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◎苗売りの顔にも少し夕の風 和子
→この場合の「も」は効果的。人出の少なくなる時間や、仕事じまいの姿までが想像される。
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◎酔客もまじり苗売賑やかし 山茶花
→「酔客のまじる」にしましょう。
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○苗売の話は水をやるごとし 千年
→この句の眼目は「水をやるごとし」だが、この比喩がわかりにくい。丁寧とか、優しさということをイメージすればよいのだろうか。
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○苗売を待ちつつ耕す畝ひとつ むらさき
→「ひとつ」は言わずもがなと思う。
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○木戸押して苗売が来る父健在 美知子
→「木戸押して苗売が来る」には詩があり、それに「父」も似合うが、「父健在」は似合わない。浮いてしまう「健在」を捨てて、どんな絵柄を望んでいるか、自分の心に問いかけ直したい。 |
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○苗売の指あとつきし天秤棒 啓子
→労働の苦労の跡を残す天秤棒などの運搬具に、「つきし」では弱い気がする。
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○苗市や地べたにかがむ朝七時 瑛子
→「地べたにかがむ」も「朝七時」も、苗市では取り立てて言うべきほどのことではない。つまり、あたりまえで、感動の対象ではない気がするのだが。
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○苗売や半額幟人の列 美雪
→農産物直売所やホームセンターで見かける景か。とすれば半額ゆえに人の列ができるというのは、やや誇張が過ぎるか。
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◎訳ありの南洋暮らし守宮鳴く ひぐらし
→守宮は横題(新しい季題)であるため、夜行性で家を守るという伝承くらいしか本意を探れない。そこに詠む難しさがある。よって、世間に名句に価する例句は皆無に近い。しかし、この句の上五・中七はきわめて省略が利いて、言外に悲喜劇が想像される。私は喜界ケ島に流された俊寛を思い出してしまった。今後、本意が形成されてゆく際の、守宮の模範句に推薦したいほどだ。 |
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◎末の子をからかふ声や守宮鳴く ムーミン
→「末の子」で凝縮された物語が完成した。この作者の代表句になる。 |
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◎田山花袋旧居の厨守宮這ふ ひろし
→いつの時代の花袋旧居か、一句からは判然としないが、かつて小説家が住んだ家が保存されているのだろう。その保存という配慮と守宮の配合が一定の情趣を生み出している。 |
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◎夕仕度守宮鳴く夜の雨戸かな 貴美
→美しい景色である。よってさまざまな想像に遊ぶことができる。 |
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◎戸袋の守宮を飼へといふ子かな 喜美子
→体験に基づく作か。いかにもありそうな話である。
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○ガラス戸に思案はりつく守宮かな 酢豚
→「はりつく」は言わずもがなと思う。
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○守宮居て父の晩酌きりもなし 由美
→家を守る守宮と父、というふうに読めて、ややくどい印象だが。
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○大ヤモリ安堵せよとて今宵また 月子
→昨日までと同じく、今夜も「安心せよ」と言う如く守宮がいる、というのは守宮の本意に含まれているので、言わずもがなと思う。
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○大守宮家族の話聞いてをり 俊彦
→「聞いてをり」は事実誤認だろうが、そんなふうに見えることはある。なお、「大」の効果はあまり出ていない。
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○害虫退治の守宮と知らず許してね 梨花
→童心とでもいうべき世界に、意図的に挑戦したのであろうか、小中学生的な問い掛けになっている。しかし、俳句は「守宮は害虫を食べてくれる」という理屈を超えた抒情に挑戦したい。
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○丸門灯やもりの影を花街過ぐ 憲
→丸門灯はわかる。しかし、影は守宮の姿(Appearance)か、影(Shadow)か識別できない。花街はわかる。しかし、過ぎるのは作者か、誰なのか、(想像できなくはないが)腑に落ちない。丸門灯や守宮との関係や距離感が曖昧。「花街の丸門灯の守宮かな」などと、あっさりした世界から始める方がよい。
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