俳文学研究会会報 No.51   ホーム

日時 平成20年7月12日(土)
内容 講話と句会
場所 甫水会館

 

― 谷地海紅選 ―

スパゲッティくるくる巻いて海開き 正浩
白鷺の姿ひよこひよこ大青田 弘三
遥かなるものに初恋星祭     芳村
一面の焦土のごとき麦の秋 さら
したたかに生きるのも善し薔薇の棘 喜美
大空を舞つているよな合歓の花 冨子
かたくなに盆の順序を守る母 かずみ
夢で行く母と一緒のほほづき市 喜美子
油照子のダンボールより悪書 希望
歯切れよき電話の声の梅雨晴間 光江
寂れゆく街にも昔の祭り笛 かずみ
被災地の植田に水の張られけり
夏野菜氷に刺してもてなしぬ 千年
七夕やメールで愛を送り合ふ 芳村

 

互選結果

参道の風の撫でゆく貝風鈴 希望 2
水無月の古墳に拾ふ白き貝 さら 1
羅や白髪の女性(ひと)の背筋伸び 喜美 3
文弱の白き腕(かひな)や草茂る 無迅 1
後期高齢ペンキはげたる青蛙 1
とこしへに女人草木業平忌 千年 1
和紙の村まで白扇買ふために 海紅 1
薔薇の花洋館に依存せり 大川 1
先頭は真つ白なシャツ清水汲む いろは 3
涼求め子猫が見つけた風呂タイル かずみ 2
スパゲッティくるくる巻いて海開き 正浩 1
白鷺の姿ひよこひよこ大青田 弘三 1
噴煙に真向ひキャベツ収穫す 希望 2
釣り人の手元ゆるみし西日かな 失名 1
アップルが携帯制す朱夏の朝 美規夫 4
一面の焦土のごとき麦の秋 さら 2
したたかに生きるのも善し薔薇の棘 喜美 2
糸蜻蛉業平塚へ過(よぎ)りけり 無迅 1
岩清水直(じか)に飲む子の喉仏 芳村 3
夢で行く母と一緒のほほづき市 喜美子 2
オムレツはとろとろがよし更衣 正浩 2
油照子のダンボールより悪書 希望 3
歯切れよき電話の声の梅雨晴間 光江 1
夕闇にひたと寄せくる娑羅の花 美規夫 2
迎え盆早く早くと焔立つ 美智子 1
梅雨晴間雨もり何処や屋根に立つ 美雪 1
白百合は逝きたる人のくれしもの 海紅 2
梅雨入りや傘の花揺る通学路 かずみ 1
萍(うき)草のそよとも揺れぬ暑さかな いろは 2
寂れゆく街にも昔の祭り笛 かずみ 1
紫陽花の花それぞれに雨宿し 弘三 1
笹飾り母の掌鶴生る 喜美子 3
国境越えて野の花ほととぎす いろは 1
被災地の植田に水の張られけり 3
夏野菜氷に刺してもてなしぬ 千年 2
嵐山に住みて秩父の虹を見し 海紅 2
水うちわ袖に少しの飛沫(しぶき)かな 喜美 1
七夕やメールで愛を送り合ふ 芳村 2

 

参加者 
谷地海紅 尾崎喜美子 奥山美規夫 青柳光江 安斉夏江 小出富子 五十嵐信代 中村美智子 三木喜美 大宅ルツ子 藤田寛子 斎藤奈穂 大原芳村 金井巧 伊藤無迅 市川千年 安居正浩 水野千寿子 米田かずみ 平岡佳子 吉田久子 大川宗之 谷美雪
欠席投句者 堀口希望 天野さら

 

白山定例「おてもと句会」
 今回(七月十二日)は、一月の福詣吟行に並ぶ俳人、十八人が参加しました。
歓談の合間に席題「梅雨晴れ間」に挑戦、遊びごころを酔いと句作で楽しみました。
初参加の若き学生さん三人も、その片鱗をきらりと見せてくれました。

言ふなれば梅雨の晴れ間の如き酔ひ 海紅 11  
梅雨晴れに健大といふ児生れけり 喜美 10  
せまき店笑ひこだますつゆ晴間 酔朴 10  
梅雨晴れ間日本にクール宅急便 千年 8  
菜園の馬鈴薯を掘る梅雨晴間 芳村 8  
なめろうをなめる気になる梅雨晴間 梨花 7  
梅雨晴れ間とぎれた雲に青い空 なお 6  
梅雨晴れ間何はともあれまず一杯 千寿子 6  
梅雨晴れ間ビール旨し句会後(あと かずみ 5  
居酒やで主婦の集まり梅雨晴れ間 青柳 5  
梅雨晴間フェリエールの青き布 無迅 4  
梅雨晴間今宵は二十三日の月夜哉 宗之 4  
梅雨晴間再会祝し乾杯す 美雪 4  
梅雨晴れ間洗濯日和とテレビ告げ 喜美子 4  
梅雨晴れ間はしやぐ笑顔に光る汗 あずみ 3  
南天の白き小花に梅雨晴間 佳子 3  
一年に一度は会おうよ梅雨晴間 いろは 3  
梅雨晴間山本モナも今頃は 酢豚 1  
 

 

一寸鑑賞 

  海紅句   貫禄の最高点です。「梅雨の晴れ間」が動きませんよね。
   喜美句   これも「梅雨晴れ」が効いていますよね。

二句とも「季語が動かない」、「季語に語らせる」という俳句の骨法に適った素晴らしい作品でした。いや参りました。(無迅記)

 

随想  夏の大山参り                  奥 山 美 規 夫
 丹沢大山国定公園の大山は標高一二五二m、丹沢山系では十番目の高さである。史的には大山の開山は奈良時代の僧良弁に始まるが、崇神天皇の頃(紀元前九七年)の創建と伝えられる。山伏の修行の場で信仰の山として知られるようになり、江戸時代大山講が組織された。登山は夏の短い期間しか許可されなかったが、一夏で一〇万近い人が大山参りに集まったという記録が残る。娯楽の少なかった時代、信仰という名目の親睦会というところだろうか。
 白法被に団体名を染め抜いた信者がケーブル発着駅へ重い足取りで登っていく。足元の覚束ないご老体ばかりである。加齢と共に信心は比例するのだろうか。信心が支える力は奥深い。無の執着をもって大山講に何を求めるのだろうか。
 階段に踏み潰されたトカゲの死骸が見えた。尻尾だけがぴくぴく跳ね回っている。主を失いながら尚蠢く執着も人の世と余り差異はないような気がする。思考と行動の不一致。また思いとは逆へ向かう不条理にいつもバタバタしている。穢れを捨てにいくつもりでケーブルカーに乗る。
 ケーブルカーは昭和六年に開業、昭和一九年レールが鉄供出のため撤去。昭和二五年再開された。不動駅まで車道はあるが、そこからはケーブルカー、徒歩に頼るしかない。江戸時代はかごや道があったというが、急坂のため難儀しただろう。自らの歩で進めるからこそご利益が生まれるのである。とはいえ六分の乗車か徒歩四〇分、楽なほうへ向いてしまう。
 下社の裏をくぐり抜けると神水がこんこんと湧き出ている。大山名水の一つである。良質な水から大山豆腐が生まれた。豆腐料理が定着し、信心は二の次でグルメ堪能の発信地になった。宿も年数の経った民家風が多く、設備の乏しい感じがするが宿泊費は高い。贅を尽くした豆腐料理のため、暗黙の協定価格を決めているとも疑いたくなる。先導師という看板を掲げてしっかり、俗世に根を張っているともいえる。神水の流用を神様は許していただけるか。俗世を捨て、身を清めよう。この水を飲むだけもこの地に来た有難さが沁みてくるほど冷たく、喉を潤していく。名水を汲み頂上を目指す。
 頂上には雨降りが訛った大山阿夫利(あふり)神社が鎮座している。雨乞いする場所だった。あれほどいた白法被の姿とすれ違うことはなかった。下社を拝んで帰って降りていくのが常道なのだろうか。最も足腰の弱い方には気の毒なくらい厳しい急坂である。一足蹴りあげていくほど、汗が沸騰し玉となる。タオルを何度も絞る。服に汗が張り付く。立ち止まれば涼しい風となる。休み休み頂上を仰ぐが見えるはずがない。樹木の山はいつの間にか頂上にたどり着く。神仙を極め、汗の海からの解放感が軽くしていく。山に登る行為が神々しく思うのも夏山のせいだろう。厳しい条件下で如何に馴染むかで楽にも苦にもなる。自然に従い歩む程に自らのペースが掴める。自然と歩きやすいほうを選ぶように、あって無いに等しいのが登山道だ。俄か仙人気取りで降りていく。修験者は体を鍛えることから邪念を振い落して身を軽くしたのだろう。
 見晴らし台、二重の滝コースを巡る下社まで3時間の歩行に汗が出尽くしたか、茶店で出されたお茶を一気に飲む。お替り三杯いただく。ついでながら大山豆腐を食す。名水から仕込んでいるせいかしまって歯応えがある。この食感がグルメを唸らせるのだろうか。下社から男坂、女坂に分かれる。階段が続く男坂、七不思議を見聞しながらの女坂がいい。下ってまもなく目の形をした目形石。手を触れて祈れば目の病気が治るという。洞に近づいて耳を澄ませば遠い潮騒の音が聞こえるという潮音洞。七不思議を辿る道に大山寺がある。山号は雨降山といい、雨乞いを此処でしたのであろう。山岳宗教、修験道の道場でもあり、大山信仰を広めたのはこの修験者達である。珍しい鉄製の三仏像は国の重要文化財に指定されている。寺の隣に一個人奉納の六m近い高さの銅製燈籠がしっかり安泰を受けている。悪用する新興宗教もなくはないが、仏性は惜しみない布施から始まる。いわばあるものを捨てることから道が開けるのだろうが捨てるのを惜しみ、拾ってばかりいる。そして一番大切なものを見失っていく。坂下りで足は重いが、発汗で気持だけは大分軽く下りていく。弘法大師が爪で刻んだという、爪切り地蔵、弘法大師の杖一突で湧いた弘法水がある。真言宗と深いつながりがある由縁だろう。まゆつばに等しい逸話をこじつける信心の伝統が脈々と生きているのも有難い。
 大山に乾ききった、汗だくの体を清める唯一天然温泉がある。源泉かけ流しで流れ落ちる音が疲れた体に沁みわたっていく。神仙を極めた仙人の心持ちだ。風呂上がり乾いた喉を一気に湿らすビールに、俄仙人はあえなく俗へ戻っていった。

俳文学研究会会報 No.50
   
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