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論文を読む会のまとめ

・発表テーマ  折口信夫「歌の円寂する時」を読む
・発表者    歌人 江田浩司 
・日時     平成29年9月2日(土)、14時30分〜17時
・場所     東洋大学白山校舎6号館5F 谷地研究室
・資料     @「歌の円寂する時」を読む(2017年9月2日)
・出席者    谷地快一、堀口希望、安居正浩、根本文子、鈴木松江、梶原真美、
伊藤無迅 <敬称略、順不同、7名>
・議事録作成  伊藤無迅

<発表のまとめ>

1.発表内容
 発表者(江田氏)から大正15年7月に雑誌『改造』に発表された折口信夫「歌の円寂する時」について、その内容と時代的背景について以下のような発表があった。

 (1)「歌の円寂する時」の内容について
 折口信夫の畏友島木赤彦の葬儀の帰途、折口は短歌の将来について大きな不安を抱く。その不安とは主として以下の三点に集約されるものであった。
 ・歌の享(う)けた命数に限りがあること。
 ・歌よみの人間が出来ていないこと
 ・真の批評がない歌壇
 以上の三点について江田氏は以下のように要約の上発表した。

  @ 歌が享けた命数に限りがあること。
 折口は『万葉集』の高市黒人、山辺赤人を経て家持に引き継がれた「細み」に短歌の本質があると捉えている。その流れはその後に撰された『玉葉』『風雅』の二勅撰集に極まると折口は考えていた。なおこの考えは「歌の円熟する時」発表と同時期に発表した「短歌本質成立の時代」で述べていることでもある。江田氏のこの見解は短歌史を知る上でも大変参考になるので長文であるが以下に転載する。

 「迢空の考える短歌の本質は「万葉集」の中の特に、高市黒人、山辺赤人の歌風を経て、家持によって表現されてくる「細み」の持つ抒情性をその萌芽とみる。その「細み」が以後の短歌史の本流となってゆく中で、様式の革新深化に伴い、高度で正確な写生態度を持った純粋抒情世界が現出する、その「純粋抒情世界」を短歌の本質と考える。「細み」の真正な面を様式として促進したのが「古今集」の業平の抒情の醇化、小町の調べ、忠峯の細みの深化、古今集以後、好忠の新表現法、俊頼の短歌革新の文学運動、新古今歌風の歪んだ「細み」の時期を含流して、玉葉、風雅における為兼の万葉調の歌、伏見院、永福門院などの写生態度をもった歌の中に、細心にして純度の高い「細み」の世界を見てとることができる。短歌の本質は玉葉、風雅まで深化発展し成熟するが、それ以後、迢空の時代まで短歌様式の持つ本質は変化していないという独自の見解を述べる。」(発表資料から)

 つまり、折口は明治近代化で大きく人々の意識や生活が変化したことにより、営々と詠い継がれてきた短歌の本質は現在その命運が尽きつつあることを述べている。

 A 歌よみの人間が出来ていないこと
 折口はその理由として、以下の事項を挙げている。(折口の原文をそのまま転載)
 ・歌人が人間として苦しみをして居なさすぎること
 ・生みの苦しみをわりあひに平気で過ごしてゐる人が多い
 ・作物の短い形であると言う事は、安易な態度を誘ひ易いものと見えて、
  口から出まかせや、小細工に住しながら、あっぱれ辛苦の固まりと言
  った妄覚を持っている人が多い

 B 真の批評がない歌壇
 当時の歌壇における批評が、あまりに表現や技巧における細部批評に偏り過ぎ、本来の批評視点が抜け落ちている。このため現俳壇には以下の視点からの批評が必要と述べている。
 ・歌の批評はその背後にある作者の主題(思想)を読み取り、それを生かすべき方向を示すことである。
 ・当来の人生に対する暗示や、生命に絡んだ兆しが、作家の気分に溶け込んで出てくるものが主題である。
 ・それを再度意識の上の事に移し、その主題を解説して人間および世界の次の「動き」を促すのが、ほんとうの文芸批評である。

 (2)『歌の円寂する時』発表の時代的な背景
今回の「論文を読む会」の案内で、短歌滅亡論は明治以降数回起ったことを述べた。このことは当日の発表の中でも折に触れて話題に上った。参考のためこれらの短歌滅亡論をヒストリカルな視点でまとめると以下のようになる。

@ 明治10年代
最初の短歌否定論ないしは短歌滅亡論は明治15年に外山正一等によって発表された『新体詩抄』と言われている。これは明治という新しい時代を表現するには旧い和歌でなく西洋詩が相応しいという考え方による。
A 明治40年代
尾上紫舟が明治43年に発表した「短歌滅亡私論」があり、これに敏感に反応を示した石川啄木の活動等がある。これらの運動は自然主義文学や言文一致運動に触発されたもので文語定型への疑問、韻律改革などを訴えた。
B 大正末期〜昭和初期
今回発表の昭和元年(大正15年)に発表された折口信夫「歌の円寂する時」に代表される短歌滅亡に関する一連の発表があった。
C 昭和20年代
戦後間もない昭和21年に発表された臼井吉見の「短歌への決別」を最初に桑原武夫小田切秀雄、小野十三郎らによって発表された短歌否定論 

 このような時代背景を踏まえた上で、谷地先生から以下のようなコメントがあった。
 「折口自身は口に出して説明していないものの、その模索は明治時代以降の誰もが向き合わねばならなかった西欧化の潮流と無関係ではないことを思わせます。ただ戦後まもなく起った短歌否定論(上記C)は他の動きとは異なるようで、@は別としてABは短歌創作に関わる当事者の運動であったがCは言わば短歌の部外者による短歌に名を借りた日本文化否定論という意味合いが強い論であろう」

 (3)発表者による総括
 折口は後に「短歌小論」(昭和9年)の中で「本質などゝいふものは、有り得ない。すべてのものは、進展して瞬時もやむことのないものだ。(中略)つまり本質論は便宜上のものに過ぎない。これを以て、全てのものゝ発達をとゞめるやうなことは間違ひである」と述べている。ここで言う「本質」とは明らかに「歌の円寂する時」と同時期に書かれた「短歌本質成立の時代」で述べられている短歌の本質を意識しての言葉である。さらに折口は同書で「理屈からは、何ものも生まれてくる筈はない。最も力強いものは、盲目滅法に動いてゆくときに生まれる。理屈が先立つのではなくて、動きが先になってゆくのである」と述べている。「歌の円寂する時」は、短歌を近代詩にするための試行と実験の過程で導き出された論考である。この論考が折口の詩的実験(因みに折口は当時四行詩を創意し試行している)の末に書かれざるを得なかったことを、私たちは重く受けとめるべきであろう。短歌が現代の詩であるために何が必要か。現代詩として短歌の指向を止めるとき、「歌の円寂する時」は歌人を告発する。「歌の円寂する時」は、「滅亡論」という名の「再生論」なのである。(当日の詩料から)

 <参考> 本発表を整理する際に参考にした文献(井口・東郷・長谷川・藤井共著『折口信夫孤高の詩人学者』有斐閣、1979.12.25)においても発表者の上記結論を裏付ける事項が確認(長谷川政春「第5章短歌本質成立の時代」にて)できたので参考までに紹介する。
*折口流の本質観:
通常本質とは変化の対極に位置するが、折口は「本質とは変化を約束されている『事実』なのだ。(『日本文学の発生 序説』より)」と捉えている。これは状況に対して本質があるのではなく、状況こそ本質であるという一元論の立場をとっていることによる。(118頁)
*「生活」の重視−折口学の方法と構造:
長谷川は折口の所論や文献を通し折口の文学論の根底に「民族史」「生活史」を重視した「(精神)生活」があることを読み取る。これは明らかに柳田国男の影響である。この考えは「文学は生活によって生み出された様式(『日本文学の発生』)」から来るものであると再度「歌の円寂する時 続篇」(昭和2年)でも述べている。これを図式化すると、生活→様式→文学→論理→生活…→と循環する循環運動として捉えることができる。つまり生活が変化すれば様式が変わり文学が変わると言う構造になる。(112〜116頁)
*進化論の影:
19世紀中ごろにダーウィンにより体系づけられて欧州に広がった進化論は、日本でも明治10年代には井上哲次郎によって摂取されていた。折口の本質論はこの進化論に強く影響されていると長谷川は予測している。しかし本書ではそれを確証する迄にはおよんでいない。(125〜126頁)

2 所感
 俳句、俳論に馴染んだ者には、国歌である短歌の動向は大変気になる存在である。特に明治以降数度にわたり出現した短歌滅亡論は日本文化、中でも短詩形を考える上で、とても気になる事象である。今回芭蕉会議の会員でもあり、歌人としても高名な江田氏から短歌滅亡論を聞けたのは大変有意義であった。江田氏の「歌の円寂する時」への結論は上述した通り明快である。今回の発表後、谷地先生が早速、芭蕉会議のサイトに感想を述べられた。その中で大変印象的な一文があったので、その一文を掲げ本発表の所感としたい。

 江田氏の発表「折口信夫「歌の円寂する時」を読む」を聞くなかで、ボクは〈折口のみならず、一流の詩人は常に自分の詩形の限界に挑戦しているのかも知れないネ〉と発言した。その際に時間の関係で言い尽くせなかった存念を少しく補足すれば次のようになる。
 芭蕉は、発句でも連句でもなく、俳文の格を創出しようとして果たせなかった。また蕪村は画俳二道の道すがら、「北寿老仙をいたむ」や「春風馬堤曲 三部曲」などの和詩に旧事を追懐し、また「新花摘」などに渇を癒し、画賛に本領を発揮したりもした。一茶は『七番日記』などの句日記に己が足跡を遺し、『おらが春』などの創作に人生を美化し昇華した。詩歌を詠むことは畢竟、詩の形式を追求することなのかもしれぬ。

(了)