなお残花散りばむ斜陽かな |
かずみ |
1 |
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惜しむごと春の菜食す象花子 |
美規夫 |
1 |
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一落花頭もたげし鼡にも |
海紅 |
1 |
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嵩高き「路傍の石」や残る花 |
無迅 |
1 |
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春陰に古人の一語畏みぬ |
海紅 |
1 |
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吉祥寺吟行「おてもと句会」
今回は千年さんのお膝元吉祥寺界隈の吟行。太宰治記念館、太宰治入水の玉川上水、山本有三記念館、井の頭公園と見ごたえのある吟行でした。下調べや句会場の手配など、千年さんにはすっかりお世話になりました。句会終了後、近くのお蕎麦屋さんでの「おてもと句会」の結果をご報告します。
春宵や人間合格酒沁みる |
千年 |
9 |
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割り箸を割れば人間春の宵 |
正浩 |
9 |
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野の花も紫濃く見ゆ春の宵 |
佳子 |
8 |
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大亀の壁に貼り付く春の宵 |
紀代子 |
8 |
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ほろ酔の美し顔(かんばせ)や春の宵 |
實 |
7 |
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タプタプと田楽泳ぐ春の宵 |
酔朴 |
6 |
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春宵や路地行く狸が缶ビール |
月子 |
5 |
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春の宵松井のヒット告げてをり |
千寿子 |
5 |
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とまり木の編上げシューズ春の宵 |
無迅 |
4 |
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春宵やほろよい気嫌井の頭 |
栄子 |
3 |
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春宵やビール一口身に熱し |
富子 |
3 |
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春宵や投句締切り五分前 |
海紅 |
3 |
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板わさもほろ酔ひ加減の春の宵 |
かずみ |
2 |
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春宵の宴のつまみに芭蕉と式部 |
美雪 |
1 |
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一寸鑑賞
千年句 「人間合格」、意表を付かれました。
正浩句 「割れば人間」、これも意表を付かれました。
意表を付くのも俳句の骨法なんですね。勉強になりました。 〈無迅記〉 |
井の頭公園吟行記 奥 山 美 規 夫
三鷹駅近くにあった太宰御用達の酒屋が、最近太宰治の文学サロンとして開館された。この周辺には、ほかにも太宰の利用した店がいくつかある。彼は戦後、文壇の地位が一気に高まるにつれ健康を害し、時代への逆行するかのように堕ちていく。三鷹は、昭和十四年に井伏鱒二の仲人で再起をかけて新居を構えた地で、また愛人と入水自殺した地でもある。戦争という時代背景にあって、暗さなど微塵も感じられない、最も安定した輝かしい作品が生まれたころである。文学サロンに「図説太宰治」の本が置かれ、三十九歳の生涯を、写真と簡単な文で綴っている。人の生涯は不運の波にかぶりつづける繰り返しなのかもしれない。それでも波に揉まれる度にしたたかになっていく。必ず春は来るものと願いながら。太宰は苦境の波を乗りきれず、数度自殺を図った。読めば一度は罹るという太宰病。一方で、嫌悪される作家の代表格と評価は分かれている。それは前期、中期、後期と異なる作風がそのまま生き方となっているからだろう。
三鷹駅から玉川上水沿いに続く散り際の悪い残り花の桜を観つつ風の散歩道をゆく。太宰が愛人山崎富枝と共に紐で結んで飛込んだ付近に碑がある。「乞食学生」の一節が書かれてある。入水した玉川上水は連日の雨で増水し、濁流に呑まれた二人の遺体は暫く発見されなかった。底がすり鉢になっていて、落ちたら這い上がれない。飛込んだ場所に、踏ん張った跡があったという。濁流に気落ちした太宰が、自殺を思い止まったという説もある。若い頃、自殺しようと思った太宰がまだ季節が先の着物を貰い、その季節までは「生きていこう」ということを書いてもいる。山崎富枝は、文学とは縁の無い戦争未亡人だった。文学好きの友人の誘われるままに、三鷹の屋台で知合い、一途な献身が破滅へとつながっていく。太田静子と間に出来た子供の認知などは、未完の小説「グッドバイ」に軽妙な口調で語られるが、必然と偶然に翻弄された愛と苦悩が満ちている。碑の傍らに出生地青森県金木町寄贈の不揃いな形をした玉鹿石がある。
公園に向けて進めば山本有三記念館がある。入口のどっしりとした巨岩「路傍の石」に迎えられる。このふたつの石に対象的な両者の作家像が伺える。参議院議員まで登りつめ、八十六歳で永眠した有三の生涯は順風満帆のようにも思えるが、不可解な汚点も残している。関口安義『評伝松岡譲』によれば、久米正雄を嫌う山本有三は、漱石の長女の婚姻相手を久米と松岡譲が争った際に、久米を陥れようと怪文書を漱石宅に送っている。『破船』事件である。真実ならば意外な一面を兼ね備えていたといえる。人一倍、他人の批評を気にする太宰と、正しきを貫かんという偏執性を持つ有三と相通うものがありそうだが、近くに住みながらふたりに接点は無かったようだ。
生きざまは作家それぞれ花は葉に 正浩
有三の広大な敷地邸宅は都に寄贈され、記念館として後世に伝えられていくだろう。太宰の借家は取り壊され、庭に植えられていた百日紅が井心亭に移植されて、お菓子の蓋を利用した表札だけが残った。
文人の淡い表札木の芽風 無迅
有三の青き陶椅子残る花 惟代
井の頭公園は大正6年日本初の郊外公園として開かれた。その後動物園・水族物園といった自然文化園に拡充されていった。最近ジブリ美術館ができて、バスツアーで賑わいをみせている。ヨチヨチ歩きの子供らの歓声を聞きながら動物園を離れれば、彫刻の森がひっそりとある。北村西望作の長崎原爆記念像の原型がある。
たゆまざる歩みおそろしかたつむり 西望
水族物園を覗く。この地に住む千年氏が、井の頭と太宰・井伏の結びつきを句にした。
上水を下れば山椒魚と会ふ 千年
春の日差しに、獅子舞が舞出て、句材は事欠かない。水を跨げるあたりは神田川の源流にあたる。それを左に曲がれば家康がお茶を立てたという「御茶ノ水」の湧水がある。
句会の後、別れを惜しむ有志がカラオケにもぐり込み、春を惜しみつつ「神田川」を歌ったのは単なる感傷ではなかった。水は大海に注ぎ雨となって帰って来る。時が追い越していく。薄らぐ感性。忘れた記憶の中に取り戻せない私がいる。翌日の歌会も忘れ、私は葬送に聞こえる挽歌歌うように、その夜ハシゴをしてしまった。 |
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