 |
過去のコメント |
千葉ちちろ 2006/11/20-22:43 |
情景はわかるのですが、「千草」だけで秋の季語ゆえ、わざわざ「秋の千草や」とせずともいいと思います。その分、他の言葉で秋の野の草が風になびいて侘しい高原の情景を表現した方がよいと思います。 |
千葉ちちろ 2006/11/22-19:46 |
その後どなたからも書き込みがないのでまたまた私のコメントを・・。「人まばら」とは人がどのくらいいたのでしょうか?「まばら」とはつい「ほんのわずか」という意味に取られがちですが、実際は間が疎く透いており、密ではない状態のことを指していて、逆の言い方をすれば満員ではないがそれなりに結構人がいる状態をいうのではないでしょうか?だからものすごくうら淋しい情景でもないわけですね。騒々しくはないけれどそれなりに観光の人々の話し声が聞こえてきるような気がします。 |
海紅 2006/11/23-22:09 |
○○が△△である、という主題、つまり感動の焦点がが摑みにくいね。「人まばら」は確かにどういう情を描こうとした表現なのか伝わりにくい。だから、安易に推敲もしにくいという感じですね。秋草を見る人少なく寂しい高原の景色…、ということだろうか。 |
海紅 2006/11/23-22:12 |
先便「摑」は「掴」の正字を書いたところ、でてきた化け物です。「つかみにくい」という文脈です。以上、補足です。 |
伊藤無迅 2006/11/24-23:19 |
高原の寂しい秋の様子が伝わってきます。
テクニック的には、ちちろさんご指摘の通りと思います。先生のコメントのように推敲しにくいのですが、敢えて、
「・・千草や」と大きく切ったあと、座五が「人まばら」だと「そうでしょうね〜」で終わってしまいますので、余情に広がりが出るものを座五に据えたいですね。 |
小出富子 2006/12/06-21:20 |
散歩コースの中に目黒の自然教育園があります。園内はこの句がぴったりの情景で、武蔵野の自然をそのままに残しているので、花は有りませんが千草でいっばいです。小さな枯葉の上を静かに歩きます。寒いせいか入園者も少なくて「え、私一人」。なんて言う事を感じたりしています。句が詠めればいいのですが………作者と同じ気持ちでいます。 |
根本文子 2006/12/08-00:24 |
千草、秋草にはさびしい、儚い、ひそやか、可憐などのイメージがあるとおもいます。この句はそのさびしさが重なっているので(高原に秋、千草、人まばら)焦点をしぼったらどうでしょうか。無迅さんの、下五に余情の広がりを、がベストと思いますが良い言葉が浮かびません。それで二句に分けて私なりに考えてみました。
高原に千草の道のどこまでも
人声のまばらまばらに秋の草 |
|
「赤ペン談話室」トップへ戻る |
|
 |