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論文を読む会議事録
講演 「詩が生まれ出る時−他者の力学」を聞いて
河合智彦
お話は「詩の発見」という題による、初心者に対する芭蕉の指導法ともいうべき話から始まった。それは、『去来抄』における、
じだらくに寝れば涼しき夕べかな 宗次
という句を『猿蓑』に入集させる際のエピソードであった。よい句が作れずにいた宗次が芭蕉から「いざくつろぎ給へ、我も臥しなん」と言われ、「お許し候へ、じだらくに寝れば涼しく侍る」と言葉を返したところ、芭蕉が「是、発句なり」と指導したという話である。講演資料に次のような引用がある。
『猿蓑』編集当時のエピソードとして、芭蕉の初心者への指導方法がうかがわれる。決してこしらえることなく、日常の生活を平話を用いて吟ずべし、ということである。(新編日本古典文学全集88『俳論集 連歌論集 能楽論集』小学館)
私は、まさにこれこそ芭蕉が目指した「かるみ」論へつながる話だと感じた。
しかし、宮脇先生の視点は違うものだった。「じだらくに寝れば涼しき」に続く「夕べかな」という語の素晴らしさを指摘されたのである。それは、宗次が芭蕉と対峙することによって、相手を意識したことから生まれた、高度な「詩の発見」であるという。
その他、やはり『去来抄』から、
玉棚のおくなつかしや親の顔 去来
涼しさの野山にみつる念仏かな 去来
という句を例にして、他者の力学、すなわち、相手の心に波を立てることの重要性、言葉は相手に届いた時に意味が生じ、またその価値は相手によって確立するものであると述べられ、「互いに他者となりながら、句が出来ていく」と講話は締めくくられた。
宮脇先生が「芭蕉会議」というサイトの発足を祝して、ネット社会というと、かなり個人的な世界と認識されがちだが、実際は相手があってはじめて成立する世界であろう。私も、そうした意味で「芭蕉会議」に多方面から刺激が与えられて、互いの向上につながってゆくことを期待しようと思う。
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