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兼題解説 松手入・菊人形 |
松手入(まつていれ) |
〔本意・形状〕 |
十月頃、松は古い葉が赤くなって散り、新しい葉が残る。その時期に古葉を払い、新芽や枝の形を整える作業を松手入という。庭木の中でも松の手入れは難しく、庭師に頼むことが多い。 (晩秋) |
〔季題の歴史〕 |
「明治新題句集」(明治43年)に松手入の句あり。 |
〔別名・傍題〕 |
なし |
〔分類〕 |
生活 |
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・いろいろの雲流れくる松手入 山口青邨
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・すぐ下に大き鯉ゐる松手入 岸本尚毅
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・松手入れ三の丸より二の丸へ 星野麥丘人
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・ばさと落ちはらはらと降り松手入 片山由美子 |
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・隣家に廻りて一枝松手入 能村研三 |
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・門燈を点して終る松手入 佐山文子 |
(安居正浩) |
菊人形(きくにんぎょう) |
〔本意・形状〕 |
菊の花を衣装にして作った人形。菊は細工しやすい植物のため、菊細工が江戸時代からおこなわれてきたが、風景などの細工から、人形へと工夫が進み、美しい菊人形を作るようになった。 |
〔季題の歴史〕 |
文化初年の頃から、1本の満開の菊を根つきのまま応用して、富士山・帆掛け船・二見ヶ浦・牡丹に獅子などを作った。太田蜀山人に「巣鴨菊見物の記」があるように、江戸の巣鴨の菊は早くから人気を呼んでいた。やがて人形の衣装を菊の花で作るようになり、文化十年(1813)には菊人形をつくる巣鴨の植木屋は30余軒にのぼったと言う。その後、白山、駒込、谷中あたりでも菊人形をつくり盛んになったが、明治維新前後は全く廃絶した。明治10年頃、谷中の団子坂で復興され、人形作者と植木屋が共催の形をとったので、菊人形のできばえは見事なもので、東京の年中行事のように人気を呼んだ。その後、浅草の花屋敷、両国の国技館などでも大規模に菊人形展が催された。現在では各地の公園や寺社の境内、遊園地などでも見られることがあり、また地方でも大阪枚方市、千葉の谷津、福島の二本松市などの菊人形展はよく知られている。 |
〔類題〕 |
菊人形展 |
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・菊人形たましひのなき匂かな 渡辺水巴
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・人形がかざしてゆるゝ笠の菊 水原秋桜子
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・怪しさや夕まぐれ来る菊人形 芥川龍之介
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・菊あつく着たり義経菊人形 山口青邨 |
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・陽はかつと港にあふれ菊人形 小俣桑雨 |
(根本文子) |
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