ホーム

蓬莱に聞かばや伊勢の初便
芭蕉(炭俵)

 物みな改まる正月に、中国伝説で不老不死の霊山とされる蓬莱山をかたどった飾りものが「蓬莱」、「蓬莱飾り」である。飾るものは地方や時代によってさまざまのようであるが、いずれにしても、松竹梅や鶴亀、或いは穂俵、海老、搗栗、野老、橙などのめでたいものである。
  掲出句は、床の間に飾ってある「蓬莱」を前にすると、伊勢神宮のある伊勢からの初便りを聞きたいという厳粛な気分になることだ、と言う意。
  この句は『去来抄』の最初にも取り上げられて、当時からわかりにくい句という論評があったようだ。

 深川よりの文に「この句さまざまの評あり。汝いかが聞き侍るや」となり。
 去来曰く「都・故郷の便りともあらず、伊勢と侍るは、元日の式の今様ならぬに神代を思ひ出でて、便り聞かばやと、道祖神のはや胸中をさわがし奉るとこそ承りはべる」と申す。

 先師返事に曰く「汝聞くところにたがはず。今日のかうがうしきあたりを思ひ出でて、慈鎮和尚の詞にたより、「初」の一字を吟じ侍るばかりなり」となり。

 芭蕉が言葉を借りたという慈鎮の歌は、その家集『拾玉集』に、「このごろは伊勢に知る人おとづれて便りいろある花柑子かな」とある。

 先日、この句碑のある神奈川県愛甲郡愛川町の八菅(ハスゲ)神社を訪ねた。鳥居をくぐると、八菅山修験場跡要図があり、「この八菅山を前にした丹沢山塊一帯は山岳信仰の霊地として修験者(山伏)たちの修業道場として盛んであった」とある。また神社の社叢林はスダジイをはじめとする高木層の自然植生林が、神奈川県指定天然記念物となっている。
  句碑は鳥居右側の石垣の上に立っていた。台座の上に高さ2メートル位、人が身をよじったような形で先端が尖っている。表に掲出句と「芭蕉翁」、裏に、安政七年次庚申正月吉辰造立焉とある。建碑の事情については、後日教育委員会から送られた資料「愛川町の野点文化財=中津地区」に次のようにある。

「現在の句碑は再建のもので諸国翁墳記に記載のものは石彫りの蓑亀の甲羅の上に烏帽子形の根府川石が立ち、二重の台石でりっぱなものであったらしい。(略)この碑が安政二年十月二日の大地震で崩壊したので五年後再建されたものと言われている。

  谷地先生に見せて頂いた「諸国翁墳記」に、この記載どうり、蓑亀の甲羅の上に立つ見事な句碑が描かれていた。本書は一頁あたり4〜5基がシンプルに紹介されることが多いが「相州八菅山光勝寺有境内」と刻むこの碑は一基に一頁を割いて、その二重の台石の上にはみ出すほど大きな亀を載せ、その甲羅の上に烏帽子形の句碑を立ててある。亀は蓑を大きく靡かせて蓬莱の国に行こうとしているようであるが、何故かその顔は鹿のようにも見える。私がこれまで見てきた芭蕉句碑は基本的に墓石を連想させるような縦型の自然石が多いので、この形式には驚くばかりである。
  なお「蓬莱に」の句は、元禄七年(1694)、芭蕉最後の新年の句である。

(文) 根本文子
「先人の句に学ぶ」トップへ戻る