わくわく題詠鳩の会会報84   ホーム
鳩ノ会会報84(平成30年3月末締切分)
兼題 桃の花・四月馬鹿

【Advice:俳句と才能】春休みらしい日が何日かあって、木曜の夜のナントカいう俳句番組を見た。オモシロイと何人もの人がすすめてくれたからだ。娯楽番組だから、バラエティ的な賑やかさは致し方ないにしても、「才能あり」「才能なし」と斬って捨てるシナリオには閉口した。そのケバケバしさは○○甲子園という企画の成人版といったところか。芭蕉につながる文化ではなく、連歌俳諧の歴史の雑俳という大衆的な部分を継承しているのかもしれない。俳句は才能の世界ではない。

◎ ほろ酔へば少女にかへり桃の花   むらさき
→「かへる」と明確に切る。それで「桃の花」との隙間に読者が入り込める。

◎桃の花女系家族のをとこの子    海星
→「女系にまじる」「女系の中に」などとすれば、いっそう洒落ている。

◎修験道越ゆれば桃の花盛り    千年
→余情豊か。ただし「道」は宗教のことか、道路のことかで戸惑う可能性あり。

◎白桃の花の泡立つごときかな    ひろし
→これ以上は省略出来ないところまで表現を削っている点を評価したい。

○門前に帰郷待ちたる桃の花    真美
→姿は整っている。句中の人物は帰郷する人か、待つ人か。このあたりに課題あり。

○ぼんぼりの宮廷照らす桃の花    右稀
→「桃の花」に焦点があるのだが、「ぼんぼり」に負けてしまいそうだから、ぼんぼりの灯に桃の花が浮かぶというふうにしたほうがよい。つまり「宮廷」は諦めて言外に。

○桃の花山ふたつ超え母の里    啓子
→山中か、母の里か、それとも自宅か、作者が今どこにいるかを明らかにしたい。その際「ふたつ」という事実が消えても我慢する。

○誕生日寄り添ふはただ桃一枝    直子
→「寄り添ふ」は思い入れがあるのだろうが、それゆえにあえて捨てる。つまり、「桃一枝を生けて私の誕生日」のように対象化を徹底する。


○桃咲くや君のけはひの菊名駅    梨花
→桃の花咲く菊名駅にはまだ君がいる気がする。表現からはこのように読める。とすれば、哀傷とも恋ともとれる。よって、そのどちらなのかを明らかにするために、さらなる一般化が必要。

○花桃や紅白の八重ひともとに    直久
→花桃は確かに一本で複数の色の花を見せてくれる。だから事実に即しているが、その事実を伝えるだけのように受け取られる。そこに修業のしどころあり。

○花桃や少女立つごと池ほとり    松江
→花桃を少女に見立てるのはややありふれているかも。「池ほとり」を使いたいなら、池と桃の関係を強く打ち出さねばならない。つまり、このままだと「池」は無駄。

○海見える官舎訪ふ桃花ざかり    瑛子
→「海が見える官舎は今桃の花が真盛り」ということなら報告に終わってしまって、詩歌としては不十分と言われるだろう。また「桃花ざかり」は饒舌が過ぎる。単に「桃の花」と表現を抑えるほうが余韻あり。


○桃の花八十路の母よ童の日    静枝
→子どもに返ってしまったような八十路の老母が桃の花を見て喜んでいる姿か。「桃の花」「八十路の母よ」「童の日」と三つに分かれるところが欠点。切れは基本的に一箇所でよい。「童の日」も抽象的なので言外に捨てたい。

○たおやかに天上天下桃の花   ひぐらし
→しなやかな桃の花盛りであることはわかるが、そこまでしかわからない。

○薄き空淡く芽を吹く桃の花     繁
→「桃芽吹く」といえば済む。その他の言葉は無駄。その認識で如何に575を創造するか。その努力が俳句によるカタルシスをもたらす。なお「薄き空」は抽象的なので言外に捨てたい。


○友悼むやさしき桃の花のころ    山茶花
→「やさしき」は不要。桃の花で亡き人のやさしさを言えばよい。

○見えてきた母校につづく桃の花    ちちろ
→「見えてきた」のは母校か桃の花か、あるいは双方ともとれる。これが曖昧。「につづく」を捨てればその欠点は解消する。省略することがすぐれた表現への唯一の道。

◎天空に亡夫の声聞く四月馬鹿     和子
→「四月馬鹿」の本意をよくわきまえた佳句。ただし「亡夫」は「夫(つま)」でわかるし、その方が余韻も深い。最近、長年介護された御主人を亡くされたと聞く。御冥福を祈るとともに、作者の平安を祈る。

◎一葉の父母の隠れ屋桃の花    喜美子
→「駆け落ちの父母の隠れ家」とわかりやすくして、樋口一葉を捨ててもよいのではなかろうか。「桃の花」は効果的である。

◎飼ひ猫にしたり顔され四月馬鹿     貴美
→可愛いい飼い猫に何かしでかされた句ですね。何をしてやられたかを言わないのがよかった。なお「飼ひ猫のしたり顔なる四月馬鹿」との違いを学んでほしい。

◎立ち話に笑顔ほめられ四月馬鹿    ムーミン
→四月馬鹿(いっぱい喰わされた人)を軽妙に描いている。

○憧るる祇園よもやま四月馬鹿     智子
→あこがれの対象である「祇園よもやま」が読者には難解。一般的でないものを詠むときはそれが菓子とか酒とか、どんなものかをさりげなく示す工夫が必要。そのうえで、季である「四月馬鹿」をどのような目的で使うかを考えたい。

○病窓の緋桃咲きそむ今朝の暁      憲
→自注「退院の日の句」とあった。復調を喜びたい。さて、句はその「退院」を詠みこんだ方がよい。退院の窓の朝日に緋桃が咲き始めていると言えば、緋桃のイメージに助けられて余韻が生まれる。

○桃の花進路バンザイ師の涙     美雪
→俗語で面白いし、この作者の個性だからあまり手を加えないほうがよいとは思うが「バンザイ」はとてもむずかしい言葉である。めでたいことも言うが、死を忌んだり、お手上げを意味したりもする。上達のために、恩師が就職を喜んでくれたという主題で、いくつも変奏して愉しみたい。

○富士近き野良の牝やぎや桃の花     由美
→ずいぶん盛りだくさんだね。削って、削ってスリムな表現を心掛けよう。「富士の裾野や桃の花」「野に遊ぶ牝山羊見ゆる」などと。


 
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