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論文を読む会議事録

祝芭蕉会議発足の会/平成一八・五・二八/於東洋大学白山校舎六号館

詩が生まれ出る時―他者の力学 宮脇真彦

1 詩の発見

   じだらくに寝れば涼しき夕べかな  宗次
『猿蓑』撰の時、宗次一句の入集を願ひて、数句吟じ来たれど、取るべきなし。
  一夕、先師の「いざくつろぎ給へ、我も臥しなん」とのたまふに、宗次も「お許し候へ、じだらくに寝れば涼しく侍る」と申す。
  先師曰く「是、発句なり」と、今の句に作りて、「入集せよ」とのたまひけり。(『去来抄』)
 
▼『猿蓑』編集当時のエピソードとして、芭蕉の初心者への指導法がうかがえる。決してこしらえることなく、日常の生活を平話を用いて吟ずべし、ということである。(新編日本古典文学全集88『俳論集 連歌論集 能楽論集』・小学館)
▼元禄四年宛先不明芭蕉書簡
  とかく俳諧は万事作りすぎたるは道に叶はず。その形のまま、又は我が心のままを作りたるは能きと存じ候
▼ 自堕落に寝るを誉めけり夏座敷   調和 (元禄二年『忍摺』)
▼『徒然草』七五段
   徒然わぶる人はいかなる心ならん、まぎるる方なく、ただ独りあるのみこそよけれ。
   世にしたがへば、心、外の塵に奪はれて惑ひやすく、人に交はれば、言葉よその聞きに随ひて、さながら心にあらず。…縁を離れて身を閑かにし、事にあづからずして心をやすくせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。(世俗の諸縁を離れて身を閑かにし、世事に関わらず、心を安らかにすることこそ「暫く楽しぶ」ということができる)

2 言葉から詩へ

   玉棚のおくなつかしや親の顔     去来
  初めは「面影のおぼろにゆかし玉祭」といふ句なり。この時、添書に「「祭る時は神いますが如し」とやらん、玉棚の奥なつかしく侍る」由を申す。
  先師、伊賀の文に曰く、「霊祭り、もつともの意味ながら、この分にては古びに落ち申すべく候ふ。註に「玉棚の奥なつかしや」と侍るは、何とて句にはなり侍らざらん。上中文字和かなれば、下をけやけく、「親の顔」と置かば、句になるべし」となり。
  その思ふところ、すぐに句となることを知らず、深く思ひ沈み、却つて心重く言葉しぶり、あるいは心たしかならず。これらは初心の輩の覚悟あるべきことなり。(『去来抄』)
▼初案…面影のおぼろにゆかし玉祭
  世に知らぬ朧月夜の面影も廻り逢ふべき記念だになし (洞院摂政家百首・家長)
  春の夜の朧月夜もおぼろけの夢とも見えぬ花の面影 (拾遺愚草・定家)
幻に見たひは物か魂まつり 西村氏重俊(源氏鬢鑑)
秋風に俤見えぬ玉まつり     裴淵(花摘)
▼論語「祭ること在すが如し、神を祭るは神在すがごとし」(神を祀る時は、神が目の前にいるようにせよ)
▼まざまざといますが如し魂まつり 季吟(師走月夜)
・ 萩奉る仏恩報謝      維舟
  謹而いますが如く魂まつり  同(誹諧時勢粧・五)
・   漸々眼を開らきて
物音は在すがごとし蚊屋の月 穀我(飛ほたる)
▼しらぬ人もまたなつかしや玉祭 舎羅(男風流下)
・花の顔や床なつ喝食児若衆  長頭丸(山ノ井)
・ 次第に寒き明暮の風     知足
  猿の子の親なつかしく叫びけむ 安宣(元禄元年七月十日「初秋は」歌仙)
  親のきます棚やこはくの玉祭  重信(続山井)
  人の親の来るとばかりや霊まつり(仏兄七車)
  心にて貌にむかふや霊まつり(仏兄七車)

3 他者の力学

   涼しさの野山にみつる念仏かな 去来
  これは、善光寺如来の洛陽真如堂に遷座ありし日の吟にて、初めの冠は「ひいやりと」なり。
  先師曰く「かかる句は、全体おとなしく仕立つるものなり。五文字しかるべからず」とて、「風薫る」と改め給ふ。『後猿』(『続猿蓑』)撰の時、再び今の冠に直して入句ましましけり。(『去来抄』)
  ひいやりと野山にみつる念仏かな
  風薫る  野山にみつる念仏かな
  涼しくも 野山にみつる念仏かな (続猿蓑)
  涼しさの 野山にみつる念仏かな (去来抄)
▼「ひいやりと…」…「冷ややか」の口語。
「もたれゐる物冷ややかになりにけり 荷兮」
(三つの顔)など、風や水など物に触れての冷たさをもって、秋を感じる体に詠む。初秋の季語(三湖抄)。
▼「風薫る…」
「風薫る、南の風吹きて涼しき」(至宝抄)六月の季語。
▼「涼しくも…」→「涼しさの…」
「涼し」は、涼気のみならず「清き心」(三湖抄)にも。
「実にここは涼しき道よ西法寺 貞徳」(崑山集)
「涼しき道」が極楽浄土への道を指して「涼」と極楽とは連想関係にある(類船集)。