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◎竹の皮脱ぐやう赤子の大あくび ムーミン
【評】普通に「竹皮を脱ぐや」と切って、中七以下の世界と区別しましょう。大胆でかわいい連想。
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◎皮脱ぎて青やはらかき竹の節 荻原貴美
【評】素直、つまり〈ありのまま〉のお手本。世阿弥の「時々初心」という言葉を思い出す。なぜか人はすぐこれを忘れてしまう。 |
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○空の色湛へし竹の皮散りぬ 千年
【評】口語訳すると〈空の色をいっぱい受けた竹の皮が散らかっている〉と読めるので表現は成立している。課題は「色」で十分か、「湛えし」と過去の助動詞でよいか、「脱ぐ」でなく「散りぬ」でよいかという磨き上げの問題。また、視点が「竹」とも、「竹の皮」ともとれるところに課題が残る。
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△夕さるや今脱げさうな竹の皮 柴田 憲
【評】「や」は〈夕べになる〉意の四段動詞について感動・強調を意味するので、上五と中七以下の世界が分離。「夕さる」と「脱げさう」な「今」は穿ち過ぎ、つまりスケッチの行き過ぎに思える。〈竹皮を脱ぐ夕べがやってきた〉というようのおおらかでよい。 |
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△皮を脱ぎ竹淙淙たり壮年期 むらさき
【評】〈竹は皮を脱いで、今まさに壮年期そのものである〉ほどの意か。〈「竹皮を脱ぐ」とはどういうことか〉と自分に問い、自分で〈それは「壮年期」である〉と答えてしまっている。すべてを言っては詩にならない。なお水の形容である「淙淙」も言い過ぎている。 |
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△時なりて竹の皮脱ぐあらあらし 山茶花
【評】「時なりて」は「竹皮を脱ぐ」の説明になってしまった。すべてを言わない。竹が皮を脱ぐように、説明を捨てることがとても大事。〈竹が皮を脱ぐ姿はなんて荒々しいんだろう〉とだけ言えばよい。 |
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△性目覚むる中二男子や竹皮脱ぐ 西野由美
【評】わかるようで、わからない。好みでいうと、このような句は好まない。ゴメンネ。
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△竹の皮おかまいなしに脱ぎ散らさる 直久
【評】「おかまいなし」の絵柄が描けなければ、ただの散文。 |
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△音もなく皮脱ぐ竹に陽乱れ入る 三嶋 泰
【評】無音の世界と、陽光との二極に分離してまずい。「陽乱れ入る」も強すぎるし、日本語としても不安定。 |
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△かぐや姫居るかと竹の皮落とす 和子
【評】「かぐや姫居るか」と思い見る主語と、「竹の皮」を「落とす」主語が同一人物のように受け取られてまずい。 |
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△祖母と見し脱ぎ捨てられし竹の皮 佳子
【評】「祖母と見し」という記憶と中七以下の内容が響き合わない。事実を告げただけと受け取られてしまう。 |
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◎船虫の先に乗り居て屋形船 月子
【評】蕪村調のお手本。この作者、捨てるモノを知りつつあり。
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◎船虫の風の暗さの中へ散る 梅田ひろし
【評】「風の暗さ」とは言い得て妙なり。 |
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◎舟虫やカンブリア紀の波の音 ひぐらし
【評】古生代の〈カンブリア紀と来たか〉というのが最初の感想。節足・脊椎など地球の歴史とロマンへと想像が広がる。「波の音」がリアリティを支え、理屈を脱することもできている。
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○船虫の逃げて砂浜置き去りに 酢豚
【評】鮮烈きわまりない構図。それは「置き去りに」という主観によるところが大きいのだが、それゆえに褒貶分かれるか。「残る」「ひろびろ」などと表現を抑制する道もある。 |
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○船虫やしたたる身を置く海女一人 ちちろ
【評】「したたる」は海女の説明になってしまうので捨てたい。「や」は船虫の詠嘆を意味するから、海女の着物や素肌などと取り合わせてはどうだろう。 |
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