句意は「手習いを終えた少年が縁側で涼んでいる。よく見ると唇に墨をつけている」
千那は芭蕉の弟子で、滋賀県大津市堅田の本福寺の住職。尚白と共に近江蕉門の重鎮であったが、芭蕉の新しみへの変化についていけず次第に離れていった。
寺小屋でのお習字の様子であろうか。今はおとなしく涼んでいるが、口元に墨をつけたいたずらっぽそうな男の子の顔が浮ぶ。筆の穂先を嘗めたのか、それともふざけ合ってついたのか。どちらにしてもあどけない子供の可愛らしさが伝わってくる。
子や孫を詠む時は感情をこめすぎると失敗することが多い。この句ぐらいの離れ方がちょうどいいように思う。 |
(文) 安居正浩 |