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◎風鈴や遠のく真夜の救急車 憲
【評】「風鈴」に「や」を付けて詠嘆にすると「真夜の救急車」の悲しみと分離してしまう。よって「風鈴の」とする。
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◎風鈴に目覚めて犬の大あくび ちちろ
【評】余情豊かなり。 |
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◎風止みて風鈴市は昼餉時 酢豚
【評】「風止みて」と昼餉の配合がデリケートで面白い。ボクなら「風止んで」と軽くいう。
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◎何もせぬひと日暮れゆく風鈴に 啓子
【評】詩心あり。ただし「風鈴に何もせぬ日が暮れにけり」と表現をスッキリと。 |
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○風鈴や家出でし子の机にて 由美
【評】「家出でし子」は思わせぶりで、出奔・逐電ともとられかねないゆえ再考せよ。「風鈴の巣立ちたる子の机かな」 |
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○風止みて軒に影さす鉄風鈴 光江
【評】素直で好感。ただし「影さす」は曖昧。「鉄」は不要。「風止んで軒風鈴の翳りけり」
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○廃業店風鈴いまも鳴りつづけ ひろし
【評】公実の「むかし見し妹が垣根は荒れにけり茅花まじりの菫のみして」(堀河百首・徒然草26)の類型。この主題はたくさんの人々に詠まれ続けてきた歴史があるので〈新しみ(俳諧の花)〉を描くのがむずかしい。 |
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△風鈴やそのままがいいと熱の吾子 瑛子
【評】「風鈴」と「熱の吾子」はよく似合う。だが「そのまま」が不通。
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△また来てと届きし風鈴パゴダの音 美雪
【評】言いたいことがたくさんあって、「また来てと届きし風鈴」と「風鈴パゴダの音」の二つに主題が分かれてしまった。つまり二句分の内容が一句に押し込められている。「元気になってまた旅に出ておいでと風鈴が鳴っている」と「パゴダの風鈴が鳴っているよ」と二つの句にして一句一句をスッキリさせよう。 |
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△風鈴がうるさ過ぎると言はれけり 俊彦
【評】「うるさ過ぎると」いう人を句に詠む必要はない。こういう人がいるのはめずらしくないから。めずらしい出来事、つまり発見があるまでゆっくり風鈴をながめよう。「悲しすぎると」「淋しすぎると」「眩しすぎると」「優しすぎると」などといういう人に出逢うまで。 |
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△お隣の風鈴になやむ米寿猿 佳子
【評】「お隣の風鈴になやむ」のは凡夫の常(小我)だから、この段階では句にしない。「米寿猿」は戯画化した自画像であろうが、独り善がり。 |
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△風鈴や昭和紡ぎしピーナッツ 千年
【評】「風鈴」は「ザ・ピーナッツ」というデュオによく似合う。だが「昭和紡ぎし」「ピーナッツ」は不通(読者に届かない)。 |
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△ビルの茶室南部風鈴遠く鳴る 梨花
【評】「ビルの茶室」は私意(つまり十七音全体になじんでいない。言い過ぎと言い替えることもできる)。思わせぶり(意味ありげ)を装っているかにみえる。よって捨てるほうがよい。その結果、読者は風鈴の場所を自由に設定して鑑賞できる。これを推敲(私意を捨てる)という。また「遠く鳴る」は語法的に無理。「遠くに鳴る」「遠くで鳴る」でなくてはいけない。
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△軒一つ風鈴寺に音もなく 山茶花
【評】風のない寺の軒下に風鈴がぶら下がっているという報告に終わって、主題明らかならず。
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△思い出やせぴあのふうりん馨りたつ むらさき
【評】作者にセピア色(懐古趣味)の風鈴があることはわかるが、私意(独り善がり)の域をでない。風鈴は匂わないから「馨りたつ」は事実誤認。
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○猫舌に冷めて又よし一夜酒 和子
【評】甘酒(一夜酒)は昔から栄養ドリンク。人品整った作者がみえる。 |
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○古き友訪ふて甘酒なつかしき 貴美
【評】「古き友」と「なつかしき」の世界は重なるので「なつかしき」を捨てよう。〈古い友を訪ねて甘酒を飲んだ〉というだけでよい。「訪ふて」は「訪うて」か「訪ひて」にする。 |
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○甘酒や言はずもがなをついぽろり ひぐらし
【評】甘酒で「ついぽろり」とはお酒にかなり弱い人だね。相手が素敵な人なんだね。 |
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△婆が匙まずは舐らん一夜酒 月子
【評】日本昔話のような絵柄だが難解。「舐らん」は「舐めん」か。「まず」は「まづ」。 |
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△みちのくの取り寄せ甘酒うす赤し 静枝
【評】「みちのく」でなきゃいけない理由が不通。「うす赤し」が事実としても意図はわかりにくい。
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