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いがの国花垣の庄は、そのかみ南良の八重桜の料に附けられたると云ひ伝へはんべれば
一里はみな花守の子孫かや
芭蕉(猿蓑・春・元禄三)

この村里の人はみんな花守の子孫なのであろうか、というその土地と里人への挨拶。挨拶とは詩作の要諦のひとつで、対象に親和の情で接すること。奥の細道の旅を終えた元禄二年歳末の芭蕉は近江(膳所義仲寺)で越年。翌三年正月三日に伊賀に帰り、しばらく在郷。三月下旬(陽暦五月初旬)に、ふたたび義仲寺に出る途中でこの句を得た(土芳筆『全伝』)。花垣の庄(余野の庄)は一条帝の后上東門院が寄進した奈良の興福寺の寺領で、里人が花守としてその花垣を守ったという(抄石集・古今著聞集)。

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