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冬ざれや義母の墓前に花供へ
過去のコメント
千葉ちちろ 2007/01/05-23:17 この句は一見良さそうにみえますが、よく見てみると
「冬ざれ」があって「花」がくるんですよね〜。一般的には花といえば春ですから、もう一度吟味してみては?
根本文子 2007/01/06-00:28 お正月にでも帰省されたのでしょうか?久しぶりに一族が集う座に、今年は義母さまの笑顔がないのがさびしい。お花を供えたら喜んでくれるかもしれないと外に出ると、真冬の寒風が吹き付ける、という感じでしょうか。季語の「冬ざれ」が荒れさびて、ものさびしいイメージが強く、やさしい行為とずれているように思います。ここを工夫されると、冬の墓参りという珍しい素材の一句ができるのではないでしょうか。尚「供花」は現実に一年中ある事ですので気にする事はないと私は思いますが、皆さんはいかがでしょうか?
海紅 2007/01/07-11:00 季の問題は根本さんの解説に賛同します。
  別の問題をひとつあげます。この作者のこだわりは「義母」にある。「義母」に対する作者の情が読者に十二分に伝わるようにするにはどうしたらよいか。すべて、そのことを中心に描写を検討すべきではないかと思う。「冬ざれや」では荒涼たる風景を讃えているかと誤解される。それは本意ではないだろう。どうしても「冬ざれ」という現実を直視したければ、せめて「冬ざれの」と直すか。そうすれば作者の温かな心がカタチをなす。
千葉ちちろ 2007/01/13-09:46 皆さん、申し訳ありません。実はこの句の作者は小生です。5日の昼にこの談話室に掲示されましたが、その時、皆さんは歌仙の方に夢中になっていたようで、夜になって覗いてみても、まだどなたからもコメントがなかったので自分で誘いのコメントを入れました。
この句は創ったときに供花の「花」はどうなるのだろうか、という疑問と、句全体が今一しっくりこなかったので、赤ペン談話室に投稿して皆さんのご意見を伺おうとと思ったのでした。
季の問題はないということがわかりホッとしました。
それとしっくりこなかったのは季語の「冬ざれ」だったんですね。でも冬ざれた風景の中に建っているお墓をみるとなんともいえない感じになったのでした。
先生のおっしゃるように「冬ざれの」の方がしっくりしますね。あとは、例えば「冬ざるる」とか「冬ざれし」などはどうでしょうか?ご教授お願いいたします。
海紅 2007/01/14-15:21 「冬ざるる」「冬ざれし」としても語法は基本的に同じ。高望みをするなら、何故「義母の墓」かを鮮明にする必要あり。「祖母の墓」「祖父の墓」では何故いけないのかという質問への回答を考えることでしょうか。
千葉ちちろ 2007/01/15-08:58

先生、ありがとうございます。
語法的なことはわかりましたが、何故、「義母の墓」でなければならないのかを明らかにする、ということはどう表現したらよいのか難しいですね。

  義母眠る冬ざれの墓に花供え

ではどうでしょうか。答にはなっていませんよね〜。

菅原宏通 2007/01/15-15:12 初心者の私にとってやり取りが極めて参考になりました。「義母眠る」を「義母忌日」あるいは上五なら字余りで「義母命日」などにしたらいかがですか?
忌日なら月と日もあり、何故義母かの疑問には答えられますし、忌日が事実と違っても作者のやさしさが損なわれるとは思いません。但し音感の問題あり。上五に冬ざれをもってきて下五に義母忌日とかもあるかもしれません。
千葉ちちろ 2007/01/15-16:34

菅原さん、ありがとうございます。
確かに「義母忌日」「義母命日」などにすれば何故義母かの疑問には答えられますね。
次のように直してみました。

 墓に花供へる義母の忌冬ざるる

千葉ちちろ 2007/01/15-17:15

続きです。あるいは

 冬ざれの義母の忌墓前に花供へ

ではどうでしょうか。

菅原宏通 2007/01/19-06:45 千葉ちろろさん
内容はそのままで、言葉の順番を変えると
  義母の忌や冬ざれの墓(ぼ)に花供え
になります。語感だけですが、ご参考までに。
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