日時 平成19年1月27日(土)
吟行 泉岳寺・高輪大木戸跡・品川寺・泊船寺・鮫洲八幡・なみだ橋・鈴ヶ森
場所 甫水会館
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谷地海紅選
◎梅真白どの卒塔婆にも刃の字 |
文子 |
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二十五歳の義士の墓有り梅香る |
惟代 |
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刑場の跡とや帰り花一枝 |
希望 |
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早咲き梅ほころび赤穂義士の墓 |
邦雄 |
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路地裏を歩く足音暖かし |
ちちろ |
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互選結果
寒梅のはや咲きそめて義士の寺 |
月子 |
2 |
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梅真白どの卒塔婆にも刃の字 |
文子 |
5 |
◎希望 |
信号に地名の残る春の木戸 |
文子 |
5 |
◎嘉子 無迅 惟代 |
冬うらら幼な子もまゐる泉岳寺 |
惟代 |
1 |
◎喜美子 |
切腹の血を見し古木若木出ず |
とみ |
1 |
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路地の上ふとん干したり春日和 |
ちちろ |
1 |
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山門の松をななめに春の雲 |
主美 |
2 |
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球音や刑場跡の冬木の芽 |
無迅 |
5 |
◎実 文子 |
椎の木に遊ぶ猫ゐて春近し |
喜美 |
3 |
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吟行の冬帽子追ひ歩きたり |
とみ |
3 |
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苔のなき磔石や冬の果て |
無迅 |
3 |
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ろう梅の黄色陽に照る泊船寺 |
喜美 |
2 |
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二十五歳の義士の墓有り梅香る |
惟代 |
4 |
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水仙は向きを変へても個なる花 |
主美 |
1 |
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鈴ケ森つばき一輪お七の碑 |
美雪 |
1 |
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子別れをして来た顔か寒鴉 |
海紅 |
3 |
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春の陽と人情並べる裏長屋 |
邦雄 |
2 |
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首塚や赤穂の思ひ椎に聞き |
絢子 |
2 |
◎主美 |
白梅や享年それぞれ義士の墓 |
喜美子 |
1 |
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鈴ケ森無念思へばなほ寒し |
冨子 |
1 |
◎喜美 |
木々芽吹き足取り軽し東海道 |
ちちろ |
1 |
◎冨子 |
可憐なる血染めの梅と呼ばれしが |
正浩 |
1 |
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恋の火に焼かれしお七春淺し |
巧 |
1 |
◎美規夫 |
此の鴛鴦もいづれ別れん涙橋 |
宏通 |
5 |
◎千寿子 月子 |
義士寺の松に漆黒寒鴉 |
月子 |
1 |
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涙橋日陰に番ひ鴨遊ぶ |
ひろし |
3 |
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一切皆空冬うららなる鈴ケ森 |
希望 |
4 |
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涙橋覗けば二羽の春の鴨 |
ちちろ |
1 |
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赤い椿義士切腹の屋敷跡 |
正浩 |
1 |
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犬なけば梅も目覚めり泊船寺 |
宏通 |
1 |
◎ちちろ |
禅寺に紅梅こぼれ芭蕉句碑 |
喜美子 |
2 |
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臘梅の花よりも日の華やげり |
ひろし |
2 |
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刑場の跡とや帰り花一枝 |
希望 |
4 |
◎ひろし |
早梅や香煙たえぬ義士の墓 |
実 |
3 |
◎絢子 邦雄 |
志士たちにふくら雀も墓参り |
嘉子 |
1 |
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梅の香や十代もゐる義士の墓 |
巧 |
3 |
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義士の心消えゆく日本冬ざるる |
惟代 |
1 |
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春ショール細川藩の屋敷跡 |
無迅 |
1 |
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冬晴れの刑場に鳶旋回す |
由美 |
2 |
◎美雪 |
泊船寺春らんまんの椿あり |
主美 |
1 |
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泊船寺ろう梅の香と松の船 |
美雪 |
1 |
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早咲き梅ほころび赤穂義士の墓 |
邦雄 |
1 |
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中央に薄き月あり鈴ケ森 |
喜美子 |
3 |
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墓の上石垣の上日脚伸ぶ |
海紅 |
1 |
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墓一つに線香一本冬あたたか |
正浩 |
2 |
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路地裏を歩く足音暖かし |
ちちろ |
1 |
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次々とセーターを脱ぐ日和かな |
海紅 |
4 |
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紅梅や無念忠義も墓の中 |
宏通 |
2 |
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四十七基おなじ墓なり冬ぬくし |
希望 |
1 |
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義士像の影がくつきり春隣 |
巧 |
1 |
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だんご屋の暖簾に日影春隣 |
実 |
3 |
◎巧 |
刑場の木の瘤かなし寒ま中 |
月子 |
1 |
◎由美 |
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◎印は特選句 特選句を選んでいない方もいました。選句用紙が全部回収されませんでしたので、抜けている箇所もあります。 |
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参加者:
谷地海紅、小出富子、大江月子、金井巧、松村實、根元文子、三木喜美、梅田ひろし、尾崎喜美子、谷美雪、米田主美、水野千寿子、奥山美規夫、内藤邦雄、織田嘉子、伊藤無迅、千葉ちちろ、西野由美、浜田惟代、櫻木とみ、堀口希望、小木曽絢子、菅原宏通、(以上二十三人、順不同)、(欠席投句)安居正浩
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泉岳寺吟行記 小出富子
夜来の雨もあがり、雲一つない好天気のなか、泉岳寺門前に全員が揃ったところで記念撮影。中門と山門の中間右手に「大石内蔵助良雄」の銅像がある。浪曲の宗家、桃中軒雲右衛門の発願により鋳造され、所有者が転々としていたが、大正一五年一二月一四日に泉岳寺に寄進され、除幕したもの。内蔵助が当時の風俗である元禄羽織を身につけ、連判状を手にして、東の空(江戸の方)をじっとにらんでいる姿を表している。
本殿参拝の後、ゆっくりと境内を見学し、大石主税が切腹した松平隠岐守三田屋敷に植えられていた「主税梅」と、赤穂義士墓地のお線香の香りを余韻に、次の目的地に向う。
泉岳寺、中門右手の細い坂道をのぼり、大石内蔵助以下一七名が切腹した場所に着く。施錠された門の中には、しるしの石が据えられている。
赤い椿義士切腹の屋敷跡 正浩
京浜第一国道沿いで、品川駅と田町駅の中程にある「高輪大木戸跡」は、石垣の高さ約三・六メートル、幅約五・四メートル、長さ七・三メートル。昔のままの状態で残されている。道の両側にあったものを道路拡張の際、一方は取り払われたそうである。「東京の民謡」、
お江戸日本橋七つ立ち 初のぼり 行列そろえて アレワイサノサ
コチャ高輪 夜明けて提灯けす コチャエ コチャエ
往時の旅人は日本橋を七つ(寅の刻・午前四時頃)に立ち、御田(三田)神社に旅の無事を祈願し、大木戸のあたりで提灯の灯を消したそうである。また夜は閉めて、江戸の町を守ったという。
信号に地名の残る春の木戸 文子
大木戸を後にして、京急線で青物横丁まで移動し、旧東海道に出る。少し歩くと右側に品川寺(ほんせんじ)が見えてくる。ここは、江戸三十三観音の札所の一つである。境内の小さな七福神を巡り、江戸六地蔵に見送られて、「泊船寺」に向う。
鮫洲商店街入口を右に折れて、第一京浜を渡ると泊船寺がある。あまり知られていないが、芭蕉は東海道をのぼるとき、いつも泊船寺に立寄ったそうで、芭蕉ゆかりの地という。今回の吟行で唯一、芭蕉や俳句にかかわりのある場所である。くぐり門を入ると、玄関左横に、高さ一・五メートル、幅一・二メートルの大きな句碑があり、
いかめしき音や霰の檜笠 はせを翁
と刻まれ、碑裏面に「芭蕉百五拾忌建立」とあり、建碑協賛俳人百余人の名前が刻まれている。
玄関正面の高さ五〇センチ程の自然石に、「芭蕉像安置」とあり、裏面に、
旅人と我名呼れん初時雨 はせを
と、刻まれている。「芭蕉翁安置碑」の右横に、高さ一メートル程の碑があり「はせをの前に芭蕉なく 芭蕉の後にはせをなし/芭蕉々々大なるかなはせをの葉」 木犀庵楼川居士等と刻まれ、芭蕉鑽仰の碑がある。臘梅、紅梅が咲き、金柑の実も色づきはじめている。芭蕉像が一般公開されていないのが心残りである。
旧東海道に戻り、鮫洲駅前の小木曽さん宅で小休止、鮫洲八幡神社参拝。次の目的地に向う。間もなく浜川橋(なみだ橋)を渡り、少ししんみりした気分で「鈴ヶ森刑場跡」に到着。
ここは、一六五一年、四代将軍家網の頃に設置されてから、明治三年(一八七〇年)に廃止されるまで罪人が処刑された場所である。江戸時代の刑罰はとても厳しく、十両盗めば首が飛ぶと言われ、受刑者の四割近くは、無罪であったそうである。多くの墓碑が立ち並び、礫台石、炙り台石が当時のまま残されている。菩提寺である大経寺に、見守られていて少しほっとする。
京急線が不通という事で、タクシーに分乗し、句会場に行く。句会終了後、会場近くにある東海寺大山墓地に、沢庵和尚のお墓を見学する。東海寺は、沢庵和尚が、徳川家光の帰依を受けてこの地に開いた。沢庵はたくさんの野菜から、大根を生乾きにし、糠と食塩で漬けて重石をしたもので、沢庵和尚が初めて作ったとされている。
日没を前にして、疲れた足をもう少し頑張らせて、最終目的地「高村智恵子」終焉の地に向う。ゼームス坂病院(サナトリュウム)跡地に、智恵子の「レモン哀歌」の詩碑が建てられている。
今回鮫洲在住の小木曽さんに会場の手配から、句会のお菓子までいただき、お世話になりました。有難うございました。時間不足で急ぎ足でしたが、品川宿は北品川から鈴ケ森まで歩けば、昔の面影が残っている箇所もあります。機会があれば、あらためてゆっくり散策されることをお勧めします。 |
お 礼 金井 巧
昨年十月〜十二月の芭蕉会議サイト「芭蕉会議文学館」特別展に私の句を取り上げていただき、有難うございました。谷地先生の身に余る紹介文や、会員諸兄姉の心暖まるコメントなど、感謝の気持で一杯です。これからも少しずつ句作に励んでいきたいと思っています。
私、インターネットの「イ」の字も解らない機械音痴ですので、謝意を表す術を知りません。お会いした折にでもと思っていたのですが、お会い出来ない方もおられるので、この場を借りて御礼申し上げます。また「カルテモ」の内藤様にもお世話になりました。有難うございました。
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