【Advice】一概には言えませんが、古来、五・七・五を理屈によって構成したり、季題の説明に終始してはいけないと説かれています。描写との違いを学習したいものです。
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◎紅いべべ足投げ出して雛飾り 智子
→描写ができている。孫と言わないところを学びたい。「べべ(着物)」という幼児語が生き残ってることに嬉しい驚き。
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◎雛祭り四人姉妹で兄ひとり 静枝
→この句は理屈でなく、描写ができている。
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◎子と孫の重なる宵や雛飾 鹿鳴
→この句も描写ができている。「子と孫の重なる」記憶とは仕合わせなことこの上ない。
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◎スモックのまゝ折紙の雛飾る 真美
→この句からは「スモック」という俗語が活きていることを学びたい。「折紙の雛」とあるから幼稚園児などとわかる。但し、「まゝ」は推敲の余地あり。
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〇かんばせのかくもふくよか内裏雛 ひろし
→「かくもふくよか」は新たな発見ということなのだろう。 |
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〇初雛に貰はれてゆく御所のそと 香粒
→描写ができている。娘に飾っていた雛が、孫などの初節句に貰われてゆくとすればめでたいことだ。「御所のそと」がわからなかった。
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〇日の匂ひ吸はせし函に雛仕舞ひ 瑛子
→函に焦点を定めたところが腕。「仕舞ふ」の方が文体として上等かも。
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〇手作りの寿司をほほばりて雛祭 右稀
→「雛の膳」の句とみた。ちらし寿司などで、母を手伝った娘の記憶か。「寿司を」の「を」か、「ほほばりて」の「て」のどちらかを捨てた方がスッキリ。
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〇羊腸の道越えてゆく雛祭 千年
→「羊腸の道」は細く曲がりくねった長い道の譬喩か。「越えてゆく」は乗り越えてゆく意か。その先にある雛祭りとは難解。 |
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△雛飾り片付け急ぐ老いた母 彩也香
→「老いた母」の効果が期待できない。
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△雛の膳箸を残してまた明日 直子
→なぜ「箸を残す」のか、わからなかった。 |
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△電燈は控えめ宵の雛祭 窓花
→雛を際立たせるために、部屋の灯りを抑えているという。「〇〇を目的に〇まるする」という作り方は理屈の句として嫌われてきた歴史がある。描写に挑戦したい。
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△行かぬのを雛に当たりし父の逝く 千寿
→「行かぬのを」は意味深なもの言いゆえ再考。もっと隠すか、露出するか、どちらかに徹底したい。また、「雛に当たりし父」と「父の逝く」を別々のテーマゆえ、分けたほうがよい。
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△童女てふ妹が戒名雛祭 悠児
→少女のうちに他界した者には、法名(戒名)の下に尊称として童女がつく。これは位号で戒名ではないので再考の必要あり。生前に変わらぬ雛祭りをしているという意図はわかる。書きぶりからは身上(身内)の句ではなさそうだ。
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◎あきらめの果てに踏み出す遊糸かな ムーミン
→この句からは「踏み出す」で切れていることを学びたい。
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〇かげろふの中来る人か去る人か 啓子
→「かげろふ」の本意が活きている句。
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〇切株に滲む樹液や陽炎へる 海星
→表現は整ったが、古風。
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〇かけろふてうりうりかへるさをたけや ひくらし
→陽炎のなかを竿竹売りの声が去ってゆくのであろう。今では旧事追憶というべきか。
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〇ワンオペ育児乳母車おす遊糸かな 由美
→「ワンオペ育児」という語が新鮮ゆえ、使いたかったのであろうか。しかし、「乳母車」と「遊糸」を並べるだけで詩が生まれる。詩の場合、言葉を加えるより、削る方が効果的である。
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〇陽炎の中行く利根の帆かけ船 和子
→絵葉書のように素直な描写だが、ものたりない気もする。
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△陽炎燃ゆ曰の鐘ぞ方広寺 憲
→方広寺の鐘銘事件の説明になってしまった。終止形「陽炎燃ゆ」では切れてしまうので、「かぎろへる」「陽炎の」などでよい気がする。
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△糸遊の陰に笑む友見え隠れ 美雪
→糸遊そのものが見え隠れさせるものだから、「陰」も「見え隠れ」も要らない。
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△陽炎や坂の先ゆく見舞ひ客 貴美
→「先」なのかなあ、と疑問に思う。「見舞ひ客」にもう少し具体性がほしい。
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