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鼻紙の間にしをるるすみれかな
園女(住吉物語)

他の二句と合わせて「竹の内に越えて吉野に詣づるとて三句」と前書きがある。

句意は「かわいい菫の花を摘んで鼻紙に大切にはさんでおいたのだけれど、帰って開いたら萎れてしまっていた」

女性らしい心やさしい気持ちが素直に伝わってくる句である。現代では「鼻紙」という言葉に多少抵抗を感じる人もいるだろうが、江戸時代にも花を包んでおかしくない上質なものがあったようである。

作者の斯波園女(しばそのめ)は夫の一有とともに芭蕉の弟子。芭蕉の園女宅での発句「白菊の目にたてゝみる塵もなし」は、挨拶句で園女の清楚な人柄が詠まれていると言われる。

このようにしとやかな印象のある園女であるが、後世の正岡子規はその性格について知り合いでもあったかのように大胆に書いている。ただ見方はかなり違っているのが興味深い。『獺祭書屋俳話』の「元禄の四俳女」で「園女はしっかりした考えや強い意志を持ち男でも及ばないところがある。かっての女性のような控えめさがなく、上から見下すような堂々とした男の趣がある」と言う。この見方はどこから来たのであろうか。直接的には雲虎和尚への園女の手紙「極楽へいけば良いし、地獄へ入るなら目出度い、どちらでも違いがない」などというさばさばした文面からきているようだが、加えて主人を亡くした園女が大坂から江戸へ出て、俳人としてまた眼科医として自主独立の生きざまをしめしたこともあるのかもしれない。

一方園女の句について子規は、元禄の四俳女とする捨女、智月、園女、秋色のなかで「句作については、私は園女を一番に推す」と評価し、掲出の「すみれ」の句も上げている。

(文) 安居正浩
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