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やどりせむあかざの杖になる日まで
芭蕉(笈日記)

 句意は「ゆっくり泊まらせていただきましょう。庭に見える藜(あかざ)の木が大きくなって杖にできるようになるまで」。あかざは背丈が1m以上になる雑草。若葉は食用になるが、秋になって枯れて堅くなった茎は老人用の杖にもなった。
 句は貞享5年岐阜の妙照寺の僧己百(きはく)亭に逗留した芭蕉が、あまりに気持ちのいいもてなしに「あかざ」が杖に出来るようになるまで長く滞在したいものだと詠んだ挨拶句。
 私はこの句を最初単独で読んで、この挨拶句のうまさに惚れ惚れしたのではあるが、少し誤解をしていたところもあったようだ。確かに芭蕉は岐阜で賀島善右衛門の「十八楼」に登ってもいることもあり、滞在期間が短いとは思ってはいなかった。ただ芭蕉の岐阜滞在に触れている書物の少ないことから、芭蕉の滞在はほどほどの期間であっで、弟子を喜ばせるのが得意な芭蕉が、またこんなにうまいことを言ってなどと、心の中で笑ってしまっていたことも事実であった。
 ところが、地元の俳人でもある大野国士著の『芭蕉と岐阜・大垣』によると実際には妙照寺に一ヶ月近く滞在したという。
 寺で配付している『當山の概略』には、「到着の時に詠んだ挨拶の句」とあったので、それなら私のような解釈も出来るが、笈日記の句の前書きには「其草庵に日比ありて(己百の草庵に何日もいて)」とあるから、どうもしばらく滞在して、気持ちのこもったもてなしに、芭蕉が素直に感謝の気持ちを込めた句と考えた方がよさそうだ。
 素直な気持ちを誤解してしまって解釈していた私は芭蕉に謝らなければならないが、芭蕉のまた違った魅力を見つけたようでうれしい。

(文) 安居正浩
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