わくわく題詠鳩の会会報62   ホーム
鳩ノ会会報62(平成26年7月末締切分)
兼題 朝曇・紙魚

【はじめに】
朝曇りのもたらす情景は「暑くなる気配」。雑草という草がないように、シミという虫はいない。雲母虫その他の総称だから、紙魚は本意と考えるべきかも。


○人間の眼捉へてきらら行く   千年
【評】焦点を明らかにするために、「捉へ」「行く」の一方を捨てたはどうか。雲母虫が今人間の眼を捉えたとか、人間を尻目に雲母虫が歩むとか。

○贈とあり師のサインあり紙魚棲めり   月子
「あり」「めり」の響きをねらったかもしれないが、書物であることを明確にしてはどうか。「紙魚」という語があれば、棲みついている、あるいはいたとわかるので。

◎先生の名はKとのみ紙魚の本    ひぐらし
「本」ではちょっと軽い感じ。詩集とか歌集とか具体性がでるとさらによい。

○無門関求めにけるよ紙魚の痕   柴田 憲
「求めにけるよ」「痕」を捨てたい。作者の添書に「寛文6年(1666)丙午仲秋日 村上勘兵衛刊行(現平楽寺書店)」云々とあるから、例えば事実の報告だけでなく、「仏書『無門関』を買ふ」と前書きして、「寛文と読めて嬉しや紙魚の古書」などではいかが。

◎草かんむりか竹かんむりか紙魚の跡   梨花
諧謔味があっておもしろい。「紙魚の跡」では説明が過ぎるから、「草かんむりか竹かんむりか古書の紙魚」などではどうか。

◎漱石が好きらし紙魚の赤表紙    ムーミン
『漱石全集』の装幀だね。うまく説明出来ないが、「赤表紙は紙魚に」とする方が余情深い。

△這ひだして書棚一画紙魚追ひし    山茶花
「一画」は「一角」か。でも「書棚一画」は捨てて(読者の想像に任せて)よい。そして、追いつめないで優しく見守ってほしい。

◎一匹の紙魚に乱歩の世界かな   酢豚
「乱歩の世界かな」とはみごと。紙魚まで賞美されている。

○絵草子の膝栗毛なり紙魚はしる   堀口希望
「絵草子(草双紙)」だから紙魚がある、というふうに理屈に読まれてしまう嫌いがある。

○紙魚はしる葉隠聞書読み直す   直久
あえて「聞書」である必要はない。また「読み直す」がワザとらしいかも。「『葉隠』の紙魚の一語を愛誦す」と焦点をしぼるとよいかも。

△紙魚の穴少女の頬っぺ片笑窪    谷 美雪
視点は新鮮。とりあえず「読み始む笑窪のやうな紙魚の穴」なんて改作してみたが(どうだろう)。

○出し忘れ机の中の紙魚ハガキ   礒部和子
「机の中」は不要。「紙魚ハガキ」という言葉も落ち着かない。「出し忘れハガキに紙魚の跡のあり」などではいかが。しかしボクの好みで詠み直せば「出し忘れハガキ出てきて紙魚もなし」などの方がおもしろい。


◎遮断機が人溜めてゐる朝曇り   梅田ひろし
「朝曇り」がまことに利いている。好みで言えば「人を溜めゐる」と「を」を入れたい。助詞を省略したくないのだ。

○鉛管の鈍く光るや朝曇   三嶋 泰
「鈍き光や」とする方が「朝曇」が生きるように思う。

△愁ひありて目にやさしき朝曇   むらさき
音数不足か。重たい句なので、句中の人を傍らから見守る句にしてはどうか。例えば「朝曇しばらく愁ひある人に」。

◎供花剪り桶につけおく朝曇   西野由美
やがてお供えする心情と「朝曇」に通い合う情あり。しかし、好みからいうと「供花(くげ)摘んで桶につけあり」と傍らから見たようにすると上品かと思う。

△広島に原爆落ちた朝曇り   天野喜代子
実体験のようにも、目撃したようにもとれるところあいまい。「広島の原爆の日や朝曇り」と「や」で詠嘆し、今日がその日だと気づく句にしてはどうだろうか。

 
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