ホーム
神前
此松のみばえせし代や神の秋
芭蕉(鹿島詣)

  鹿島神宮の広前にぬかずくと、深い森にある「根あがりの松」が実生(みしょう)で種から芽を出したころの遥かな昔の秋、その神代のことがしのばれることだ、という意。芭蕉の「鹿島詣」は、貞享四年(一六八七)八月、同行は神道家の曾良と禅僧の宗波であった。
  暑さの続く一日鹿島へ出掛けた。重要文化財の楼門をくぐり、美しく掃き清められた奥参道を進む。広大な自然樹林を歩くと、とてもすがすがしい気分になる。奥宮の前に角柱の句碑があった。明和三年(一七六六)の建立。神域の木立の中でこの句を読むと、芭蕉の感慨がまっすぐに伝わってくる。その右奥には謡曲でも知られる要石(かなめいし)がある。傍らの句碑は「枯枝に鴉のとまりけり穐の暮」。これは鹿島の地で詠んだものではないが、そばの木の枝に鴉が一羽止まっていて驚いた。枯れ枝の季節にはぴったりの光景になるのであろう。「根あがりの松」について神宮に尋ねた。「芭蕉の見た松かどうかは別にして、その名の松は近年まであった。しかし全国的に広がった松食い虫の被害で、ついに枯れてしまった。あった場所は境内の外で、高天原とか鬼塚といわれる所。そこはとても地盤が硬く、牛蒡のような松の根が地上に何本か露出していた。境内については地盤がとてもやわらかいが、現在では松そのものを見つけることも難しい」との事であった。
「根あがりの松」とは特定の松を指すのか、それとも神域全体の松をいうのか、諸説ある
解釈について、いろいろ考えさせられた。それは芭蕉が句を詠んでから三百余年の月日が流れ、自然が変遷したことを伝えるものでもあると思った。

(文) 根本文子
「先人の句に学ぶ」トップへ戻る