俳文学研究会会報 No.45   ホーム

日時 平成19年5月20日(日)
吟行 古河邸・六義園・江岸寺
場所 甫水会館

江戸談林八世の句碑                  海 紅
本駒込の江岸寺に、御衣黄(ぎよいこう)という珍しい八重桜があると誘われて出掛けると、御住職は一面識のある方であった。 本堂の右脇の植え込みに古い句碑があって、読めというから読んで、同行の青柳光江さんに書きとめてもらった。碑面は次の通りで、梅翁(西山宗因の俳号)を継ぐ「謄雲庵厄簾」という俳諧師のものとわかるが、「厄」は難読である。江戸談林七世は一陽井素外(文政六年〈1823〉没)だから、その後継。しかし手許の資料で「謄雲庵」の詳細はわからない。 現 世 おもしろや月ゆき 花に渡る世は 謄 雲 庵 俳諧談林梅翁八世 厄 簾 辞 世 長々の御世話に なりぬ雪月花 碑陰に「安政五年戊午年十月」とあり、建碑に関わった門人連中の名がある。安政五年は西暦1858年。以上、手控えに書きとどめておく。なお、「長々」の踊り字は平仮名「く」の縦長に見えるものだが、横書きの制約から「々」とした
句会の記録 古河邸・六義園吟行          伊藤 無迅
前日吹き荒れた春疾風(はやて)は嘘のように止み、この上ない吟行日和となった。
夏帽子快晴無風六義園        千寿子
俳文研初参加の大原芳村さん、吟行は初めて参加の市川千年さん、それに病癒えて久しぶりに元気なお顔を見せた久保寺さんを交え、一行は駒込駅頭より旧古河庭園に向け吟行開始。全国トップを切って開化した東京の桜はすでに「花は葉へ」。若葉がまぶしい。半袖もちらほら、陽気は初夏である。
静謐の園を歩めば風光る       美規夫
夏の季語がまことに心地よい。季語の先取りは、遅れより良いといわれる。昼食は広い六義園のなかで三々五々。午後二時過ぎ甫水会館で句会開始。


谷地海紅選

全開の白き鎧戸花ポピー 無迅    
さまざまの人の真上の残花かな いろは    
合唱の出番待つ顔春の雲 いろは    
御衣黄の湧き出すやうな緑かな  文子    
水の渦若葉の影を食べる鯉 美雪    

互選結果
(◎印は特選)
一と撥ねの鯉に崩れし花筏 芳村 11 ◎文子・喜美子・美規夫・光江
さまざまの人の真上の残花かな いろは ◎正浩
いさかひは春のいたずら眼鏡拭く 月子 ◎宏通
合唱の出番待つ顔春の雲 いろは ◎美知子
静かなる御衣黄の下さんざめく 美知子 ◎富子・千年・美智子
全開の白き鎧戸花ポピー 無迅 ◎海紅
なぞり読む文字は難解花空木 芳村  
御衣黄の湧き出すやうな緑かな 文子 ◎美雪
二十歩で渡る石橋山つつじ 海紅 ◎芳村
囀や閑さ抱きぬ古河庭 宏通  
水の渦若葉の影を食べる鯉 美雪  
禅寺に映える桜の鬱金色 美智子 ◎佳子
細枝に足掛け松の蕊を摘む 芳村  
夏帽子快晴無風六義園 千寿子 ◎靖子
談林の石碑うれしや夏近し 千年 ◎勇造・千寿子
やはらかに洋館つつむ春の雲 正浩  
静謐の園を歩めば風光る 美規夫  
お茶会は遠くの記憶春の庭 美規夫  
巣作りのカラス一枝落しけり 喜美子 ◎月子
山吹の傍あいてゐる腰おろす 海紅 ◎無迅
これも桜御衣黄といふ名に黄みどりに 月子  
満天星の鈴音を聞く池の端 正浩  
ゆく雲に館の色の遠き日よ 美知子  
洋館の銅の煙突春の雲 月子  
やはらかにゆれて御衣黄桜かな 千年  
土壁の江戸照らさんと紅つつじ 文子  
あとは散るのみの御衣黄櫻かな 靖子 ◎いろは
歩むかに三葉つつじの花衣 文子  
蛛の道外通姫の和歌ありし 美智子  
手鏡の桜蘂降る軽さかな 無迅  
御衣黄のためらふごとく青さかな 美規夫  
池に鯉天に囀り人のどか 宏通  
草若葉今をさかりに背をのばし 富子  
大名庭黄色い声のかけ回る 千寿子  
御衣黄の幹の大きく曲がるかな いろは  
葉桜と天水桶の江岸寺 佳子  
眼裏の玉虫色や鳥交る 無迅  
六義園つつじの向うに妹背山 佳子  
       

合 評
初参加の芳村さんが、ダントツの最高点句、十一点を取りました。(因みに新聞によると「ダントツ」は石原慎太郎氏の造語とのこと、「断然トップ」の短縮形でかの『太陽の季節』が初出とのことです。)聞けば俳歴は十年とのこと、他の二句も高点句でした、流石ですね。また今回は、いろはさんの奮闘が目立ちました。俳号をもつと俳句への姿勢が変わると言いますが、海紅先生の選に二句入るという快挙でした。 
それでは、六点句までの高得点句の合評結果を整理します。
一と撥ねの鯉に崩れし花筏     芳村 
特選票も四人入りました。鯉の躍動感と花筏の危うさの対照が、なんとも言えない味わいがあるとの評が大半を占めました。まさに一瞬をとらえた写生句ならではの句であるとの評も。選ばなかった方の評としては、類想があるのでは、との意見もありましたが、出席者の半数以上の賛同を得たダントツの佳句でした。
さまざまの人の真上の残花かな    いろは
この句は海紅選の入選句、互選でも七点入った高点句で、皆さんの共感を得た句でした。「残花」は難しい季語ですが、この句は比較的「さまざまの人」にウェートがあるせいか「残花」がかえって生きたようです。残花は春遅れて咲いた桜や未だ残っている桜を指し余花とは季感が異なる。つい数日前のあの華やかさはない。むしろ日常に戻った感慨のなかでの発見である。この句は上五でそれ(日常に戻った)を感じさせる。そうであるため、谷地先生が指摘したように「真」が惜しい。せっかくの日常が「真」でただならぬ様相を示してくる。ここは単に「上なる」ぐらいでは如何でしょう。それにしても、合唱句もそうですが、二句とも力みのない、いろはさんの本領句でした。
いさかひは春のいたずら眼鏡拭く   月子
これも高点の六点句、皆さんの賛同を得た上手な句でした。下五の所作がこの句の眼目なのでしょう。皆さんの評では季語「春」が動く点が惜しいとの声が多かったように思います。中七を推敲すれば月子さんの代表句になるか・・・・・
静かなる御衣黄の下さんざめく    美知子
特選票が三人も入った句で、上五と下五の言葉の対照が上手いですね。吟行仲間の興奮が伝わってきます。「御衣黄」が季語となりえるか?が合評の中心話題でしたが、やはり現在では無理かもしれませんね。これは筆者の意見ですが、やはり歳時記に載っているか、よりも第三者が分るかの方が重要と思いますが、皆さんは如何でしょうか?

海紅選入選の皆様、それに高得点の皆様おめでとうございました。
最後に、皆様お疲れ様でした。

参加者:
谷地海紅・尾崎喜美子・奥山美規夫・平岡佳子・根本文子・小出富子・中村美智子・大江月子・椎名美知子・久保寺勇造・安居正浩・市川千年・菅原宏通・青柳光江・園田靖子・谷美雪・吉田いろは・水野千寿子・大原芳村・、伊藤無迅(以上二十名、順不同)

歳時記の家                      有村 南人

 私の庭いじりは、毎年何を試みても徒労に終っていた。狭庭に蔓延る雑草すら取りあぐねている。私がものぐさであるという証にほかならなかった。
  ものぐさにとって、家居なら何日、何時間であろうと苦にならない。ただ、氾濫する健康情報が、運動不足は老病死を促進する、と煽り脅かすから、椅子にへばりついてばかりいられなくなる。ものぐさにも長生きは魅力であるらしい。(それなら庭の草木より運動だ)一念発起はしたが、長続きしなかった。やはり、ものぐさの本性は即座に露見した。通信販売で購入した健康器具は次々と納戸に放り込まれる。大自然を求めて行けば、その翌日は半病人となってフワフワしていた。唯一続いている気に入りが、週に二、三回天候の良い日を限定の散歩であった。散歩なら努力せずとも身体が動き、かつ、好きだけど私の手に負えない植物を、よその家で覗き見することもできて、誂え向きだった。が、たいていの家はしっかり門扉を閉ざし、花は塀の内で咲き誇っている。他人の家を、わずかな時であれ凝視して佇んでいては、犬には吠えられ、通行人には怪しまれ、不都合この上ない。
  そこで、発掘した散歩コースが「おばば」の家のある通りだ。おばばの家は、住宅メーカー初期仕様の二階屋だった。その東側が細い道路になっているのである。人と車はほとんど入って来ない。お ばばは花卉の手入れをしたり、それを閑人が誉めそやしていたり、まれに通行人が何十分立ち止まっていたりしようとも、誰も咎めなかった。蜜蜂や蝶もさかんに訪れた。おばばの愛犬がたまに吠えるのは、通りすがりの散歩犬を威嚇してみるためである。
  おばばは南国の生れらしかった。「おばあ」と呼ぶのが正しいのだろうが、近所の閑人達にはおばばで通っていた。丸顔で眉が濃い。黒い眼と眉の間隔が狭くて、その眼は無防備にいつも笑っていた。喋るとガラガラ声だった。年恰好は七十歳代であろうか。
  この家の東側の壁面はほとんど、樹木の葉や花で二階の窓近くまで蔭になっていた。風呂場と洗面所の窓も、うまく目隠しされている。夏などは、開放されたその窓から家の中へ、さぞ心地よい風が吹き込むだろうと思われた。植物群はすべて、おばばの作品だった。梅、まんさく、椿、木瓜、花蘇芳、辛夷、早咲きの桜、小手毬、藤、紫陽花、その他続々と咲き継いで行く。春なら沈丁花、秋は金木犀の香が、その通りに入ったとたん何軒も先から花の在り処へ導いてくれる。日差しが濃くなれば、夏椿だのなつめだの柘榴、木槿なども枝葉を拡げて翳り、晩夏には凌霄花や夾竹桃、百日紅が暑苦しく咲き続けた。 ―続く―


俳文学研究会会報 No.44
   
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