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参考資料室

前書論の指針 ―江東区芭蕉記念館句会始末―       谷 地 快 一

 八月五日の土曜日は久しぶりに清澄庭園(伝紀伊国屋文左衛門別邸。隅田川沿い)に遊んだ。江東区芭蕉記念館を会場にして、通信教育部の学生と卒業生を中心とする句会が行われたからだ。まもなく立秋というこの時季の、夜の気配は秋ながら、日中は〈私を忘れないで〉と言わんばかりの炎天が多く、ひごろは他出を憚かるところだが、句会は脱日常を本意とする時空であるから、日盛りに抱かれる覚悟の散策である。つくばいに喉を潤す雀らになごみ、鴉と緑蔭を分け合いながら汗を拭き、前を通り過ぎる浴衣姿の乙女らを目で追う。そして、写生会の人たちがスケッチブックをひろげる片陰を、縫うように歩いてくる喪服姿の四五人とすれ違ったりするうちに、来し方行く末に思いを馳せては、句を書きとめる時間が訪れる。
この季節は亡き人を思い起こし、戦争の惨状を記憶し直す時間でもあり、句会でも史実を主題とする佳句が少なくなかった。だが、歴史的な事柄を過不足なく十七音に詠いあげることは容易ではない。それで、前書をつけることの是非が話題になった。俳句は五・七・五音で自立した一篇の詩でなければならぬという信仰が近代以降にあって、意見がわかれたのである。その際の議論をさらに深める機会が訪れることを期待して、基本的な資料を紹介しながら、文学史をなぞっておきたい。

 前書は詞書と同じである。和歌においては詞書で、俳諧では前書という解説があるが、『おくのほそ道』の須賀川の条で、〈世をいとふ僧〉を紹介する句の前書に、〈其詞〉と書いてあるように、区別は厳密なものではない。和歌や発句の前に位置して、成立事情を記録する文章と考えてよいだろう。
その成立事情が事実かどうかは問題でない。たとえば、「みちのくにまかり下りけるに白川の関にて詠みはべりける」という前書をもつ「都をば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白川の関」(能因・後拾遺・羇旅)という和歌には、昔から実際に白河の関で詠まれたものかどうかという議論がある。だが、この議論は前書の内容が事実かどうかを争点にするのでなく、和歌の成立事情として、体験・実情を中身とする当座性が、こんな古くから重んじられたのはなぜか、という問題に置き換えるほうが有益である。
その際、前書はどういう情況で、誰によって書かれたものかに注意をはらうこと、つまり作者自身が作品の一部として筆をとったのか、あるいは書物の編纂側の論理で加えられたものかを考えることが不可欠である。前者は、俳文はもちろん、紀行を含む日記や書簡さえも作品と認定できる可能性をはらみ、後者は物語を生み出してゆく過程に寄与するからである。
このように、前書は和歌の三十一音や、俳句の十七音という韻律の可能性を拡大するために趣向されたものである。だから、作品の欠点を補う説明にすぎないと断ぜられ、忌避される謂われはない。前書は心のうちなる主題を追求するために、大いに悩み、挑戦されてよい様式である。その文体も長さも、それを必要とする人の判断にゆだねられていると言ってよいだろう。

 前書の問題を考える場合に、まぎらわしいのは題という概念の歴史である。
題は題詠における主題(課題)のことで、撰集の部立や類別にかかわり、表題となったりする。前書を考え続けるには、この題あるいは題詠という問題と錯綜させない論理を維持することが肝要となる。
和歌題では、古くから恋(相聞)・雑・哀傷(挽歌)を主な種類とし、歳事の流行と勅撰集の編纂によって四季への関心を強めてきた歴史がある。形式に一字題(雑俳種目にもあり)・二字題・結題(紅葉+浮水、水辺のほととぎす、山家+春、田家+納涼、月下+独酌、山荘+夕雪、の類)・句題などがある。出題方法には兼題・席題・探題があり、定数歌(句)を要求する組題という方法もあり、その題の観念化へ向けて働き、読者との共通理解を支える役割をもった。それは同時に詩歌の発想を拘束する歴史として、本意本情という枠組みを求め、詠みにくい題には難題という名称を与えたりした。
俳諧はこうした和歌の世界を烏帽子親とする分野であるから、和歌伝統に従いつつも、その拘束から脱して、新しみを追求してきている。たとえば、俳諧題は基本的に和歌の四季題の流行を受け継いでいるが、和歌伝統で培われたものを縦の題と名づけて、硬直しがちな発想と向き合う一方、和歌には登場しない同時代的な題目を句材に取り上げ、横の題と名づけて、表現領域の拡大をはかってきた。その心がけによって、神祇・釈教・恋・無常という古典的なテーマも更新され続けているのである。だが、こうした新しみの追求とは、和歌でいう歌病という問題と隣り合わせているために、つねに古くて新しい議論が繰り返されている。蕉門俳書でいえば、去来・許六稿『(俳諧問答)』(元禄一○)・李由・許六編『篇突』(元禄一一)・去来著『旅寝論』(元禄一二)李由・許六編『宇陀法師』(元禄一五)・土芳著『三冊子』(元禄一五)・去来著『去来抄』(宝永元ころ)などが、その議論の成果である。
以下に、新しく前書論に挑戦する人のために近年の関係論文を掲げ、学習の手引きに提供する。

岩田九郎「俳文の特質」(『俳句』八月号 角川書店 昭和四○)
植谷 元「芭蕉の俳文」(『芭蕉の本4 発想と表現』角川書店 昭和四五・六)
赤羽 学「笈の小文論」(『芭蕉の本6 漂泊の魂』角川書店 昭和四五・一○)
白石悌三「俳文の論」(『芭蕉へ』ぬ書房 昭和五二・三。『芭蕉』花神社 昭和六三・六、所収)
金田房子「『あつめ句』と漢詩題の前書」(『連歌俳諧研究』63 昭和五七・七)
宮脇真彦「信濃路の雪―猿蓑〈雪ちるや穂屋の薄の刈残し〉考―」(『連歌俳諧研究』63昭和五七・七。『日本文学研究大成 芭蕉』国書刊行会 平成一六・一一、所収)
金田房子「蕉風前書考」(『百舌鳥国文』9 大阪女子大 平成一・一○)
金田房子「前書小考―貞門から蕉風まで―」(『人間文化研究年報』13 お茶の水女子大 平成二・三)
金田房子「蕉風前書における〈名所〉―〈明石夜泊〉と〈堅田にて〉―」(『俳諧史の新しき地平』勉誠社 平成四・九)
―『東洋』四三巻七号(平一八・一○)より転載―