【概評】
本意を学びたい。本意から逸れたくない。
季題・季語の区別は難しいが、季題を「大根」とし、その題の中に「大根引く・大根馬・大根洗ふ・大根干す」などの季語があると考えてはどうか。そうすればもう少し多彩な作例が生まれただろう。大根引は俳諧題(横題)で佳句が少ない。これはわずかに「鞍壺に小坊主乗るや大根引(芭蕉・炭俵)」「大根引き大根で道を教へけり(一茶・七番日記)」で本意を探るしか道がないことを意味する。この二句を評言の基準にした。
神無月(時雨月・初霜月)の本意は「冬(寒さや落葉)の始まり」である。それを窺わせる古句は「風寒し破れ障子の神無月(宗鑑・真蹟)」「けふよりやいろ葉散りぬるかんな月(貞室・玉海集)」「明け暮れて大根味し神無月(信徳・きさらぎ)」「神無月ふくら雀ぞ先づ寒き(其角・五元集)」「神無月旅なつかしき日ざしかな(太祇・句選後篇)」など。これに従って評言を加えた。
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○腰痛の待つたをかける大根引 酢豚
■評=腰痛のために思うに任せないという。こういうことは確かにある。だがそれのみでは句格が整わない。腰痛の句であるが、大根引の句ではない気もする。 |
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○丸き背をみな富士に向け大根引 谷地元瑛子
■評=大根引全員が富士に背を向けて、しかも丸めているという瞬間はあるにちがいない。でも背を向けず、富士に向かって大根を引く姿の方が、富士を称える景情も加って、豊かになる気がする。 |
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△大根引二股を手に苦笑ひ 千葉ちちろ
■評=俳諧性の一つにこうした笑いがあることは間違いない。だがそれは言い捨ての味。この句もちちろ作として残すほどものではないだろう。 |
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△大根引く力くらべの老いの腰 若林直久
■評=老人と大根との力競べ。他人のことを客観的に描写しているようで、作者の熱い心は届かない。 |
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△大根引く父祖の山河を山河とし 堀口希望
■評=座五「山河とし」がわからなかった。 |
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○大根引いつしかに日の退ざりゐて 梅田ひろし
■評=終日にわたり大根引をしたという句。だがそれは珍しいことでないから、読者の心に強くは響かない。 |
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△しっとりと重さ増すなり大根引 山茶花
■評=何の重さが増したのか、わからなかった。 |
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○引きすすみ白根へ近寄る大根引 三嶋 泰
■評=白根山の麓、群馬や栃木の景か。だが白根が動く(他のものと差し替えられる)という非難があるかもしれぬ。 |
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△しほ風にとんび乗る空大根引き 西野由美
■評=潮風に乗る鳶の空と大根引との関わりが弱い。 |
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△大和路に白煙靡く神無月 ひぐらし
■評=中七「白煙靡く」がわからなかった。 |
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△人垣をいづれば若き神無月 むらさき
■評=人垣を出るのは誰か、若いのは誰かわからない。 |
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◎子に詫びることのさまざま神無月 ムーミン
■評=「神無月」との取り合わせを積極的に評価してみた。 |
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△唐人の御くじ惑ひつ神無月 柴田憲
■評=上五・中七がわからなかった。 |
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◎置き薬来て話しこむ神無月 月子
■評=久しぶりに来た薬売りと話し込む。神無月と薬売りの取り合わせを評価してみた。なお初五「薬売り」とすれば「話し込む」がもっと生きる。 |
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△やすらかに谷水落つる神無月 千年
■評=谷間の神社周辺の景か。「やすらかに」に、どのような効果を持たせたいのかわからなかった。 |
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