俳文学研究会会報 No.54   ホーム

日時 平成21年4月11日(土)
内容 目黒界隈吟行
場所 甫水会館

― 谷地海紅選 ―

◎春の日は子育て地蔵の頬つぺたに 佳子
 春爛漫目黒不動のやさしき怒 月子
 春愁や指を欠きたる羅漢像
 すみれ咲く人それぞれの道野辺に つゆ草
 春の水かければ不動いやな顔 正浩
 車椅子桜のトンネルゆつくりと 喜美子
 電光板桜見頃と告げてをり 喜美子
 師と友と花見るこころゆたかなり  靖子
 花いかだ羅漢の寺より葬の衆 月子
 水かけて不動の汗を流しけり
 チューリップ組赤白黄新園児 信代
 五百羅漢のどれも福耳若楓 正浩
 風出でて桜ゆつくり春を脱ぐ      良子
 花筏亀の甲羅を白く染め こま女
 花びらをくはへ子雀得意げに つゆ草
 巣作りの烏加はる花見かな 喜美子
 うららかや五百羅漢に会ひにゆく 靖子

互選結果

合格の絵馬のあまたへ桜東風    芳村 1
坂の道喪服礼服散る桜 千年 1
鶏鳴に応ふ鶏鳴あたたかし ひろし 2(うち◎1)
春愁や指を欠きたる羅漢像 4(うち◎3)
春の日は子育て地蔵の頬つぺたに 佳子 2
すみれ咲く人それぞれの道野辺に つゆ草 3(うち◎2)
園の春声なきものの揺れやまず 海紅 1(うち◎1)
春風や胎内くぐり滝の中 宏通 1
お不動さん囲む笑顔や舞ふ桜 美雪 1
うららかや羅漢のぼやく昼下り ひぐらし 1
春の水かければ不動いやな顔 正浩 1(うち◎1)
これからはいい子でいます花不動 月子 1(うち◎1)
振り向けば春のいたずら迷ひ道 美規夫 1
羅漢前悟り顔なるぼたんかな   美規夫 1(うち◎1)
桜舞ふ鏡の沼にサギ一羽 失名 1
相性の合ふ羅漢あり春うらら つゆ草 4
中空に陽のとどめたる若楓 光江 2
喪の続く一人静の花終る 海紅 1(うち◎1)
ちつぽけな愛染明王目黒の春 佳子 1
高き枝カラス一羽が春の番 良子 1
初桜見し昂ぶりの納まらず ひろし 1
花いかだ羅漢の寺より葬の衆 月子 2(うち◎2)
水かけて不動の汗を流しけり 2
五百羅漢のどれも福耳若楓 正浩 6(うち◎2)
陽炎や羅漢児あやす摩尼車 ひぐらし 2
朱の残る羅漢衣紋や春の昼 無迅 1
風出でて桜ゆつくり春を脱ぐ 良子 3(うち◎1)
花筏亀の甲羅を白く染め こま女 3(うち◎1)
春風や八百屋お七と石仏 宏通 2
かたかごに大きな靴が来て止まる 海紅 2
花びらをくはへ子雀得意げに つゆ草    2
うららかや五百羅漢に会ひにゆく 靖子 1(うち◎1)
眼鼻なきおしろい地蔵著莪の花    無迅     4
車椅子桜のトンネルゆつくりと 喜美子 1(うち◎1)
※韻律を整える目的で一部添削をいたしました。 海紅

参加者 
谷地海紅  尾崎喜美子  奥山美規夫 青柳光江 五十嵐信代 中村美智子 平塚ふみ子 三木つゆ草 金井巧  情野由希 大川蒼子 谷美雪  椎名美知子 大江月子 植田ひぐらし 宇田川良子  市川千年  平岡佳子 菅原宏通 園田靖子 伊藤無迅

 
欠席投句者
梅田ひろし 安居正浩
 

目黒不動吟行「おてもと句会」             

 今回の吟行は初夏を思わせる陽光の中、午前十一時から目黒界隈をたっぷりと三時間歩きまわりました。そのお蔭で句会後の二次会で味わうビールの味は、俳句の成績はともかくとして格別なものがありました。二次会は常連の尾崎さん、安居さんが都合で欠席、少々寂しいものがありました。しかし、初参加の平塚さんをはじめ大部分の方が参加、いつもの活況を呈しました。席題は「豆の花」。幼い頃の記憶を頼りに、名句が続々と生まれましたが、大川さんの句のように、豆の花を見たことがないという世代も多くなり、季語というものの危うさをちょっとだけ垣間見させられました。

帰りたし帰りたくなし豆の花 宏通 8
そこいらに母がゐるやう豆の花 芳村 7
新しき名刺作れり豆の花 海紅 7
凍土にて豆の花開く時を待つ 信代 6
つるのびて天にもとどけ豆の花 光江 6
青い眼のジャックほほえむ豆の花 千年 6
豆の花マクロレンズに人知れず つゆ草 4
豆の花畝を飛び越え鬼ごっこ 美雪 4
ざわめきの口それぞれに豆の花 酔朴 4
女生徒の一団駆ける豆の花 ひぐらし 4
知らぬふりもう少しだけ豆の花 無迅 4
豆の花実になるまでも楽しませ 良子 3
友求め蝶留まりぬ空豆の花 こま女 3
まめの花句題をつまみに酒すすむ ふみ子 2
豆の花今年入学生の孫 美知子 2
豆の花食べる物しか見たことなし 蒼子 1



 一寸鑑賞 

 宏通句  とかく甘い句になりがちな席題季語を巧みにあしらいました、お見事!
  芳村句  豆の花、「母」にぴったりですね。多くの人の共感を得ました。
  千年句  千年さん、やっぱりこれ付きすぎでしょうね。(→ジャックと豆の木)

付きすぎの塩梅は、結社や個人の間で差があり難しいものがあります。この辺りの感覚は理屈で説けないところがあり、やはり句会・合評等で体得するのが一番の近道でしょうか。
(無迅記) 目黒界隈

 

〈 吟 行 記 〉

 明暦の大火一六五七年(振袖の火事)、文化の大火一八〇六年(芝車坂の火事)と並び、明和の大火一七七二年(行人坂の火事)は、大円寺が火元の一つの場所でもある。
出会わねば恋の付け火も起きるまい、八百屋お七と吉三郎であった。悪戯か必然か知らぬ者同士がある日結ばれる。結び目が捩れ波風が立ち、結び目が解けることもある。これも必然か偶然か本人同士も知らない。病、事故、時満ちて切れるのも縁である。境内から喪服に送られながら霊柩車がクラクションを鳴らして出て行った。出会いの終着はやはり別れなのである。
  行人坂を下りれば目黒雅叙園を通る。元細川藩の下屋敷だった。日本初の結婚式場で太宰治の小説『佳日』にシナ料理屋として描かれている。初出が昭和十九年一月改造社発行とあり、結婚式は四月二十九日で、おそらく昭和十八年春の出来事だろう。この日の挙式は三百組とも書かれている。同じ帝大に学んだ同窓生が娶る相手は三姉妹の一番下で二番目の婿は出征中、長女の夫は戦死していた。この頃敗戦色も濃く、産めよ増やせよと意図的に結婚が奨励されていた。出征中の見知らぬ兵との結婚も多々あった。一度も会ったことのない夫の戦死で、そのまま嫁ぎ先に残って苦労した未亡人もいた。別れるにも別れられぬ時代から、性格不一致で簡単に別れられる現代、カップルが結婚プランを片手に談笑している。不景気の真只中にあり、交わした約束が冷めなければいいのだが、それすらも未知数だ。
  五百羅漢寺の前でも葬儀が行われていた。西行は「願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃」と詠み、その通りに遷化した。死に時を心得た者は、生き方さえも無駄にしていないようだ。死に時をコントロールできるならば最早死を恐れることなど無いはずだが、危うい幸福の中にいつ訪れる分からぬ不幸を抱えながら生きているのが人生というものだ。仮に死に時を選べるとしたら、やはり冬を耐え忍び一気に芽の吹く春爛漫の頃だろうか。春の死は花に彩られ、送る人の悲しみの度合を、少なくしてくれるような気がする。
五百羅漢には全て説明がついている。自分の分身を探しに二度三度行きつ戻りつ、時間のせいにして立ち去るしかない愚頓である。出口の片隅にか細く牡丹が開いていた。羅漢に見守られて悟りを得た姿態にも見える。
  目黒不動への抜け道に異なる種類の花が同じ枝に開いている。花ももというらしい。賑やかであるものの落ち着かぬ気もそぞろな木である。
春というには汗ばむ陽気で、水かけ不動も涼しげか、嫌な顔か捉え方が様々である。ともすれば嫌なことがあれば、眉間に皺を作るのが人であるが、裏表のない爽やかなイメージで親しまれる青木昆陽の墓へとまわる。
珍しいおしろい地蔵を見て、区内最古の神社、大鳥神社で振り返れば、列は寸断され、迷い道を辿り自然教育園へ向かった。季節に染まりやすく、昼時を外した五感の狂いからか、陽気が歩を鈍らせたかの春の悪戯だった。規則的習性に従う方は食事時を忘れず別行動となる。人それぞれの思いで句は練られていくだろう。しかし教育園へ向かう途中にあった誕生八幡神社の大銀杏を記憶にとどめて欲しい。人の身勝手な開発で何度も移植されながら、しかも交通量の激しい悪環境の中で見事な新緑を保っている生命力は何もにも代えがたい資産である。人は無いものの憧憬は一生ついてまわる。その答えを樹木に見出す。吟行は樹木に限ると断じ句会会場へ向かった。
                                            ( 奥山美喜夫 記 )

俳文学研究会会報 No.53
   
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