《発表要旨》
日本の詩歌の基礎は今も題詠である。和歌題(伝統的な歌題)には歴史的に評価が定まった、中核となるイメージがある。これを曖昧にして句を詠んでも詩は生まれない。講座のタイトルに「ゼロからの」と冠したのは、俳句の初歩を学ぶ前に、こうした伝統的な歌題と、その根拠となる題詠和歌に遊んで、抒情の在処を学んでほしいからである。
《発表の展開》
1)本題に入る前に、『歳時記』といえば『俳句歳時記』を指すという誤解を解いた。『歳時記』の歳時とは歳象・時事という二つのことばの合成。歳象は春夏秋冬の、それぞれその季節らしい景色(風光)で、時事は春夏秋冬の、それぞれその季節らしい人間の生活(人事)である。つまり『歳時記』は本来「暮らしの手帳」「生活便利帳」などの仲間である。生活史・農事暦を知るために貴重な書物ということだ。
2)『俳句歳時記』はこの「暮らしの手帳」と四季類題句集を合わせたもの。なかで、簡便・コンパクトを目指すものを『季寄せ』と呼ぶことが多い。いずれも句集だから、例句が挙げられているが、その選句基準は必ずしも明らかでない。だから、例句を名句と思いつつ、実はどこがよいのかわからない人は多い。そして、俳句はむずかしいと断念する。俳句がむずかしいのでなく、例句に問題があると思えばよい。
3)以上の二点を説明するために、角川源義の「刊行の辞」(『図説大歳時記』角川書店、昭和39)、寺田寅彦「日本人の自然観」(『東洋思潮』、昭和10)を用いた。とりわけ、寅彦の「俳句の季題と称するものは俳諧の父なる連歌を通して歴史的にその来歴を追求して行くと枕草子や源氏物語から万葉の昔にまでもさかのぼることができるものが多数ある」という指摘は、芭蕉が「俳諧、和歌の道なれば、とかく直ぐなるやうにいたし候へ」(麋塒宛杉風書簡)に重なり、わたしが俳句を作る前に和歌に親しもうと提案する根拠にもなっている。
4)歴史とは、言葉に季節を与えてきた時間でもあると説いた。言葉はその季節に掛け替えのないものとなって、暮らしを支えた。それが雅俗を問わないことは生活史・農事暦に明らかである。季題はそういう言葉である。だから、「ウグイスは春で、ホトトギスは夏」と知っているだけでは詩は生まれない。季題には和歌と俳句(俳諧)に共通する本意(共有されたイメージ)がある。季題は季語でも季の詞(季の題・四季の詞)でもかまわないが、題詠が基本の文化であることを重んじれば、季題がより適切な言葉である。
5)季題の数を和歌伝統に探れば、『能因歌枕』(平安中期)に150余の季題(月別)があり、紹巴『連歌至宝抄』(1627)に270余の季題が挙がっている。それは蓄積された作例に基づく、それぞれ共有すべきイメージ(連想の範囲)の集合体。だが、俳諧歳時記の時代を経て、現代の俳句に至ると、その数は2,537(『合本俳句歳時記』角川学芸出版)、約5,300(『角川俳句大歳時記』同)、5867(『図説俳句大歳時記』)と増える傾向にあり、中には、コンピュータの情報処理能力を駆使した結果であろうが、同義語(シノニム)を厭わず数量化し、21,407(『逆引き季語辞典』日外アソシエーツ)を収載するものもある。増え続けることによって、作例なしの季題認定、傍題という言葉の誤用、忌日を季題とすることの検討不足、春夏秋冬に新年を加えて五季とすることの不思議など、多くの問題が生まれている。初学の時代には共有するイメージが不確かな言葉は避けた方が賢明である。
6)そこで、「ゼロからの俳句塾」では、連歌・俳諧の発句撰集の規範となったとされるが、季題の総数は150に満たない『大発句帳』(1607〜1614)に学ぶことを提案した。ここに挙げられる季題にははっきりとした和歌伝統が備わるはずで、共有すべきイメージ(連想の範囲)の確かなものを題として囀る(ツイートする)遊びを試みたい(その実際は次回以降)。その心の準備として、『大発句帳』に基づく季題一覧と、『大発句帳』の夏の季題とその背景にある和歌一覧を紹介した。
<谷地記>
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