わくわく題詠鳩の会会報90   ホーム
鳩ノ会会報90(平成31年3月末締切分)
兼題 雛祭・游糸

【Advice】一概には言えませんが、古来、五・七・五を理屈によって構成したり、季題の説明に終始してはいけないと説かれています。描写との違いを学習したいものです。

◎紅いべべ足投げ出して雛飾り      智子
→描写ができている。孫と言わないところを学びたい。「べべ(着物)」という幼児語が生き残ってることに嬉しい驚き。

◎雛祭り四人姉妹で兄ひとり      静枝
→この句は理屈でなく、描写ができている。

◎子と孫の重なる宵や雛飾      鹿鳴
→この句も描写ができている。「子と孫の重なる」記憶とは仕合わせなことこの上ない。

◎スモックのまゝ折紙の雛飾る      真美
→この句からは「スモック」という俗語が活きていることを学びたい。「折紙の雛」とあるから幼稚園児などとわかる。但し、「まゝ」は推敲の余地あり。

〇かんばせのかくもふくよか内裏雛       ひろし
→「かくもふくよか」は新たな発見ということなのだろう。

〇初雛に貰はれてゆく御所のそと      香粒
→描写ができている。娘に飾っていた雛が、孫などの初節句に貰われてゆくとすればめでたいことだ。「御所のそと」がわからなかった。

〇日の匂ひ吸はせし函に雛仕舞ひ      瑛子
→函に焦点を定めたところが腕。「仕舞ふ」の方が文体として上等かも。

〇手作りの寿司をほほばりて雛祭      右稀
→「雛の膳」の句とみた。ちらし寿司などで、母を手伝った娘の記憶か。「寿司を」の「を」か、「ほほばりて」の「て」のどちらかを捨てた方がスッキリ。


〇羊腸の道越えてゆく雛祭      千年
→「羊腸の道」は細く曲がりくねった長い道の譬喩か。「越えてゆく」は乗り越えてゆく意か。その先にある雛祭りとは難解。

△雛飾り片付け急ぐ老いた母      彩也香
→「老いた母」の効果が期待できない。

△雛の膳箸を残してまた明日       直子
→なぜ「箸を残す」のか、わからなかった。

△電燈は控えめ宵の雛祭           窓花
→雛を際立たせるために、部屋の灯りを抑えているという。「〇〇を目的に〇まるする」という作り方は理屈の句として嫌われてきた歴史がある。描写に挑戦したい。


△行かぬのを雛に当たりし父の逝く   千寿
→「行かぬのを」は意味深なもの言いゆえ再考。もっと隠すか、露出するか、どちらかに徹底したい。また、「雛に当たりし父」と「父の逝く」を別々のテーマゆえ、分けたほうがよい。

△童女てふ妹が戒名雛祭           悠児
→少女のうちに他界した者には、法名(戒名)の下に尊称として童女がつく。これは位号で戒名ではないので再考の必要あり。生前に変わらぬ雛祭りをしているという意図はわかる。書きぶりからは身上(身内)の句ではなさそうだ。

◎あきらめの果てに踏み出す遊糸かな  ムーミン 
→この句からは「踏み出す」で切れていることを学びたい。


〇かげろふの中来る人か去る人か       啓子
→「かげろふ」の本意が活きている句。

〇切株に滲む樹液や陽炎へる       海星
→表現は整ったが、古風。

〇かけろふてうりうりかへるさをたけや  ひくらし
→陽炎のなかを竿竹売りの声が去ってゆくのであろう。今では旧事追憶というべきか。

〇ワンオペ育児乳母車おす遊糸かな   由美
→「ワンオペ育児」という語が新鮮ゆえ、使いたかったのであろうか。しかし、「乳母車」と「遊糸」を並べるだけで詩が生まれる。詩の場合、言葉を加えるより、削る方が効果的である。

〇陽炎の中行く利根の帆かけ船        和子
→絵葉書のように素直な描写だが、ものたりない気もする。

△陽炎燃ゆ曰の鐘ぞ方広寺       憲
→方広寺の鐘銘事件の説明になってしまった。終止形「陽炎燃ゆ」では切れてしまうので、「かぎろへる」「陽炎の」などでよい気がする。

△糸遊の陰に笑む友見え隠れ       美雪  
→糸遊そのものが見え隠れさせるものだから、「陰」も「見え隠れ」も要らない。

△陽炎や坂の先ゆく見舞ひ客       貴美
→「先」なのかなあ、と疑問に思う。「見舞ひ客」にもう少し具体性がほしい。


 
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