うたがふな潮の花も浦の春
芭蕉(いつを昔・真蹟懐紙・真蹟二見文台)
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「二見の図を拝み侍りて」と前書きがある。二見が浦は伊勢市二見町にある伊勢神宮の垢離場で、夫婦岩からの日の出も有名である。
句意は、二見が浦の夫婦岩に勢いよくあたって、花のように舞い散る波も、この浦の春を寿いでいる。二見が浦の神である伊勢神宮の神コを決して疑ってはいけない、という意。また、うたがふな、うしほ、うら、と「ウ」を重ねて、リズムに工夫があるのも興味深い句である。
平成二十一年九月、出光美術館の芭蕉展に二見文台が出品されていた。文台オモテに二見が浦の夫婦岩と、松の絵の扇面が画かれ、ウラに「ふたみ」と前書きした掲出句と、「元禄四、芭蕉」という年記が繊細な文字で書かれている。『俳文学大辞典』によれば、二見文台は、この他に元禄二仲春の年記のものも伝存し、元禄二年のものは曽良に、元禄四年のものは史邦に贈られたものである。
寒晴れの一日、江ノ島にこの句碑を見に行った。青銅の鳥居をくゞり賑わう商店街の坂を登る。福石から右に折れて岩屋へ向かう道は急にひっそりとして、鳶の声が朗々と響く。奥津宮を過ぎ、急な階段を下りた稚児ヶ淵を見下ろす日溜まりに、句碑があった。づんぐりとした自然石は、高さ85センチ、幅49センチの河床石とのこと、寛政九年(1797)の建立である。文字が風化しているので後日、藤沢市の文書館に確認する。
疑ふ那潮の花も浦乃春 はせを
寛政九年丁巳年三月 京都獨楽庵芷山 同組合仲 造立
台座に「潮墳」とある。
目を上げると海原の向こうに富士が聳え、寄せてくる青い波は岩場にあたって飛び散り、真っ白い波の花を次々に咲かせている。伊勢の神の威徳もそうであるが、自然界の造化の神もまた、必ず美しい春をもたらしてくれることを、ただ信じて待つだけでよいのだ、と思うと、はじめてこの句に深い共感を覚えた。
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(文) 根本文子 |