日時 平成18年10月28・29日。一泊研修会。
吟行 日光湯元
場所 おおるり山荘 |
連句「いくつもの」半歌仙
いくつもの川越えてゆく蔦紅葉 |
文子 |
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芒原より汽笛聞こゆる |
正浩 |
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マンションの上に明るき月出でて |
海紅 |
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テレビゲームを飽きることなく |
冨美子 |
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白樺すつくと伸びて雪催ひ |
千寿子 |
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朝日に続く鴨の一日 |
千寿子 |
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淋しくて湖畔の宿に書く便り |
文子 |
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十四歳でみごもりし子よ |
正浩 |
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はぜ紅葉ブランコを押す父若し |
由貴子 |
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生家の庭にすだく虫の音 |
喜美子 |
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ゆつたりと雲の流るる刈田哉 |
正浩 |
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まだみづみづし軒下の柿 |
冨美子 |
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澄みわたる空になりたき案山子とも |
嘉子 |
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仔犬のワルツ着メロにして |
美雪 |
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春休み一人暮らしをして楽し |
富子 |
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祝入学と黒板に書く |
主美 |
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絵馬堂の花の陰より踵神 |
無迅 |
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表参道をとめらの春 |
月子 |
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谷地海紅選
善蔵の歩みし湖畔枯葉踏む |
奥山美規夫 |
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滝しぶき赤い紅葉とたはむれて |
大箭冨美子 |
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流れ来て霧となる水落ちる水 |
根本文子 |
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繋がれし秋のボートのことことと |
安居正浩 |
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冬隣ボート溜りに舟軋む |
伊藤無迅 |
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しらかばのふところ深し秋の湖 |
小出と富子 |
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鴨の水脈鴨がよぎりて秋入日 |
安居正浩 |
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落葉松の意志ある如き黄葉かな |
根本文子 |
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入江まで鴨のつがひの湯の湖かな |
水野千寿子 |
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菊の香や白沢郷里道の駅 |
大江月子 |
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さざ波のはがれるやうに鴨の翔つ |
根本文子 |
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かさこそと落葉踏む足痛みがち |
織田嘉子 |
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秋澄むや木道またぐ猫二匹 |
伊藤無迅 |
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新しき出会ひがありて秋嬉し |
織田嘉子 |
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白樺も湯の湖も翳り秋没日 |
後藤由貴子 |
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互選結果
浴槽に釣瓶落しの波紋かな |
伊藤無迅 |
3 |
菊の香や白沢郷里道の駅 |
大江月子 |
1 |
入江まで鴨のつがひの湯の湖かな |
水野千寿子 |
1 |
落葉松の意志ある如き黄葉かな |
根本文子 |
5 |
秋澄むや木道またぐ猫二匹 |
伊藤無迅 |
1 |
濡れ落葉踏んでこれより湖畔道 |
谷地海紅 |
3 |
鴨の水脈鴨がよぎりて秋入日 |
安居正浩 |
3 |
白樺のふところふかし秋の湖 |
小出富子 |
4 |
鉄塔を簪にして山粧ふ |
後藤由貴子 |
3 |
繋がれし秋のボートのことことと |
安居正浩 |
4 |
流れきて霧となる水落ちる水 |
根本文子 |
6 |
三百の石段降りて秋を知る |
小出富子 |
1 |
かさこそと落葉踏む足痛みがち |
織田嘉子 |
2 |
善蔵の歩みし湖畔枯葉踏む |
奥山美規夫 |
2 |
滝しぶき赤い紅葉とたはむれて |
大箭冨美子 |
1 |
白樺も湯の湖も翳り秋没日 |
後藤由貴子 |
6 |
湖底に秋日を吸へるもの動く |
谷地海紅 |
5 |
さざ波のはがれるやうに鴨の翔つ |
根本文子 |
5 |
滝となる前のためらひ夕日中 |
谷地海紅 |
3 |
新しき出会ひがありて秋嬉し |
織田嘉子 |
1 |
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私の特選句
海紅選 |
さざ波のはがれるやうに鴨の翔つ |
文子 |
由貴子選 |
鴨の水脈鴨がよぎりて秋入日 |
正浩 |
嘉子選 |
流れきて霧となる水落ちる水 |
文子 |
文子選 |
滝となる前のためらひ夕日中 |
海紅 |
無迅選 |
湖底に秋日を吸へるもの動く |
海紅 |
千寿子選 |
浴槽に釣瓶落しの波紋かな |
無迅 |
主美選 |
繋がれし秋のボートのことことと |
正浩 |
正浩選 |
流れきて霧となる水落ちる水 |
文子 |
冨美子選 |
落ち下る見上げる湯滝白ばかま |
(失名) |
美規夫選 |
白樺のふところふかし秋の湖 |
富子 |
月子選 |
繋がれし秋のボートのことことと |
正浩 |
美雪選 |
繋がれし秋のボートのことことと |
正浩 |
喜美子選 |
白樺のふところふかし秋の湖 |
富子 |
富子選 |
濡れ落葉踏んでこれより湖畔道 |
海紅 |
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参加者:
谷地海紅 奥山美規夫 尾崎喜美子 小出富子 根本文子 大江月子 安居正浩 谷美雪 伊藤無迅
後藤由貴子 織田嘉子 水野千寿子 米田主美 大箭冨美子
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日光湯元吟行記 奥山美規夫
うつしみの生を惜しむがごとく行く秋に重ねつつ、日光湯元へ向かった。紅葉狩の季節とて、渋滞という苛立ちに遭遇する。それでも行きたいと思う。昼夜の区別の無い索漠とした都会に潤いは無い。だからしっとりと目に優しい紅葉がみたい。湯元へはいろは坂を上るのが普通だが、過日万座温泉への旅で、大渋滞に遭遇して体調を崩した記憶が鮮明にあり、渋滞が心配であったが、その懸念は金精峠を越えることで解消した。この時期、近くて早いはずのいろは坂は、のろのろで地獄道に等しく、遠いはずの沼田周りが天空をすべるが如く快適であった。
真直ぐ行けば、尾瀬という標識。「右日光」とある。いつか行った尾瀬は秋の花も終わり、芒原も朽ち果てて一気に冬へ向っているのだろう。道の駅で休憩をとる。ここは温泉施設もあり、もう少し余裕があれば入浴したいところだ。農産物直売所では野菜や、もぎ立ての真っ赤なリンゴの香りにみちている。
展望台に立つと、柔らかい秋の日差しに山波がかすんで見える。これから越える峠が秋色を帯びて視界に広がっている。
菊の香や白沢郷里道の駅 月子
道の駅で買い求めたという菊の香がバスの中にひろがる。美しい景色に、車中の連句会も途切れて、バスは山深く入っていく。枯葉を舞い散らして、前を走る車が峠を上っていく。神秘的な色を帯びた眼下の丸沼に、釣り人のボートが見える。白樺林が暫く続く。落葉松の黄葉が秋の終わりを告げる晩鐘のように見える。樹木は我が身を散らして、翌年の確かな生を養っている。ふと、衰えていくばかりの人生に、どう向かい合っていこうかと思う。
白樺のふところふかし秋の湖 富子
隧道を抜けると間もなく湯の湖である。三岳の噴火で湯川をせき止めて出来た。南端に高さ七十メートルの滝がある。荷を解き散策に出る。周囲3キロ、一時間の散策路をおのおのの脚力に合わせて歩む。次第に句を作る吟行の目になっていく。
繋がれし秋のボートのことことと 正浩
さらりとした表現の中に、擬音をつかったボートのとらえ方、目配りはさすがに熟練者。入浴を優先させて道を急いだ者には見つからない景色であった。
湖面に火が灯るように葉が映っている。鴨が鏡のような湖面を割るように、つがいで又は群れて羽を休めている。すべてが晩秋の中に溶け込んでゆく景色だ。
さざ波のはがれるやうに鴨の翔つ 文子
湯滝に出た。硫黄の匂いがする。その名の通り温泉が尽きることのない水脈を作っている。最大で二十五メートル幅で水は落ちていく。途中の観瀑台があり、また-流れに沿って三百段の石段を下りることができる。但し帰りはその石段を上らなければならない。滝つぼが無く、流れはそのまま戦場ヶ原へと続く。戦場が原への道には鹿の害を避けるために網戸がある。ハイキングコースとはいえ、鹿、猿、熊との遭遇もあり得るのだ。生態系の破壊が進んでいるのだろう。
足慣らしに丁度良いコースであるが、後続の仲間と観瀑台ですれ違い、一人宿へ急いだ。湖面に突き出た、兎の耳に似ているという兎島に足を向けた。草に隠れて葛西善蔵の歌碑があった
秋ぐみの紅きを噛めば酸く渋くタネあるもかなしおせいもかなし
破天荒な生活で借金に追われ、創作にもゆきづまって、湯元へ逃げ込むように来たのは大正十三年九月だった。この頃、生活苦から妻子と離れて暮らす一方、おせいという愛人との間に子までもうけている。無類の酒好きであるこの異端児は、小説がまとまると小躍りし、とことん飲んだと言う。湯元で書いた『湖畔手記』以後は、破滅型芸術主義が次第に文壇から敬遠され、肺病も併発して不遇のうちに四十一歳の生涯を閉じた。太宰治に『善蔵を思う』という小説がある。
句会は五句選句で行われた。清記の音が緊張感を高めていく。「あ、っ月がのぼった」の声で中断し席を立った。眼前に迫る山の端がくっきりと光っている。四日月という声があがったが、正確には七日の月」であった。寒月の冷たさには遠く、都会の満月より明るいのではないかと思えるほどのまばゆさである。月による干満が、人の運命に作用すると、占いから聞いたことがある。見えざる運に翻弄された善蔵は何座だったのだろうか。
句会は、最後に各自の特選句を披露して閉会となった。
翌日は、送迎バスが来るまでの時間を使って半歌仙を巻いた。同じく、バス待ちでごった返す団体客の話し声が響きあう中を、フロントのソファーに集まって、ゆっくりと進められた。前庭の木の葉が、時折思い出したようにはらりと落ちていく。秋一色の視界を堪能しつつ、車が緩やかな速度で過ぎていく。風一つ無い湖面が朝日に輝いている。私は喧騒のフロントに身を沈めて、写実画のような風景を眺めているうちに、連句会に参加する機会を失ってしまった。
帰路のバスは右に枯芒の広がる戦場ヶ原、左に男体山を間近く眺めながら下っていく。予想通り、中禅寺湖は渋滞であった。いろは坂の猿が話題となり、急遽「猿」の兼題で即興句会が始まった。
冬に入る野猿の母の悲しき眼 由貴子
世の中は見ざる聞かざる山燃ゆる 喜美子
幸か不幸か、坂を下りるまでに猿との遭遇はなかったが、昨日の句会前に「今日の句会は諦めたましょ」と嘆いていた幹事の尾崎喜美子さんが佳句を残した。幹事は気配りで、句作に集中できないのを察してか、いつも解散後に行う居酒屋句会が、先生の提案で慰労会に変更された。句会を期待した方には気の毒であった。これからは句会に徹しよう。
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