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◎懐にけもの眠らせ山眠る ムーミン
【評】山懐に冬眠する獣たちを詠んで無駄がない。「眠」の繰り返しが気になるので、「懐にけもの抱きて山眠る」としたらどうか。これでも冬眠であることはわかるから。
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○山眠る無人リフトと山彦と 美雪
【評】リフトに人を乗せたても面白い。なお、山彦に「山の神」と「こだま」の二つの意味があるので、句に詠むときはどちらかはっきりさせたい。
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○父在りし下野の山眠りをり 貴美
【評】今は亡き父の墓を慕ふ思い。「在りし」がやや曖昧だが、全体の表現に無駄がない。
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○山眠るホルンはいつも後ろ向き 千年
【評】山を背にアルプホルンを吹く景か。「後ろ向き」が一句の趣向か。 |
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○東山眠り洛中賑へり ひぐらし
【評】全山枯れ尽くした遠景と人里の賑わいの対照。「賑へる」の方がやや余情を増すか。 |
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△小銭入れ持ち重りして山眠る 月子
【評】「小銭入れ持ち重りして」と季題との映り(相互の映発)がみえてこない。
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△ブータンを学ぶ友垣山眠る 瑛子
【評】ブータンのことを学ぶ友だちがいる。それに山眠る(精彩を失った山)は似合うであろうか。あたたかな季題の方がよいのではないか。 |
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△遠吠えもやがて消えゆき山眠る むらさき
【評】「遠吠え」と「山眠る」との因果関係がありそうで、ない。
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◎風呂吹や夫婦二人に戻りたる 啓子
【評】海紅に「無花果や妻と二人に戻りけり」がある。「にもどりけり(戻りたる)」は詩の表現の定型句。これを身につけること、剽窃や盗作ではないことを知るのは大切な基礎勉強。よって類句とか模倣と言ってしりぞけてはいけない。二句は句兄弟とでも評しておこうか。ちなみに海紅句は「や」「けり」を併用してはならぬという常識に抗う草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」を意識した句。 |
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◎風呂吹きや生涯妻に詫びざりき ひろし
【評】余韻の深い句。妻はもう他界していないと読める。事実かどうか別にして読者には心当たりのある句になっている。 |
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◎風呂吹や母の遺影と目が合ひぬ 酢豚
【評】季題とこれほど融合した句もめずらしい。遺影はきっと微笑んでいたに違いない。 |
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◎風呂吹の秘伝を問へば返へす笑み 希望
【評】秘伝を持つ人は料理人か。味に満足している姿が如実。 |
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○風呂吹は八丁味噌ぞと決めてゐし 憲
【評】味噌には誰もこだわりがあるという句。「ぞ」は不要。「ゐし」は「をり」がいいかも。 |
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○停年や膳に風呂吹き妻ありて 由美
【評】詩歌表現は引き算、省略あるのみ。「風呂吹き妻」という妻がいるように思われるから「妻ありて」は捨てよう。定年と風呂吹きの膳があれば、言外に妻はみえるからね。
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○風呂吹や冷え込む夕に帰宅待つ 静枝
【評】素直でよろし。今後は中七・下五を「〇〇帰宅待ちながら」と俳句の定型句を学ぶと洗練される。
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△風呂吹きと聞いて母来た日もありき 和子
【評】食べに来たのか、指導に来たのか、「母」が何しにやってきたか曖昧。亡き母を偲ぶのなら、風呂吹きが上手な母、風呂吹きが好物の母に絞り込めばよい。
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△風呂吹きやひときれ口にほつこりす 靖子
【評】季語は説明なしで使うというのが原則(むろん例外もあるが)。「風呂吹きや」と言えば、「ひときれ口にほつこりす」というのは不要になるのが詩というもの。
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