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論文を読む会のまとめ |
・発表テーマ ゼロからの俳句塾(2) ―無季の魅力―
・発表者 谷地快一
・日時 令和元年9月14日(土)/14時開場・受付/14時30分〜17時
・場所 東京ルーテルセンター 208教室
・出席者 鈴木香粒・荻原貴美・高橋千寿・村上智子・田中正子・大石しのぶこ
・谷美雪・三木つゆ草・荒井奈津美・西野由美・菅原通斉・根本梨花
・森田京子・清水由紀子・平塚ふみ子・月岡糀・梶原真美・山崎右稀
・谷地快一 〈19名〉
・資料 『こどもはいくかるた』制作Gakken。 いわゆる「あいうえおカルタ(学
習カルタ)。箱に「五味太郎・絵」、「『産経新聞』「ちびっこ俳壇」より」
とある。読み札は縦約15.5糎×横4糎。絵札は8×8糎。各46枚入り。
絵札は伝統的な「いろはカルタ」同様に絵と句頭の一文字(ゴシック)を
描くが、「を」「ん」については一句の途中から抽出。 |
《発表要旨》
長く教壇では、万葉・古今・新古今というふうに、詩歌の順序立てて話すことを仕事にしてきたが、教職から解放されたので、逆に現代の俳句や短歌がどのように扱われているかというところから、俳諧や連歌の世界へとさかのぼり、やまと歌の魅力をひとくくりすことを心掛けている。いわば、俳句の考現学とでもいう試みである。
そのひとつとして、今回は、子ども俳句の魅力が四季折々の風情でなく、外界を理解しようとする、いじらしい奮闘にあることを説いた。それを説くために、俳句を古典と近代の垣根を取り払って、定義しなおし、季語がなくても、十七拍でなくても俳句と呼ばれている現状にあることを確認した。
その上で、子ども俳句を分析し、彼らは外界を把握しようと努力して、たくさんの比喩を用いていることを明らかにした。その上で、子どもたちの努力を稔りあるものにするためには、季題とか季語という条件を教えない方がよいと話した。つまり、子ども俳句は、大人が目指している句作行為とはまったく違うという話をした。季題とか季語という世界は、「もののあわれ」という美学がわかった上でなければ身につかないのである。
なお、子ども俳句は、その親切心から十七拍の世界を五・七・五と、杓子定規に切って表記しているが、子どもの外界把握のためには、むしろ、内容(意味)によって表記する方が効果的であるとし、私案を試みた。具体的には「にわとりさん/ごめんねたまご/たべちゃった」と書くのは困るということである。なぜなら、まるで「ごめんねたまご」という種類の卵が存在するような誤解を与えるからである。
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