むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす
芭蕉 (おくのほそ道)
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小松(石川県)の多太(ただ)神社での句。この神社を訪れた芭蕉は、斎藤実盛の兜に出会う。
幼い木曽義仲の命を救った実盛であったが、年を経て平家方として義仲と戦わざるを得なくなる。白髪を染め若武者と見せ出陣するが討たれてしまう。恩人実盛の首に涙した義仲は、多太神社に兜を奉納したという史実が句の背景にある。また「むざんやな」は謡曲『実盛』の一節「あなむざんやな」を踏まえる。
句意は「意に添わぬ戦いに出なければならなかった実盛は、なんといたわしいことだ。この兜の下のきりぎりす(今のこおろぎ)も、その悲しみを思い鳴いているようだ」
今の私達は博物館やお寺に行き、展示品を見ながら句を作ることがある。芭蕉も同じように兜を見て、句を一生懸命考えていたと思うと微笑ましいではないか。普通対象物を見るとそのまま句にしようとするものだが、芭蕉は違っていた。歴史の事実を踏まえ、義仲や実盛の心境にまで思いをこらし、それを鳴いていたこおろぎに託し句を仕上げたのである。この独自の視点が今も芭蕉の評価が高い理由ではないだろうか。
ただこの句は『おくのほそ道』の本文があってはじめて理解出来ることを付け加えておきたい。 |
(文) 安居正浩 |