前書きに「元禄七年の夏、はせを翁の別を見送りて」とある。
作者広瀬惟然は美濃の国(現在の岐阜県)に生まれ、元禄元年当地を訪問した芭蕉に入門。その後も芭蕉に親しく付き従う。芭蕉没後は諸国を行脚、風羅念仏を唱え芭蕉の遺徳をしのんだ。
句意は「別れの時がきた。私達は坂の上で柿を食べながら別れを惜しんでいる」
前書きにあるように別れるのは惟然と師の芭蕉。
私はこの句を上のように解釈したのだが、違う読みもできる。例えば「別れの時がきた。私達は柿をかじりながら、坂の上まで来た。いよいよお別れである」や、多少無作法には見えるが「別れの時がきた。私は坂の上で柿をかじりながら別れる人の後ろ姿を見送っている」なども可能と思う。柿をどこで食べているのか、一人で食べているのかそれとも二人かなど想像をめぐらすことが出来る。
加えて文化9年発行の『惟然坊句集』のこの句の前書きは「翁に坂の下にて別るゝとて」となっている。とすると「これから私達は坂の下で別れるのだが、今は坂の上で別れを惜しみながら柿を食べている」となる。
自由な読みが読者にゆだねられるのは、俳句という短詩型の難しさとも面白さとも言えよう。
ただどのように解釈しようとも変わらないのは、この句から師弟のほほえましい関係が感じられることである。柿を食いながら別れるとはなんと幸せでのどかな光景であろうか。
その後惟然は口語俳句へと傾斜してゆく。
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(文) 安居正浩 |