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論文を読む会議事録 |
安保先生の講演「朔太郎と蕪村」をお聞きして
―第六詩集『氷島』について思ったこと― |
江田 浩司 |
安保博史先生の講演は、蕪村という雅号の由来、故郷喪失者としての蕪村の孤独、陶淵明の蕪村への影響、子規以降の蕪村の再発見、朔太郎の蕪村理解と自己投影、朔太郎と馬場エレナの関係についての考察など、多岐に渡るものでした。どのお話もたいへん興味深いもので、改めて、蕪村と朔太郎の魅力を再認識いたしました。
多くの興味深いお話の中で、特に私の関心を惹きましたのが、朔太郎が蕪村の詩的世界に自己を投影させ、自らの詩人としての本質と矜持を再確認し、詩人として再生していくというお話でした。
また、そのお話の中でも朔太郎の『氷島』の詩の世界を、次の新しい詩の世界に至るための過渡的なものであると考察されていたことが最も印象に残っています。
なぜなら、私には『氷島』の詩の世界が、過渡的なものだとはどうしても思えなかったからです。むしろ『氷島』は、朔太郎にとって最晩年の必然的な詩の世界を体現したものであり、詩の実践的な試行錯誤の果てに辿り着いた、到達点を示すものではないかと思われたからです。
それについては、実証的な確証があるわけではありません。『氷島』を読んだときの私の素朴な印象にすぎません。しかし、安保先生のお話を伺っている中に、『氷島』が過渡的な詩集ではないという私なりの理由がいくつか浮かんでまいりました。まったく見当外れな考えかもしれませんが、以下に書いてみたいと思います。
その理由の一つは、『氷島』以後の朔太郎の詩の世界が想像できないことにありました。つまり、詩史的な意味において、朔太郎の詩における役割は、『氷島』を以て完結しているのではないかと思われるのです。
また、それにも増して本質的な理由としては、朔太郎が蕪村の作品のポエジーの核心を〈魂の故郷に対する「郷愁」〉に見出したとき、実は同時に時代を超越したプリミティブな詩の力を感受していたのではないかという点にあります。プリミティブな詩の力が、蕪村作品の〈魂の故郷に対する「郷愁」〉の基層にあることを感受した朔太郎は、そこに自己の詩の理想の形態を見出したのではないでしょうか。もしそうだとするならば、朔太郎は蕪村の詩的世界に自己を投影しながら、自らを慰藉し鼓舞するだけではなく、詩の理想的な文体にも開眼したことになると思います。そして、その実践が『氷島』の詩であると仮定すれば、それは過渡的な形態ではなく、その時点における到達点を指向するものであると考えられるのです。
このプリミティブな詩の力とは、漢文調や漢詩の文体に単純に還元されるものではないと思います。おそらく、モチーフと文体を分かち難く結び付けた、朔太郎の当時の詩の普遍性を内包するものではないでしょうか。また、それは、モチーフと文体のどちらか一方に偏向するものでもなく、日本語の原初的な本質、詩的パッションと分かち難く結び付いているものではないかと思うのです。
朔太郎は蕪村作品の内部に自己の詩の理想を見出したとき、詩の新しさの意味について、根本的な価値観の転換を図ったのではないかと思われます。
口語自由詩を確立した第一詩集『月に吠える』が、近代詩人としての朔太郎の一方の極であるとするならば、漢文訓読体の第六詩集『氷島』は、もう一方の極として、朔太郎の近代詩人としての詩質を支えています。そして、この二つの詩集が表裏一体となって、朔太郎の詩の豊穣さは創り出されているのではないかと思うのです。 また、この二つの詩集はすべての点において差異を孕むものではなく、むしろ、朔太郎の詩質の根源において接点を見出せるものではないかと思います。
このような感想は、『氷島』の「自序」を読んだときの私の印象にも導かれています。朔太郎は『氷島』の「自序」の中に、「日本の和歌や俳句を、近代詩のイデアする未来的形態だと考えて居る」と記しています。この言葉は、「芸術としての詩が、すべての歴史的発展の最後に於て、究極するところのイデアは、所詮ポエヂイの最も単純なる原質的実体、即ち詩的情熱の素朴純粋なる詠嘆に存するのである。」を受けたものです。朔太郎が当時蕪村の作品から受けた影響は、これらの言葉にも反映されていると思います。
また、「この詩集に納めた少数の詩は、すくなくとも著者にとつては、純粋にパッショネートな詠嘆詩であり、詩的情熱の最も純一の興奮だけを、素朴直截に表出した。換言すれば著者は、すべての芸術的意図と芸術的野心を破棄し、単に『心のまま』に、自然の感動に任せて書いたのである。」として、この詩集は芸術作品であるよりも、実生活の記録、切実に書かれた心の日記である、と述べています。
朔太郎は『氷島』において、詩の発生の原点に立ち帰ったのではないのでしょうか。しかし、それは、『月に吠える』からの退嬰としてではなく、自己のポエジーの深層の発見と、詩の原質の再生として理解されるべきものではないかと思うのです。
朔太郎が詩の「未来的形態」を、晩年に「和歌や俳句」に見出したことは、皮肉でも逆説でもないと思われます。日本語による詩の本質を、言葉の構造的な問題、詩型の内包する言葉の力の問題として、自己の詩へと還元した結果ではないでしょうか。
それは、朔太郎が詩を革新する過程において、朔太郎自身にとっても予想することのできなかった結論であるかもしれません。しかし、朔太郎の詩が最晩年において、日本の「伝統詩」や「漢詩」にリンクしたことは象徴的なできごとであったと言わざるを得ないと思います。
繰り返しになりますが、そのような朔太郎の到達点を過渡期として、次の詩のあり様を想像することは私にはできませんでした。むしろ、『氷島』以後の詩の世界は、朔太郎以後の詩人によって継承されていく問題なのではないかと思ったのです。もちろん、その継承とは肯定的なものだけではなく、否定的な性格をも含んだものであると思います。また、そのことを単純に詩の優劣に繋げることはできないと思います。
『氷島』は謎に充ちた詩集です。この謎がある限り、『氷島』の魅力は失われることはないと思いました。
安保先生の熱意に充ちた講演をお聞きして、蕪村と朔太郎について多くのことを学ばせて頂きました。とても知的で濃密な時間を過ごさせていただけたことを感謝いたします。
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